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ゆち@更新稀
ゆち@更新稀
novelistID. 3328
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同族嫌悪

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衝動的殺意も全て計画的範疇の間を彷徨う哀れな子羊、である。


それ以上、どうしても腕が動かなかった。
筋が強張って、肘の辺りにまで震えを走らせる。痺れは伝わらない。

ナイフの柄を握り締める指が全部、蝋で固められてしまったかのように、動かない。だが、それはナイフを離そうともしない。
あとほんの数cm。
その壁を超えることが出来たならば、解放されるのだ。
憎悪、恐怖、嫌悪、焦燥、身体の奥底まで根を張るそれから解放されるのだと、正臣は知っている。

今、目の前で眠っているこの男の喉元に、ナイフを突き立てることが出来たなら。

「ああ、駄目よ」

そんな持ち方じゃ、上手くいかないわ
ここ、この部分にね、頚動脈っていうのが通ってるのは知ってるかしら
そこを、こうすぱっと切るとね

確実に助からないからお勧めよ

女の台詞と声を脳内で結びつける、再生。その行為より先に正臣は”矢霧波江”を認識する。
今まさに、上司が命の危機に瀕しているというのに女の顔に表情、なんてものはとうに存在しない。
むしろ、正臣の手を取って、アドバイスを始めている。
そんな女の端正な横顔に、目を奪われている。ぱちり、と視線がかち合った。

「やらないの?」
「――・・・止めないん、すか」
「止めて欲しいのかしら?」

波江はそのまま正臣の手からするりとナイフを抜き取った。
刃先に指を滑らせる。つぅと、紅が雫となって白い肌を伝う。

「貴方を手助けする義理はないけれど、」

臨也を助ける義理は、もっとないわ

「興味が、ないもの。誰に臨也が殺されても、私は少し困るだけ。少し困るけれど、それだけよ」

大したことじゃないわ、気にしないで

「でも、”自分は誰かに止められてしまう”と思うくらいの殺意なら」

人は殺せないわ

「・・・・・なら、あんたにならやれるのか」
「やれるわ」

くるり、とナイフの柄が波江の手の平の中で踊る。

「私は、”自分のため”なら人を殺せる」

でも、貴方”達”には無理よ

「・・・・達?」
「ええ、貴方”達”」

波江はベッドに近付くと、寝息を立てる臨也の額に手を当てた。
「大分、下がったかしら」と抑揚の無い声を発すればナイフを、からんと音を立ててお盆の上に置いた。

「ご苦労様。もう帰っていいわ」

それとも、

「続けるというのなら、好きにすればいいわ」

嗚呼、ようやく感覚が戻って来た。手の平の、指先の、体温と、感覚が。
それを確かめるように、二度三度握り締めては離し、握り締めては、離し、た。

未だ、震えは止まらない。

「帰ります」
「お疲れ様」

声だけのやり取り。
上着と鞄をひっつかんで、それを着ることもせず正臣は外に出て、勢い良く扉を閉めた。
走っていたわけでもないのに、動悸が酷い。呼吸が上手くできない。
ずる、と足元から力が次第に抜けてゆく。

悔しかった。
それから少し、ほっとした。

流行遅れの着メロディが、マンションの薄暗い廊下に木霊する。
――――「沙樹」
ディスプレイ画面に表示された文字をなぞる。

伝い落ちる涙と、それを堪えようとする嗚咽が、メロディと交響して、ぷつりと消えた。




それでも皮肉なことに世界は終わらないし終われないのだ


作品名:同族嫌悪 作家名:ゆち@更新稀