想いの行方
今日は朝から陽がぽかぽかしていて、まさに昼寝日和だと思ったほたるは手頃な木を見つけて跳び乗り、早速寝に入った。
暖かな日差しに気持ち良くなり、うつらうつらと舟を漕ぎはじめた頃、
「あれ?ほたる、そんな所で何してんの」
「アキラ…」
木の下からアキラが物珍しげに声をかけてきた。
安眠を妨害されたほたるは当然面白くない。
自分を見上げてくるアキラを無視して、一度遠ざけられた眠りへと再び身を沈めようと目を閉じた。
隣で木の枝が大きく揺れた。
おおかた風の仕業だろうとほたるは少しも気にせずに眠り続けた。
ゴンッ
「…いたい」
何か硬いもので頭を叩かれたほたるは一体自分の頭に何が当たったのかと薄目を開けて気だるげな様子で辺りを見回した。
すると先程大きく揺れた木の枝の上に、手首ほどの太さの木の棒を握り締めたアキラが撫すくれて腰掛けていた。
「人の質問に答えろよ」
「…安眠妨害、暴力反対」
コトリ
ほたるは再び眠りについた。ここまで寝汚いとは…とアキラは怒り半分呆れ半分で再び目を閉じてしまったほたるを見つめた。
こうなったほたるは地震がきたとしても起きはしない。アキラは仕方なく諦めて自分もほたる同様、木の上に腰掛けて寝てしまおうと思った。
今は春で、下方に見える草原にはひらひらと戯れる蝶が暖かな日差しを浴びてとても楽しげだ。
自分も昼寝をしたいなと思っていたところだ。それに木の上は涼しく、寝床としては申し分ない。アキラは夕暮れまでに帰れば狂達も心配しないだろうと、重くなってきた瞼を睡魔に誘われるままに閉じていった。
+++
「寒い……」
すっかり日も暮れて夜の冷気が漂い始めた頃、服と肌の隙間に吹き込む風のせいでほたるは目を覚ました。
伸びをしようと体を少し動かすと、自分の肩に何かの重みがかかっていることに気づいた。アキラだ。
ほたるは、寝てしまった自分に興味を失ってさっさと何処かに行ってしまったに違いないと思っていた相手が己の傍らに居ることに少し驚いた。
アキラは肌寒さに微かに身を震わせ、その冷えた手でほたるの服を掴んできた。
ほたるはその肩を抱いてやった。無意識だった。
自分のそんな柄でもない行動に少し戸惑った。
なぜ自分はこんなことをしているのだろう。
アキラが自分の隣で寝ようが寝まいがこいつの勝手だし、そのせいで寒い思いするのも自業自得だと思うのに…。
アキラの穏やかな寝息が手にかかる。
冷え切ったその肩が急に熱く感じられた。
自分は一体どうかしてしまったのだろうか。
意識してしまったら最後。
気になってとてもではないが平静ではいられなくなってしまった。
アキラが自分も置いていかずに隣で寝ていてくれた。
そんな事がとても嬉しい。
利己的なアキラのことだ。
それはきっと何の意味もない行動だろう。
だがその行為を受け止める側の自分にとってはたいした出来事なのだ。
「どうしよう」
こんな感情、ずっと独りだった自分には全く馴染みのない気持ち(モノ)だ。
訳の分からぬ想いにほたるは困惑した。
頭が痛い。
なぜ自分が頭を痛めなくてはならないのだと、その理不尽さに微かな苛立ちが生じた。
ほたるはアキラを自分から遠ざけると、何の躊躇いもなく押した。
アキラの体を支えるものがなくなったのだ。
当然、地面へと落下する他ない。
そして地面の潰れる音。
いや、この場合はアキラの鼻頭の潰れる音か。
「…いって~!」
アキラはあまりの痛さに目に涙を溜めている。
体を起こして地面に座り込むと、いって~と繰り返し言いながら自分の顔面に付いた土をぱらぱらと払った。
ほたるがアキラの斜め前方へひらりと飛び降りて着地する。
もちろん、足から。
そしてまだ呻いているアキラを覗き込んで言った。
「…目、覚めた?」
「お~、覚めた覚めた!誰かさんのおかげでな!!」
「よかったね」
「ちっとも良くねーよ!木の上から突き落としてくれたお礼に氷付けにでもしてやろうか。ああ!?」
鼻を赤くした顔で凄んで見せても全く迫力がない。
むしろ可愛らしい。
「だってアキラ、おかげさまでって言った」
「お前がいくら天然だからってなぁ~!これくらいの嫌味は分かるようになりやがれ!!」
「ん、分かった」
だがそう言ったほたるの口から次に出た台詞は、
「……で、何を分かったんだっけ?」
であった。
「だーかーらー!起こすにしてももう少し違った起こし方ってものがあるだろうって言ってんだよ」
何だか違うと思いながらもほたるは頭に浮かんだ案を言った。
「ああ、火炙りにするとか?」
「てめーオレを殺す気か!!」
アキラは勢いよく平手で以てほたるの頭をはたいた。
奇麗なすぱーんという音が聞こえてきそうだ。
その衝撃の余韻に頭の中を揺らしながらほたるはアキラを振り返った。
何故かその目線はちょうどアキラの口元を捕らえてしまい、思わず動揺したほたるはアキラに氷付けにされるまでもなく固まった。
過ぎ去った筈の熱が胸の奥で最熱したのを感じた。
「それじゃあ……」
「ほたる…?」
アキラは何時に無く真剣な顔付きになったほたるに何かを感じ、軽い不安を覚えて思わず呼びかけていた。
その“何か”が一体どういったものなのかまでは分からなかったが、それはアキラをひどく落ち着かなくさせた。
何時の間にか互いの顔がぼやけて見えなくなるほどに近づいていた。
自分の唇に生暖かい風がかかるのを感じた瞬間、ソレは羽毛のように軽く触れてきた。
暖かい息とはあまりにも違い、ソレは冷え切っていて思わず身を震わせた。
「こうやって起こせばよかった?」
口付けを終えたほたるのソレは笑みを形作ると僅かに震える声をやっとの事で吐き出した。
アキラはほたるの顔に浮かんだ笑みを、自分をからかって楽しんでいるのだと感じ取った。彼の声の震えには全く気付かずに。
「ふざけるな!」
ふざけてじゃなければしてもいいの、と咽喉元まで出掛かった言葉をほたるは咄嗟に飲み込んだ。
その言葉に魂を与えれば、自分が一体どうなってしまうか自身にも分からず恐怖したのだ。
棄て台詞を残して肩を怒らせ去っていくアキラの背を見送りながらほたるは苦笑いを浮かべた。
アキラがなぜ怒ったのか理解できてしまったからだ。アキラはまだまだ子供だね、と胸中に溜息を漏らした。
それがどんな見当違いなものであるか。
アキラにはきっと分からない。自分の声を絞り出すことのどんな困難だったことか。
自分の声を震わせていたのは自嘲。そして恐怖。
己の欲望の在り処の滑稽さに暗い笑みを浮かべ、その矛先である彼に自身の思いが知れた時の反応を知ることへの恐れ。
両方とも戦場には無いものだ。
初めて迎えた姿亡き敵。自分はこの獣とどう付き合っていくべきか、と空に浮かんだ星にほたるは問うてみた。
その問いに返る答えなど無い事を知りながら……。