14の病
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そもそもが、やっかいな恋の相手だ。
同性で、元兄、元保護者。ってとこで、その相手が誰だかはわかったと思う。
そして、そいつがかなりの問題を抱えた人物だってことは、皆も知ってのとおりだ。特に性格とか、過去と(酒が入れば現在も)の素行においてね。
そんな理由も、その他も、色々あって言う機会を逸している内に、随分ながく続いている俺の不毛な恋のストリートに、ある日、さらなる障害物が現れた。
いや、表れたっていうか、その事実に気付いたってとこかな。
この話は、そこから始まる。
〜14の病〜
場所は、曇りや霧の多い例の国。昼下がりっていうには、少し遅い時間だ。
抱えていた議題の半分程を消化し終えて、ようやく入った休憩時間に、俺はふらりと外に出ていた。といっても、エスケープってわけじゃなく、建物の敷地内である庭にだ。
俺達や、その上司連中が集まって会議をするくらいの場所だから、お得意のイングリッシュガーデンと呼ばれるものよりも、いくらか格式ばった庭を歩きながら、動物の形に切りそろえられたりしている木々を眺めつつ歩く。
人工的ではあるけど、やっぱり緑の中を歩くのは気持ちがいい。これで、晴れてたらもっといいのに、なんて思っていたところで、俺は足を止めた。
視線の端、木々の間に見慣れた後ろ姿を見つけたからだ。
俺と同じく、外の空気でも吸いにきたんだろうそいつは、まだにこちらに気付いていない。
俺は少し考えた後、足音を消してそっと近づく。
ちょうど俺に背を向けるようにして立っている人物の、まるっこい後ろ頭が、時折微かに揺れるのがわかった。何か妙な動きをしているんだ。
その内、ぽつぽつとした話声が漏れ聞こえてきて、俺は耳をすませ、声をひろう。
「なんだお前たち、また来ちまったのか。まったく、今日は仕事だっていっただろ」
聞こえてきたのは、ぶっきらぼうな、でもどこかそわそわしていて、明らかに嬉しそうな声だった。
まあ、この人───皆わかっちゃいるとは思うけど、イギリスだ───のリアクションとしては、よく見るパターンだね。
ちなみに、話しかけているのは何もない空間で、時折何かを撫でるように空中で手を動かしたりしている。これもまた、本当に残念だけど時折見かける光景だ。
いつもなら、ああまた幻覚を見てるんだ。もう勝手に医者を捜して、無理矢理受診させよう、くらいに思うところなんだけど、俺は今回あえて、その妙なパントマイムを見続けることにした。
いや、今回はじゃないな。俺はここのところ、あの人の行動を観察するようにしていたんだ。
なぜかって? 答えは、冒頭の障害物にまつわる話なんだ。詳しい話はまた後でってことで、今はまあ、見ててくれよ。
観察を続けている俺に、イギリスは気付く事無く奇妙なパントマイムを続けている。観客がいるかいないかなんて、関係ないらしい。広く、綺麗な庭の片隅で、相変らず空気を撫で擦ったり、時々小さく笑い声を上げたりしていたイギリスはしばらくして突然、何かに気付いたように視線を巡らせた。
一瞬、気付かれたのかと思ったけど、緑の目はこちらへは向かなかった。
そのせいで見えるようになった、横顔には険しい表情が浮かんでいる。
鋭い視線が向けられた先に、俺も釣られて視線を移したけど、何も無く、ただ他と同じく庭が広がっているだけだ。
なのに、その良く手入れされた芝生のあたりに向けて、低く警戒に満ちた声が吐きかけられた。
「なんだ…お前…」
言ってイギリスは、さっきまで撫でていたと思われる空気を庇いながら背中に庇いながら一歩前へ出る。
これは……。
俺が僅かに身を乗り出し、見つめる先でイギリスが顎をしゃくる。
「悪さなら、他所でやれよ」
出て行け、と言外に言っているその態度は偉そうで、それでもって嫌味な程様になっている。だけど、相手は芝生だ。
イギリスはしばらく芝生という敵と、対峙しているかのように、立ち尽くしていたけど、やがて、睨みつけていた緑の目が少し上向く。地面から生えてきた何かを追うような目の動きの後、ぐっと眉間に皺をよせたイギリスの口から、小さく舌打ちの音が漏れた。
「ここじゃ、あんまり使いたかねぇが……」
何かを呟きつつ、懐に手をいれ古ぼけた本を取り出した。
でた…!
思わず心の中で呟いた俺も、何度か見たことがあるその本は、表紙に古代文字や、魔方陣のかかれたものだ。イギリスそのおどろ おどろしい本を開きながら、肩越しに後ろへと振り返り、
「おい、お前達、ちゃんと逃げろよ」
そう言った先には、誰もいない。
あ、いやいる! しかも二匹。そう、二匹だ。
近くの花壇から飛んできたらしい、小さなモンシロチョウがいる。小さな子供がじゃれあうようにひらひらと、楽しげに飛んできた。
でも、どのみち話しかけるような相手じゃない。
結局ここにいるのは、俺をのぞけば、独りごとを連発しながら怪しい本を取り出したイギリスだけだ。広く美しく整えられた庭で、楽しげに飛び交う蝶をバックに、手入れの行き届いた芝生を睨みつけている。
色々なことに耐えられなくなってきた俺へ、さらに追い討ちをかけるように、イギリスが開いた本のページに慣れた様子で手をかざし、
「暗黒の淵、黄昏の地よりきたり……汝の名を…紅蓮の剣(つるぎ)に……」
も、もうだめだ!
朗々と響く奇怪な呪文が、いっきに俺のメーターを振り切らせた。
「イギリスっ!」
「ぅあっ!!」
声と共に飛び出すと、途端にイギリスが、飛び上がって驚いた。だけど俺はそれに構わず、さっきまでイギリスが睨みつけていた芝生を背に、立ちふさがるようにして立つ。
そして、なるべく何気ない風をよそおって片手を上げた。
「……や、やあ」
……あまり、何気なくはできなかったかもしれない。
だけど、相手も驚いているせいか特に不審には思わなかったみたいだ。
「あ、アメリカ!? な、なんだよ脅かすな馬鹿!」
「ああ、悪かったね。……それで」
怒鳴ったイギリスを、俺はおざなりに流して言葉を続ける。
「それで…君は、こんなところで…何してるんだい?」
「いや……その、なんだ。ちょっと外の空気を吸いに、な」
問われて我にかえったのか、しどろもどろに答えつつ、イギリスは手に持っていた怪しい本を自分の体の後ろへ隠す。それを見て、俺をハリケーン並みの絶望感が襲う。
その見えない風圧に耐えている間にも、イギリスはちらちらと、何度か視線を向けていた。まだ、なにかあるのか……。
しばらくチラ見を繰り返し、最終的になぜかほっと息を吐いたイギリスに、俺は恐る恐る問いかけた。
「……俺の後ろに、何かあるのかい?」
「な、何にもねーよ」
ぎくりと肩を揺らした様子からして、明らかに何かあったんだろう。少なくともこの人の中では。
なのに、それを隠そうとする人に俺は、荒れ狂う絶望感へと身を委ね、静かに頷いた。
「そっか……」
そして、天を仰ぐ。
───そっか、やっぱり……。
ここしばらくの観察と、今さっきここで繰りひりろげられた様子からして、もうそれは確定事項だった。
しかも、その事実を隠そうとしているということは……。