素直になってしまうとき
そういう訳なのか、日が短くなってしまった昨今は、どうにも人恋しい。その人恋しい気持ちがどこから漏れてしまったのだろうと思うほどのタイミングで、電話が鳴った。
午後八時前のその時間は、咎められても文句は言えないけれど、相手によってはむしろ歓迎すべき時間だろう。
「もしもし」
『菊、俺だ。今いいか?』
「アーサーさん、こんばんは。はい、こちらは大丈夫ですよ」
『――来月に迫った会合なんだけど、』
呼ばれた名前にとくんと鳴る鼓動。それに苦笑いしていると、言いにくそうに間を空けて、いかにもすまなさそうな声色。眉を寄せて、目線を泳がせているのだろうと様子が眼に浮かぶ。
『……悪い、延びそうだ』
良いことではないだろうと、身構えていたけれど、案の定、良いことではなかった。
「……そう、ですか。まぁ私たちにはどうこうできませんから、仕方ないですね」
なにか言わなければと思うのだが、募っていた寂しさに、追い討ちをかけるような知らせが邪魔をした。
『あー……』
困らせるつもりは、ないのに。
「わざわざ連絡をくださってありがとうございます。……。本音を言えば少々寂しいですが、お会いする回数が減るわけではないですからね」
話がしたいと思ったはずだが、口を開くと出てきた言葉はなんともわがままな言葉で。しまった、と思ったのは、お尻まで言い終わったあとで、後の祭りだ。本当に、どうにかなることではないのだ。現実は非情であるから。
『……こんなときに本音を言うなよ……』
ほらみろ、咎められてしまった。
うっかりだとしても、言ってはいけない言葉だったのだ。寂しいなんて。
「すみません、つい」
言った言葉を取り返そう、あるいは消してしまおうと考えたが、すぐに諦めた。言葉を消すことなど、できないから意味があるというのに、言葉は。諦めて白状すれば、許してもらえるだろうか。
『違う。咎めてるんじゃなくて。――どうにもしてやれないだろ? それが嫌になる』
「……え、あの」
『自分が嫌になるんだよ。菊のそばに居れないことが悔しくて』
寂しさが募って先に痺れを切らしたのは俺のほうだ。それなのに、素直になったのは日本が先で、越された、と思った。それと同時に知る。こういうときは、素直になっていいのだ、と。言ってもどうにもならないことだ。けれど、言うことで、励ましあうことも、できるのだ。だから日本に負けじと言葉にすることにした。
「あ、さーさん……あなたも、ずいぶん素直です、ね……」
あからさまに驚かれて、苦笑した。普段、そんなに素直じゃないだろうか。日本の前では隣人たちが言うほどにわかりにくい言い方はしていないと思っていたのだけど、思っていただけだったのか。少しだけ残念に思う。素直に言ったはずのことが、伝わっていなかったとしたら、少しじゃなく、寂しい。
『……悪い。……冬、だからな……。あーそろそろ昼が終わるな。また連絡する』
「あの、イギリスさん。咎めてるわけではないです」
『分かってる。驚いたんだろ』
「……ちょっと違う気がします。けど、この話はまた今度ですね。午後のお仕事も頑張ってください」
秋に咲く薔薇もある。だが、冬に咲く花はそうそうあるものじゃない。だからこの仕事場の、窓から見える庭も今は寒々しいばかりで、乾いた心は、庭を見ても癒えない。それならばと、残り少なくなった昼休憩を使って彼の声を聞こうと、手のひらサイズの電話機から電話番号を引っ張り出した。それが五分前のこと。
結果は芳しくなかった。声を聞けたことは素直に嬉しい。しかしそれだけではない。お互いに、隠し切れない寂しさを滲ませながら(自分は途中で隠すことを諦めたが)の会話は、楽しいものにはなりきれず、妙に隙間風の通る心が際立っただけのように感じる。
どちらが悪いわけではないはずだ。それでも。
「ごめんな――」
電話の向こうにいる人へ、くちづけを送った。
英国12時45分
日本20時45分
......END.
作品名:素直になってしまうとき 作家名:ゆなこ