桜恋う月 月恋うる花
小路を出て、凶行を働いている『羅刹』に近付いた。
気配で振り向く『羅刹』は二体。
甲高い笑い声と奇声を上げながら、手にしている刀を私に向けてくる。
白い髪。理性の欠片もない赤い瞳。
『薄桜鬼』に出てくる変若水は、本来のエリクサーとはほど遠い、正しく吸血鬼の血だ。本物の吸血鬼の瞳には理性はなくとも知性があるけれど、『羅刹』には知性もない。本当に狂気しかない。こんな存在になってまで生き延びたいものだろうか?
欲望と本能のままに刀を振り回す太刀筋は、反って計算が欠片もない分読み難いけれど、腕力だけでスピードがないから読む必要もない、か。
大上段で振り被りそのまま振り下ろされた刀に足を載せ、ひょいっと刀身に載る。そのままのリズムで体を浮かせ、精霊によって象られた刀を横薙ぎに払って首を刎ねる。
返り血を浴びないように素早く身を引き、続けて掛かってきた一体の懐に入ると見せて横に躱し、擦れ違いざまに切り上げた刀で首を落とす。
水魔術を操る私が、こんなものに後れを取るわけがない。でなきゃ今頃生きてないわよ。
パチパチパチ……
場にそぐわない拍手の音に続いて男の声が届く。
「凄いね。君」
聞こえたのは沖田総司の感心半分警戒を含んだ軽さを装った声。
私は警戒心を装ったままゆっくり振り返る。
「随分ごゆっくりなご到着ですね。危うく何の罪もない子供がコレの餌食になるところだったんですよ?」
「子供?」
訝しげな声を掛けてきたのは沖田総司ではなく斎藤一の方だった。
土方さん贔屓ではあるけれど、本来平等な考え方をするタイプの筈だから、何の罪もない子供が巻き込まれる事を良しとはしないという考えなのかな。
「気絶させて小路の奥に転がしてきましたから、覗いていないけどね。」
「でも、君は確り見ちゃったわけだ。」
どこか嬉しげに沖田総司が言う。人を斬る口実が欲しくて欲しくて仕方ない子供のよう。
「相手の素性すら確かめずに斬ろうとするような者が幹部とは、ね」
幾分侮蔑の意思を込めて沖田総司に視線を向ける。
「……何が言いたいのかな?」
「新選組が万年人材不足という噂は、本当のようですね」
「何を知っている?」
斎藤一の低い声が届く。
さて、どうしようか?
「そうですね。少なくとも今の貴方方よりは色々知っていますよ。『変若水』についても『羅刹』についても、ね。」
私の言葉に、三人の気配が鋭くなる。そう、三人。沖田・斎藤に加え、土方歳三の気配がいきなり鋭くなった。
「逃げるなよ、背を向ければ斬る」
あら、しまったわ。ここって千鶴ちゃんが土方さんに無自覚で一目惚れしたシーンになる筈の処。
そんな事を頭の隅で考えながら、土方さんの声が聞こえてきた方向へ視線を向ける。
最初に視界に入ってきたのは、ギラリと月光を弾いて不吉な光を放つ刀身。和泉守兼定、だったっけ?
ゆっくり視線を上げれば、月光の中、舞い散る雪が桜吹雪のようで、土方さんの美貌に拍車をかける。その紫紺の瞳に強い意志を湛え、冷徹な瞳が絶対零度の刃を突き立てる。
「逃げないわよ、勿体ない」
思わず本音が零れた。
私の言葉に土方さんが目を見張る。
「はぁ!? 勿体ない?」
声を上げたのは沖田総司だ。
「ええ。思いがけず眼福を得た」
にこりと笑ってみせると、土方さんは毒気を抜かれたという表情になる。
「眼福って君ね。……土方さんなんか見てそんなに嬉しいの?」
「とても綺麗です。月明かりに美貌が映えて、舞い散る雪が狂い咲きの桜のようで。貴方もご覧になればいい」
ふわりと微笑むと、沖田総司は呆気に取られたという表情をして顔を背けた。
「嫌だよ、土方さんなんか見て何が楽しいのさ」
「そう? 人生の半分を損していると思うけど?」
「そんなにっ!?」
あら、沖田総司って割とノリがいいわ。
「バカな事言ってんじゃねぇぞ。お前も乗せられてるんじゃねぇよ、総司。お前、刀が怖くねぇのか?」
眉間に皺が寄っている。正常な神経の持ち主なら恐がるのが当たり前って?
