はた迷惑な話
臨也さんは本当にきれいな人なんだ。
どこがどうってわけでもないんだけど、いやもちろんあの人を形作ってるパーツ一つ一つがとても整っているのも本当なんだけど、そういった要素を全部纏めて見たときのバランスがもうびっくりする程に完璧で完全でいっそ感動的なくらいなんだ。眉目秀麗って言葉は、あの人のためにある言葉だと思う。新宿や池袋の雑踏に紛れてても臨也さんだけは解る。そこにいれば必ず解る。なんかね、人ごみの中から勝手に浮かび上がってくるみたいな、そんな存在感があるんだ。……あの人とかくれんぼとかしたら、案外勝てるのかも? まあ僕がやりたいのは鬼ごっこだけど。
遠目でも目立つくらいきれいな人だけど近くで見てもやっぱりきれいなんだ。本当に本当に。粗の一つもあってよさそうなのに未だに見つけられなくて……っていうかずっと見惚れてるから見つけられないのかもね。それとも真実本当に瑕がないから飽きもせずただ見ていられるのかな。どちらにしろ、あの人がきれいだって事実は変わらないけど。
僕、わりと飽きっぽいとこがあるんだけど、臨也さんについてはそうでもないなあ。いつまで経ってもいつだって面白くてきれいで最低でとてもじゃないけど目を離せない。ずっと見ていたいんだ。何か企んでるときの楽しげな顔も予想外のことが起きたときの一瞬の不機嫌そうな顔もすぐに別の楽しみを見出して上機嫌な顔も人間を愛してるって言うときの満足そうな顔も、あのきれいな顔に浮かぶ沢山の表情を見るのがたまらなく好きだ。
でもね、一番好きなのは僕を見てないときの臨也さん。寝てるときとか、仕事に集中してるときとかそういう、僕が、竜ヶ峰帝人って存在が、あの人の頭から消えてなくなってるときの顔が一番好き。あの人が僕を見ないのは嫌なのに僕を見ないあの人の顔は好きなんだ。ひどい矛盾だね。あの人をどうしたいのかあの人にどうされたいのか、自分でもたまに解らなくなるよ。
………一時期ね、臨也さんの名前をおまじないか何かのように口にしてた頃があったんだ。臨也さん臨也さん臨也さん、って。臨也さんがいれば、それで全部大丈夫な気になってた頃があって、臨也さんの言うことを聞いていれば間違いはなくて、臨也さんの指し示す道が正しくて、臨也さんが臨也さんが臨也さんが、って。こうして思い出してみればおかしいなってのは解るんだけどあの頃は僕も必死だったから。余裕がなかったんだろうね。変わらなくちゃいけなくて、変わらないと変わったものについていけないってのがすごくよく理解できてだから、縋っちゃったんだ。どこに行けばいいのか教えてくれた臨也さんに、身勝手なわがままを剥き出しにした僕を受け入れてくれた臨也さんに。あの人を疑わずあの人の、その、愛ってやつを享受するだけの日々はとてもとても──────────駄目だな。まだうまく言えない。
今は全然そんなことないけどね。だってあの人の本性もやってきたこともやろうとしてることも全部知っちゃったし。とんでもないよ。最低だ。最悪だ。普通じゃない。吐き気がする。ろくでもないよ。人でなしだ。……え? 笑ってる? んー、まあそうだろうね。だって嫌いになったわけじゃないから。うん。好きだよ。臨也さんのことを神様のように信じてた頃よりも臨也さんの悪魔みたいなところを知った今のほうがずっとずっとずっと。
嫌いになれたらよかった、とは思わないよ。それは普通すぎてつまらない。今でも大好きなんだ。好きで好きで好きで好きでたまらない。会いたい触りたい触ってほしい名前を呼んでほしい声を聞きたいあの人の姿を見ていたいきれいなきれいなあの顔が見たい。しょうがないなあどうしようもないなあ駄目な人だなあって思うところは結構あるけど、それだけだよ。嫌いになんてなってない。憎いわけでもない。今でも好きだよ。ただ、許せないだけで。
好きだけど、あの人の全部を受け入れてるってわけじゃないから。許せないラインってのはあるんだ。臨也さんはそれを越えた。いや。出会ったときにはもうとっくに踏み越えてて僕があの人にただ惹かれてた間もそんなラインなんて踏み躙るみたいにして越えて行ってたのに、気づかなかっただけだ。我ながら馬鹿だなって思う。そうだね。そこまで解ってるのに、まだ好きっていうのは、ほんと、どうなんだろうね。……僕自身はすごくおかしくて、楽しいんだけどさ。
なに? 全部終わった後? 考えて、ないなあ。僕としてはほら、好きだから、また一緒にいたいんだけど臨也さんはどうかなあって。あの人の考えてることなんか解らないし。同じように好きになってもらえたらそれが一番嬉しいけどでも、嫌われても、いいかな。人間全てを愛してるあの人に嫌われるなんて、ただ好かれるだけよりもずっとずうっと特別扱いな気がする。まあ静雄さんより嫌ってもらえなきゃ意味はないけどさ。……うん、やっぱイヤだな。嫌われるなんて。好きになってほしい。人間だから好きなんじゃなくて僕だから好きになってほしい。うわ今のなしなし! だだ、だって恥ずかしいしすごい恥ずかしいこと言ったよね僕うわあぁあ……。
あっほらそろそろ時間だよ!? 行かなくちゃ、ね?
「行くよ」
つい今さっきまで、慌てふためいて顔を真っ赤にしていた人間と同一人物とは思えない程に冷え切った声で帝人先輩が言う。一応は、この人の右腕みたいな立場でそれなりの期間観察してきたけど、どこにスイッチついてんのかホント解んない。例えばチンピラ一人殴れない善良な先輩も、例えば僕の手をボールペンで突き刺した冷徹な先輩も、どっちも帝人先輩だ。一人の人間の人格内でこれ程の揺れ幅があるってのに、一体どういう行動理念で以って切り替わってんのか全く解らない。めんどくさくて怖い人だ。
「帝人先輩」
「なに」
「先輩は折原臨也をどうしたいんですか」
「裏をかいて陥れて奪って壊して叩き落してやる。神様気取りのあの人をここまで引き摺り落として思い知らせてやる」
あれだけ幸せそうに折原臨也への好意を語っていた口で、一片の温かみも乗せていない声で一息に言い切る。振り返りもせずに歩いてるから解らないけど先輩はきっと、笑っているのだろう。
「でも好きで、ついでに今後も一緒にいてほしくて、できれば好きになってほしいんですか」
「うん」
ため息を一つ。この程度は許されるはずだ。だって、これから始める『戦争』は結局のところ、痴話喧嘩のようなものなんだから。ああ馬鹿馬鹿しい!