お怒りメイド様
聞かれたから床に膝をついた。頷けば彼はグラスの中身を俺に思い切りぶつける。びしゃりと叩きつけられた液体はゆっくりと頬をつたった。
「どうも」
見えなくなってしまった眼鏡を袖で乱暴に拭いてそう言えば、彼は笑って出てけと言った。馬鹿みたいだったけど仕方がなかった。使用人でメイドさんだったから仕方が無かった。片付けますとグラスを受け取って部屋の扉へと歩いていく。きしきしとうなる自尊心が床の下あたりで暴れている。戻れば日本あたりに肩を竦まれタオルを渡されるだけだろう。
「ねえ」
ノブに手をかけた途端に声をかけられ、振り向いた。
「はい」
相変わらずベッドに腰をかけている彼は、いつの間にか立ちあがって俺に近づいている。3歩進めば重なりそうになる距離で立ち止まった彼は、楽しそうに人差し指を自分の唇にあてた。
「どうせ脱ぐんだから、着てこなきゃいいのに」
一気に怒りで顔を赤くした俺に彼はただ笑う。びらびらのスカートも、白いエプロンも、何も、今はグラスの中にあった赤ワインのせいで色が変化してしまっていた。落ち着かせるように息をはく。
「それも、そうだね」
敬語を忘れた俺を訝しげな表情で彼は見た。もっと怒ると思っていたらしい。俺も思っていた。今にも割れてしまいそうなグラスを、彼のお気に入りの花瓶に向かって思い切り投げつければ、グラスも花瓶も呆気なくばりんと粉々に砕け散る。
「ん」
驚いたような、不思議そうな表情の彼は首をかしげた。
「くそ野郎!」
叫んで、彼が状況を理解しきる前に急いで扉を開けて長い廊下に駆け出す。くび、の二文字に軽く青ざめながら、追いかけてこない彼を振り向いた。