「刀自体は自分の意志では動かない物ですからね。それを持つ人間次第で怖いも怖くないも決まりますよ」
気狂きちがいに刃物、という言葉もあるくらいだもの。
「ほう? 俺が持ってる分には怖くないって聞こえるんだが?」
「貴方の目には理性と知性があります。例え妖刀村正握ったって妖気に呑まれない強さがおありです。先程の狂人にはどれもなかったけれど。」
先程切り捨てた『羅刹』の遺体に視線を向ける。
切り捨てた『羅刹』の遺体は、原形を留めている。まだ寿命にはなっていなかったという事。新選組は『羅刹』の暴走を抑える術も掴んでいないのだったわね。
「……訊きたい事がある。一緒に来て貰おう」
突きつけていた刀は降ろされたけど、まだ抜身のまま。
「同行するのは構わないけれど……」
わざと言葉を切る。
「都合が悪いのか?」
逆らえば力づくだという表情ね。
「先ほども言いましたが、子供を一人、この様子を除いたりしないように気絶させて小路の奥に転がしてきました。この寒空に放り出すわけにもいかないかと……」
「連れて行っても良いが……」
「でしたら、その子を連れてくる前に、『羅刹」の羽織を回収して隠して下さい」
新選組が『羅刹』と関わりがある事を、未だ千鶴ちゃんに知らせない方が無難な筈。私の言葉で、漸く土方さんが気付いたらしい。計算高い策士のようでいてこういうところの詰めが甘いのが土方さんなんだよね。
「…斎藤、羽織を回収しておけ。死体は監察方が処理してくれる」
「御意」
あ、やっぱ、斎藤さんなのね。迅速に行動するなぁ。無駄口叩かない辺り、土方さんの人選も的確だわ。
「何処だ?」
いい連携プレイだなぁ、なんて感心しながら眺めていると、土方さんが私に向き直った。
「……こちらです。」
小さな仕草まで一々様になる人だなぁ。なんて思いながら、先に立って歩き出す。
千鶴ちゃんの所まで戻ろうと気配を探ると、小路の一か所に和麻さんの風の気配を感じた。丁度その位置だけが、私の探査が、つまりは水の気配が探れない。私はその位置を目指して土方さんを案内した。
案の定、その位置には気絶したまま私の羽織に包まれている千鶴ちゃんがいた。やはり和麻さんの風が、千鶴ちゃんを包んで冷えないように守ってくれていた。
「千鶴ちゃん。」
呼んでピタピタと軽く頬を叩く。
「千鶴……?」
訝しそうに千鶴ちゃんの名を口にした声は、土方さんのものだったような気がした。
疑問を向ける前に、千鶴ちゃんの睫毛が震え、ゆっくりと開かれた瞼の下から、栗色の綺麗な瞳が覗いた。
千鶴ちゃんの視界の正面が土方さんになる位置取りになっていた。
「歳兄様…?」
「千鶴」
え?
知り合い設定?
「え、土方さん。知り合い?」
土方さんに続いてここまで来ていた沖田さんも、羽織を回収してすぐに後を追って来ていた斎藤さんも、千鶴ちゃんとは知り合いじゃなさそう。
千鶴ちゃんが半泣きになりながら土方さんに抱き付いてる。
作品名:桜恋う月 月恋うる花 作家名:亜梨沙