光の差す方へ
無数の銀の針が地を刺す。
スクリーンを通せばそれは、恵みをもたらし、総てを潤す天の雨に見えるのだろうが、カメラの前の現実のそれはただ、万物を傷付ける小さな凶器である。それなのに、なぜかその偽物のほうが、ただの水よりも美しく感じられる。
大きな謎だと、彼は思った。
その話を聞いて以来、ドミニクは大雨の日には必ず針を落としたその映画監督のことをちらりと考えるようになった。実際にはハンバーガーのような形をしているという雨粒は、まるで銀糸のように線を描いて地に引かれるように落ちていく。たまにそれが宙で緩慢に浮いているようにしか見えないことがあって、彼は目を凝らす。
時間が止まってしまったかのような錯覚は、ほんの一瞬の出来事で、彼はその錯覚に襲われる度に、地に降り注ぐ無数の針を思った。
幻の、偽りの、雨を。
雲で覆われても、雨が降っても、自分の周りを見渡せばモノが見えるということを、彼は不思議な気持ちで考えた。情報部の研修でカメラを渡されたとき、陽光がいかに強いものか、教えられた。曇りの日でも、室内より室外の方がよほど明るいのだという。陽光は人口の灯火の何十倍も何百倍も、強い。
太陽は、彼に目の錯覚を覚えさせるほどに強く、雲を貫いて、届く。
雲一つない快晴の日だった。ドミニクは額に手を翳した。濃い影が彼の顔を半分覆う。不敵な笑みで彼を挑発した少女は、今、鉄の塊を操って空を鳥のように駆け巡っている。
彼は地上でただそれを見上げている。それが彼の仕事であり、彼の本分だった。
アネモネが搭乗し、操作するジ・エンドを見る時、涙が溢れるように流れることがあった。まるで自然に、雲が堪えきれずに雨を降らすかのように、彼の目蓋は堪えきれずに涙を零した。
趣味の少ない彼には判然としなかったが、それはたとえば、ひとが優れた演劇や舞踏、絵画、彫刻を見た時に流す涙、あるいは優れた運動選手のパフォーマンスを見た時に流す涙に限りなく等しいものだった。言語を超えた、魂を揺さぶるような、感動といったようなものだった。
感情の名前を驚くほど僅かしか知らなかった彼にとってそれは、ひどく不可解なものだった。哀しくもないのに流れる涙など、彼はそれまで知らなかった。
彼女が切り裂いて、束の間残す雲間に見える青い空は、彼に救いを齎す。たとえ今は見えなくても、そこには空が、太陽が、存在している。今はそれが、まるで幻にしか見えなくても、実際にはずっとそこに存在しているのだ。
その事実を齎してくれる彼女の無自覚の強さが、ドミニクをただ揺さぶった。
彼女は所詮、紛い物、エウレカのレプリカなのだと、デューイが思っていることをドミニクは知っていた。彼の理想へと到達することができない彼女への苛立も。
彼女はエウレカという絶頂に、決して到達できない。
しかし自分はエウレカにはきっと感動することはないだろう、とドミニクは思った。彼女が齎した数々の奇跡のような美の集大成を突きつけられても、彼にはそれを愛することができなかったし、求めようとも思えなかった。衝撃を受けた。けれどもそれだけだった。
焦燥感と充実感が綯い交ぜになって、彼の中で煮え立つ水のように回転し、暴れ、それでも甘く彼を満たす。自分にはない強さ、自分にはないしなやかさ、自分にはない高邁さをもって、彼女は彼を昇り詰めらせ、たたき落とす。
自分が彼女を愛しているのだということすら、確信できない。それはもしかしたら地を撃つ無数の針のようなものかも知れない。愛だったらいいのにと思う。これがただの好意以上の感情なのだと願う。欲情以上の希求なのだと望む。
でも、それが本当の、本物の雨だと、観客に判るのだろうか?
愛情なのだと、彼に判るのだろうか?
スクリーンを通してしまえば、ただの映像。真実など判らないのではないか?そもそも彼は、愛情などというものを知っていたのだろうか?
もしかしたらこれはただの憧憬かも知れない、ドミニクは思う。デューイに抱き続けてきた感情と、結局は変わらないのかも知れないと、考えもする。
それでも。
それでも、自分の頬を伝う涙の温かさを、彼女に伝えたい。
アネモネがドミニクにくれたものが、それまで彼の知らなかった感情で、彼を導く強い光で、彼を徹底的に弱くして、究極に強くする、そんな魔法のような瞬間なのだと、彼女に教えたい。
彼女は、分厚い灰色の雲の上には確実に太陽があるのだということを示すほどの光なのだと、伝えたい。曇りの日の、あの分厚い雲を切り裂く力なのだと、伝えたい。たとえその光が彼の目を潰すほどの強さでもって、彼には痛みしか齎さないとしても、それは彼にすべてをくれたのだから。
まぼろしという名の、真実を。
流れ続ける涙を、彼は拭わなかった。