最終決戦
追ってきたライバーンを、無言でなぎ払い、しんがりのライアンが剣を納める。金属質の音がひとつ響くと、あとには静けさだけが訪れた。
そこは、恐ろしいほど静かだった。狭い足場の下にはマグマが沸き、胸がむかつくひどい熱を生み出しているにもかかわらず、静まり返っていた。それまで、倒しても倒しても無限に群がってきた魔物の姿は、いまやどこにも見当たらない。命知らずだった、あわれなライバーンの死骸が、まるで場違いのように、8人の勇者たちの背後に転がっているのみ。
傷付いた仲間に、ベホマをかけて回っていたミネアが、すみれ色の瞳を伏せる。
「父さん、見守ってて……」
形のいい眉がひそめられた。
「ネネ……」
正義のそろばんを握りなおし、トルネコは天を仰ぐ。「私は遠くでがんばってるよ」
「グゴ、グゲゲッゴ」
ドランは小さな羽根を広げ、気合を入れた。
天空の剣を持ったままだらりと腕を垂れていた勇者が、額に浮かんだ汗を拭った。
「ついに、」声が僅かに掠れる。「ついにここまで来た……」
デスピサロ。村を襲い、世界を襲い、進化の秘法を我が物にしようと試みた悪しき者。長年追い続けてきた憎き仇が、洞窟の奥で、待ち構えている。父さん、母さん、優しい村の人々、そしてシンシア。幸せだった――井の中の蛙の、ほんの小さな幸せに過ぎなかったけど――日々を一瞬にして奪い去った魔物の王が、もうすぐそこにいる。ようやく追い詰めた。……いや、本当は追い詰められたのかもしれない。自分たちがここまでたどり着くのを、デスピサロは手をこまねいて待っていたのかもしれない。
剣柄を持つ勇者の手に汗が滲んだ。楽しみなのか、それとも不安なのか、よく分からない複雑な感情が、知らず知らずのうちに身体を強張らせ、表情を曇らせる。
そのためか、不意に肩を叩かれた衝撃に、びくりと身体を震わせた。
「クリフト……」
目を丸くし、それから大きく息を吐いた勇者に、クリフトは、そっとと笑いかけた。生と死、対極の呪文を自在に使いこなし、仲間を助ける神官は、言葉が出ずに止まっている勇者の肩をもう一度叩く。
「たとえ、どんな相手でも」
深く被った帽子を被りなおし、クリフトはゆっくりと頷いた。
「このクリフト、命が枯れるまで、ひたすら戦うのみです」
「勇者どの」
低く、力強い声で勇者を呼ぶのはライアン。しっかりとした歩調で勇者に近づいてくる。
「勇者どのとここまで来られたこと、このライアン、誇りに思いますぞ」
歴戦の兵、繰り出すその一撃は重く、一撃で魔物を屠る。何度も勇者に剣の稽古をつけてくれた王宮戦士は、そのいかつい顔に朗らかな笑みを浮かべた。
「前だけ見てましょ」
いつもの明るい声でアリーナが言う。腰には悪魔の爪、手にはキラーピアス。いつでも持ち替えが出来るように点検しながら。
「もう私たちの後ろに道はない、そう思いましょうよ」
姫らしからぬ行動力と、持ち前の明るさで、いつも周りを照らしていたおてんばなサントハイムの姫君。こんな状況でも、けして後ろは振り返らなかった。
仲間が、自分を勇気付けてくれていることを、勇者はひしひしと感じた。思えば、辛い道のりだったが、楽しい旅だった。世界を救う旅なのに、楽しいだなんて思ったら怒られるかもしれない。それでも、ここにたどり着くことが出来たのは、他でもない彼らのおかげだ。選ばれし者、導かれし者などと、なんだか堅苦しい環で繋がれているらしいが、そんなものがなくとも、彼らはずっと前から、そしてこれからもずっと、掛け替えのない仲間たちだ。若き青年勇者は、天空の盾を持つ手に力を込めた。――そう、これからも、ずっと。
「勇者どの」
ゆったりとした声が響く。振り向くと、そこにはブライがいた。
「最後の戦いが怖いですかな?」
まるで道を尋ねる旅人のようなのんきな口調だった。だが、白く豊かな眉の奥にある瞳は、なにか真実を見据えんとする賢者のごとく、遠慮なく勇者を見つめている。
「……いや」
怖い?怖くなどあるものか。勇者はそう言おうとした。自分を信じてここまでついてきた仲間たちを前に、怖気づいてなどいられはしない。しかし、言葉にしようと息を吸うと、なぜか声が出なかった。怖い。そうだ。僕は怖いのだ。
「……怖いよ。すごく、怖い」
「正直ですな」
ブライは首をすくめる。呆れられたか。旅の目的である、討つべき敵を前にして怖いなどと、誰一人として言ってはいない。そんな意地の悪い質問をしてくるブライもブライだ。勇者は小さくため息をついてうなだれた。だが、次に続くブライの言葉に思わず垂れた頭をまた上げることとなった。
「しかし、恐れることはありませんぞ。勇者どのには、私たちがついておりますからな」
「……え?」
顔を上げた、視線の先。勇者よりもひとまわり小さなその老師は、ふだんの飄々とした表情ではなく、見るからに人のよさそうな笑顔を浮かべていた。周りを見渡せば、他の仲間も同じような笑顔だ。誰一人として、臆病な勇者に呆れている者は、いなかった。
「みんな……」
「こういうとき、ためらったヤツは負けるのよ!」
とびきり明るい声で進み出たのはマーニャだ。モンバーバラきっての天才踊り子は、自信たっぷりに言い放つ。
「さっさと片付けるわよ!いざとなったら私がドラゴラムで変身して、デスピサロでも何でもふん捕まえてあげるわ。大きさなら対等でしょ。その隙に、その幻の剣とやらで、ズバッとやっちゃって!」
「天空の剣よ、姉さん」
「はははっ、私があれだけ探し回っても見つかりませんでしたから、確かに幻ですけどねぇ」
勇者は見た。はるか昔からずっと仲間であったかのような、彼らの暖かさを。荒れ果てた村から一人旅立ち、彷徨い、勇者となった頼りない自分を、力強く支えてくれる彼らの頼もしさを。
孤独とともに旅立ったはずの勇者は、いつのまにか、ひとりではなくなっていた。
「よし、」
急に目頭が熱くなるのを感じ、勇者は天を仰いだ。今はまだ、感傷に浸るときではない。
「行こう!」
力強く、勇者は叫ぶ。天空の剣を掲げ、天空の盾を握り締めて。背中に仲間の暖かさを感じながら、進む。
迷うことなく、力強く、一歩。