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コメダワカ
コメダワカ
novelistID. 64875
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午後六時にキスをして

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プロローグ
「暑い……もう、嫌だ……ひたすら暑い」
 夏の暑さをまだこれでもかと言うほど孕んでいるこの季節が大っ嫌いだ。いや……正確には、春の終わりから夏、そして秋に入って少しぐらいの季節が大嫌いだ。
行儀とか品性とかそういうものを全部無視してワイシャツのボタンを二つほど開けると、往来の真ん中でバサバサと扇ぎ風を取り入れた。
しかし、取り込む風は生ぬるく、湿っぽさを含んでいて不快指数が一気に増した。

 何故私はこんな暑い中歩かされなければいけないのだろうと思いを巡らす。
――そうだ、私は友人に会いに来た。この時間しか出歩かない友人に。
溜め息混じりに空を一度仰ぎ見ると、紺色の布の上にオレンジジュースをぶちまけたような中を、スイスイと泳ぐように鳥たちが巣に帰っていくのが見えた。
昔から変わらない夕方になるチャイムの音に合わせて、歌詞を口ずさむと一気に妙な切なさが込み上げる。

「夕方のチャイムが鳴ったら帰って来なさいよ」
 学校から帰ってきて遊びに行く私に必ず母が言っていた言葉。
普段なにも言わない母がそう言うのだから、家に帰らないといけない。でも何故だっただろうか。理由を聞いた時、母は昔おかしなことを言っていたような気がした。

「チャイムが鳴ると――……なのよ。だから、わたし達は家にいないといけないの」
 確かに母は夕方のチャイムが鳴った以降は、なにがあっても外には出なかった。買い忘れた食材があっても、回覧板を届けに行くのも、夕方のチャイム以降は絶対に……だ。
私もそれに従っていたし、部活もやっていなかったこともあり、私も高校二年生まではちゃんと家に帰っていた。

 でも、母が亡くなってからはその約束はなくなった。
父も好きにしたらいいと言ってくれたし、止める母もいないし、いつしかそのことさえ忘れていた。

何故、今そのことを思いだしたんだろう。
きっと、住宅街から漂ってくる夕ご飯の匂いとか、ぽつぽつ付きはじめた電気の光に家族の懐かしさを思い出したからかもしれない。

 しかし夜に差し掛かっても暑いのは参ってしまう。ぼんやりと歩いていると、首筋にヒヤリと冷たいものが触れた。

「ひっ!! なに!?」
「あはは、イチコったら驚きすぎ」
「柳……勘弁して、アンタの手冷たすぎるんだから……心臓が止まる」
 私の首に手を添えたまま、柳アヤはクスクスと可笑しそうに笑っていた。まだ残暑が残るこの時期でも、やはり柳は涼しげだ。いつでも柳の纏う空気はひんやりとしていて、真夏でも薄ら寒さを感じることが出来るので、私にとっては有難い存在だと言える。湿気と生ぬるさで包まれていた私は、やっとほっと一息吐いた。
柳は私の顔を見ると茶目っ気たっぷりな笑顔を浮かべながら、ごめんね、と言うと触れていた手をそっと離した。
その離れた涼が名残惜しくて柳の手を掴むと、今度は柳が驚いた顔をする番だった。

「……そんなに私が触れてるのが名残惜しかったの?」
「どうかな、暑さのせいで頭狂ってるかもしれないからな……柳の手じゃなくてもいいのかも」
「残念。うちでイチコのためにアイス冷やしてたのに、これは私が食べるしかないわね」
「ちなみに種類と味は?」
「ハーゲンダッツのストロベリー。あなたがだーい好きなやつ!」
「ごめん、柳。有難う、愛してる。」
 今度は二人で顔を見合わせて笑った。私たちは手を繋いだまま、坂の上に建つ柳の家へと向かった。

 柳とはいつからの付き合いだっただろうか。柳に手を引かれるまま、急勾配の坂を登りながら私はふと思った。確か数年前?いや、去年のような気もするし、もっともっと昔の気もする。
「柳さー、私たちっていつ出会ったんだっけ?」
「どうだったかな。夏の夜ってことは覚えているわよ。私ほら、夏しかここにいないじゃない?」
 そうだ、柳は昼間は外に出ない。しかも夏のはじまりから終わりまでこの街の坂の上に住んでいて、秋がはじまると本宅に戻ると言っていた。避暑地でもないこの街に別宅を構えるなんて、柳の家はどこか不思議だ。
「坂の上で落とした林檎を、坂の下のイチコが拾ってくれた。あの時のイチコの顔と台詞……ふふ、私あれは忘れないなぁー」
「その話はやめてよ……」
「ふふ、〈善悪を知る果実を落として私がそれを拾った、貴女は私の善を知ることが出来たと思いませんか?お嬢さん〉だったわよね」
「やめて……やめてください柳さん」
「あれにはびっくりして言葉失っちゃったわよ」
「……仕方ないでしょ。私はあの時酒にも……いや、自分にも酔ってたし、ちょうどその時旧約聖書の勉強してたし……それから……柳が――」
「私がなに?」
「夕陽を背にして白いワンピースをはためかせていた柳が綺麗だったから格好付けたんだよ!」
 柳は立ち止まり振り返ると、大きな目を細めて微笑んだ。
「それは初耳。でも結局口説いたのは私なのよね。あまりにもイチコが奥手だから」
「奥手で悪かったね」
 柳の長い睫毛が影を落とすのを見るのが私は好きだ。だから、いつも目を開けたままキスをする。何度キスをしても、柳の唇は体温を感じさせないほど冷たかった。この唇に熱を持たせることが出来るのだろうか、と考えると私の熱を持っていた頬はより一層熱くなった。
「……キスも、私が目を瞑ってからしかしてくれない」
「柳が物欲しそうな顔をして強請るからね」
 柳はうっすらと目を開くと、私を見て小さく笑った。柳が笑うとあぁ、私はこの人が好きだ、と自覚する。大嫌いな夏と夜だけの私の恋人……