気がつかなくてごめんね
眼に入った恋人に声を掛けようと、息を吸い込んでいると恋人が別の人を捕まえた。
――なんだよ。ま、あとでいっか。
「あ、アメリカさん、先日はお疲れ様でした。また移動続きだったのでしょう? 大変でしたね」
今度こそはと手を上げたが、日本の眼に映ったのは弟で。
――あとで、いいんだけど、さ。
「フランスさん! 丁度いいところに。例の作品展、反響がよかったと聞きました。嬉しいです」
いい加減言葉を交わしたいと、前に出たが、それより先に前に出た者がいた。
――た、タイミングが、悪いんだよな……
「ドイツさん、お疲れ様でした。次の話し合いの日取りを決めませんか? 慌てなくてもいいですが、早いに越したことはないですよね」
書類を持って、あちこちへ声を掛けて回る日本。
会議が終われば、誰もたいがいそんなもの。
せっかく一堂に会しているのだ。アポを取らずにつかまえることができる。この機を逃せば、いつまともに時間を取って話しができるか分からない。
同じ仲間としてはよくわかる、この情況を、イギリスは理解したくなかった。
「にほ」
「日本! 相変わらず可愛いあるな! 我の弟よー!」
話しかけようと声を出したが、彼の兄に被せられ、誰の耳にも届かなかった。
「日本のばかぁ! 一生一人でいろよぉ!」
堪らなくなって、遠くから叫んだ。方々から、ニヤついた気持ちの悪い、あるいは鼻白んだ視線が飛んでくるが、それらをイギリスが感じ取ることはなかった。イギリスに今一番必要なもの。それは日本だけ――
眼を見開いた日本が、はっと気がついてイギリスを見る。軽い足取りでイギリスに駆け寄ってくる。日本、日本が来てくれる! この胸に飛び込んでくる!
イギリスの期待を綺麗に砕き、日本はイギリスにタックルするように押して、押し出して、そのまま会議室を後にした。
「バカはあなたです!」
「い、いきなりなんだよ。俺は」
「知ってます! わかってます! ずっと私に声を掛けたそうにしてましたよね!」
「わかってたんなら応えろよ!」
「わかってたからこそ、後回しにしたんです!」
「なんでそんなことするんだよっ」
「なんでって……っ」
勢いよくまくし立てていたはずだが、ふと我に返って恥ずかしくなる。理由はある。けれどそれまで勢いに任せて言うには、日本は理性的すぎた。
「ほら、詰まった。どうせ大した理由はないんだろ」
日本の持つ歴とした理由を知りもせず、あまりに無理解に言うものだから。すっと息を吸い込んで吐き出すと同時に日本は言い切った。理性の蓋が開いたのだ。
「あなたと会うのに仕事のことを考えたくないからです! 仕事のためにイギリスさんとの時間を邪魔されたくなかったからです! どうせ大した理由じゃないですよ!」
「ではっ、私は忙しいので戻ります!」
身を翻す日本を、イギリスは滝に打たれたような顔のまま引き止めた。
言われたことの意味は、なんだか大きい。
「待って」
「放してください」
もがく日本を見ているうちに、理解できるようになっていった。
――日本は、俺との時間のために、仕事を片付けていた
「待って」
「……あなたが私といたい理由はしりませんが、少なくとも私は楽しみなのです」
「なぁ日本」
こっち向けって。
ぐいと引っ張って、向き合うかっこうをつくる。
黒い瞳は床しか映していない。なんてもったいない。他の、何か、もっと違うものを映せよ。
あぁそうだ、例えば俺とか。
顎を取って、口づけることは簡単だった。抵抗のての字もしない日本に笑いかける。
「ごめん」
......END.
作品名:気がつかなくてごめんね 作家名:ゆなこ