CoC:バートンライト奇譚 『盆踊り』前編
「……今の声は? ――ここは?」
冒険家教授バリツ・バートンライトが気づいた時、彼は暗闇の中にいた。
(私は、執務室にて作業をしていたはずだ……だが、あの太鼓の音で……)
目の前で、光が唐突に爆ぜる。
――燃え盛る焚き火であった。
それは煌々とあたりを照らし出すが、未だ周囲を広く窺い知ることは叶わない。
彼は気持ちを落ち着けるために、深呼吸する。
湿り気を帯びた土と、瑞々しい木々の匂い。
心地よい、夜の空気。
ともあれ、立ち止まってばかりもいられまい。
彼は前へと踏み出す。
「待ちなさい」
風を切る音。金属音。
鼻を掠め、そのまま留まる、火薬の薫り。
バリツは凍りついた。
自分は銃を向けられている。
だが……
「アシュラフ・ビント・へサーム君」
心当たりはあった。
参ったとばかりに、バリツ・バートンライトは両手をあげる。
「シャレにならないぞ……その銃を降ろしたまえ」
彼が冷や汗と共に見下ろすのは、一人の少女だった。
身長140センチといったところか。
黒尽くめの、ゴシック・アンド・ロリータ風ファッション。
道ですれ違えばハッと振り返ってしまうかのような、可愛らしい顔立ち。
仄かな明りに煌く、銀の長髪。
――構える右手には、似つかわぬ巨大な拳銃。
バリツは銃に詳しくはなかったが……デザートイーグル?
いったいどこでこんなものを。そもそも大の大男でも片手で扱っていいような代物ではないぞ。
「この邪教徒……」
幼い少女のそれに相違ないはずの声に、重い殺意がにじみ出る。
深い光を湛えた宝石めいた瞳に、敵意が宿る。
「バリツ・バートンライト。何故あなたが、私の名前を知っているのですか?」
「造作もない。初歩的なことだ、友よ」
精一杯の笑顔で、バリツは言い放つ。
「冒険家教授たるもの、調べはつくものさ」
アシュラフは、はあ~っ、とため息をついた。
「ロリコンですね」
唐突に一言。
「……何?」
「変態」
「待ちたまえ」
「ファッションダサい」
「なんてことを」
「硬派厨中二病」
「どこでそんな言葉覚えた」
「年収三千万のくせに毎日お茶漬け」
「何で知ってる!」
「ロリコン」
「こらー! 邪教徒呼ばわりより断然傷つくわ!」
「うわあ~」
間に入るかのような、間延びした声。
作業着に身を包んだ大柄の男性であった。
「うちの所長ロリコンかよ~」
短い縮れ毛。親しみやすさを感じさせる福福しい顔つき。
胸部には、タン・タカタンというネームプレート。
彼はバリツにとって顔なじみの男であった。この大男は、自分の邸宅に勤める専属スタッフなのだ。
彼もこの場に来ていたのか――いや、それにしても何たる物言い。
「タン君……きさま」
助手を視界に捉えつつ、バリツの眉はぴくぴく震える。
「まあ争うのやめえや」
タン・タカタンは近づき、上機嫌に、アシェラフに語りかける。
バリツが爪先立ちして届くか否かの高身長を有する彼であったが、こうして少女と並び立つと、改めてその体格を自覚する。
飲酒から間もないのか、顔が赤らんでいる。
バリツは悟った。こやつ、作業着から着替えないまま晩酌していたのか?
「うちの所長が何かやらかしたんやろ? こいつ変態だからさあ」
「後で覚えていたまえよ、酔っ払いめ」
引きつった笑み、眉間に皺、額に血管。バリツ。
タンは気にも留めず続ける。
「とりあえず、その銃を下ろしてさ。ここは穏便に」
風圧。金属音。
少女の長髪がふわりと舞い上がる。
タン・タカタンは呆けたように目と口を見開いた。酔いが消し飛んだ。
左手の小さな拳銃が、彼の額を真っ直ぐに狙っていた。
右手の大口径拳銃で、バリツを狙うまま。
目にも留まらぬ速さ。
「P220やん……」タンが呆けたように呟く。
「愚かなる邪教徒ども。今ここで二人とも肉の器から解放してさしあげましょうか」
呆然としたまま(両手は挙げたまま)、二人の大の男は顔を見合わせた。
アイコンタクトで、無言のやりとり。
(所長、これ積んだんじゃね?)
(あー、これはちとマズいかもしれん)
バリツ・バートンライトは、マーシャルアーツ「バリツ」の嗜みを。
タン・タカタンは、元自衛官のキャリアを有していた。
そんな大の大人が、二人して悟っていた。
この少女には勝てない、と。
「おお! そこに誰かいるのか!」
豪快な声が響いたのはその時だった。
三人はいっせいにそちらを振り向いた。
筋肉質の男が一人、焚き火の側へと歩み寄り、立ち止まった。
バリツと同等の身長。秋の夜にはやや肌寒そうにも見える甚平。
作業具でも入っているのだろうか。腰にはウェストポーチ。
堂々たる腕組。仁王立ち。
そして。
「そこの君……何故頭にツボをかぶっている?」
バリツは問うた。さり気なく、銃口からそそくさと離れながら。
少女も、何じゃあいつとばかりに言葉を失っている。
そう――彼は頭に壷を被っていたのだ。まるで誰かに目隠しされたかのように。
しかし、全く視界に困っているそぶりがない。良く見れば、こげ茶の壷に描かれた、黒く繊細な模様の中に、覗き穴めいた部位が確認できるが――。
「我が名を聞きたいか」
会話がちょっとかみ合っていない。
タンは呆れて、
「いや、そっちじゃなくて」
「我が名は斉藤。斉藤貴志だ」
「……」
「……」
「……またもや邪教徒」
沈黙。
「それより」斉藤が口を切った。「ここは一体どこなんだ」
きょとん、とばかりに、バリツとタンとアシュラフは、顔を見合わせた。
「確かに道理だ」
「つーか、そもそもの話だよな」
「そう、これも邪教の策略というわけですね」
「きみがっ!」「言うなやッ!」
異口同音に、大のおとな二人は叫ぶのであった。
ドン!
突然の大太鼓の音が、四人の臓腑に響き渡る。
ドン、ドン、ドン!
音に連なるかのように、環状に設置された松明が、手前から遠方へと次々と灯り、あたりを照らし出していく。
この場所の全貌を明らかにしていく。
ラジカセ音源であろう。小気味のよい和のBGMが、秋の大気を振るわせる。
気づけば空には星が瞬き、その下の広場に高い櫓があった。
10人は優に超えるだろう、複数人の男女が、櫓を囲み、踊っている。
そして櫓の上で、誰かが大太鼓を叩いていた。
彼らの目の前に、盆踊り会場が広がっていた。
そう。
彼らは、この場所へ誘われたのだ。
この鬱蒼と茂った森の、山の、ど真ん中に。
――尾取(おどり)村に。
作品名:CoC:バートンライト奇譚 『盆踊り』前編 作家名:炬善(ごぜん)