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【弱ペダ】外つ国より

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冬休みに出た課題と格闘していた巻島は、ふと集中力が途切れて目を上げる。留学先である大学の学寮で、巻島に割り当てられた一室だ。暖房が掛かっているにも拘らず、冷気が忍び込んでくるように冷える。机の前は観音開きの縦長の窓で、外は夜の顔に変貌した街並みが額縁に入った絵のように見えた。昼間は立ち並ぶ甍の向こうに古い教会の鐘楼や尖塔、古くからの大学の建物が見えるのが密かなお気に入りだ。
 ふ、とため息をついて、同じく机の前に立て掛けた一通の手紙を手に取る。日本からのエアメールで、封筒の両端に赤と青の縞模様が入っているが、その幅が狭く見えるくらい膨らんでいる。
「一度も返事してねーのに…」
 坂道が毎度分厚い手紙を送ってくる。日々のことや部活のこと。同じく卒業してしまった金城や田所よりも距離があるからなのかもしれない。
 そして、坂道にとって、彼ら二人の関係性も、この手紙の分厚さに比例しているのだろう。
 それに対して、巻島が返事をしない理由はいくつもある。
 だが、そのうちのいくつかは確実に、坂道に会えないから、というものだ。
 自分の気持ちを自覚するも、同時に滅多に会えなくなると判っていた。そんな相手を作れば、自分も相手も辛くなる。そう判っていたにも関わらず、それでも募る気持ちに抗えず、強引なほどに手に入れた。挙句体まで繋げてしまった。
 坂道から寄せられる見返りを求めない好意に、最初は戸惑った。同じクライマーだと言う関係性で終わると思ったのに。こちらの戸惑いや意思など関係なく、ただ全力で表される坂道の敬意と好意は、思ったよりも気持ち良かったのだ。二人で競って走る山は、練習だと言うのにとてつもなく楽しかったのだ。
 自転車を降りたら、何もかもが違う二人なのに、自転車だけは一緒と言う落差も良かったのかもしれない。
 気がついたら、あられもなく好きだと全力で伝えてくる存在を、愛しいと感じるようになっていた。先を考えれば二人には難しい前途しかない。そう判っていながら、己の気持ちを抑えられなかった。
 巻島はかさりと手紙を開く。日々の出来事が事細かに綴られている。
「よくまぁ、こんなに書くことがあるっショ」
 苦笑にも愛おしさがこもる。
 峰ヶ山でタイムアタックをしたこと。最近は平坦もきちんと練習していること。ウェイトトレーニングで大分力がついたこと。山の練習は、同じ一年の今泉と鳴子が付き合ってくれること。
 部活の現状は、金城や田所、手嶋や古賀からも割とマメに送られてくる。だから、重複した情報が多い。だが、決定的に違うのは、坂道が書いてくる手紙からは、巻島への好意が溢れそうに感じ取れるところだ。
 文字にされていないのに、こんなに気持ちがわかるなんて、自分でも不思議に思う。冷静に見たら、自分の妄想なのではないかと疑いたくなるくらいだ。
 それでも、その一文、一枚が愛おしい。
 今でも、坂道と両想いになったことを後悔しないでもない。こんなに会えないことが辛いと思わなかったからだ。
 だが、伝えなくても辛かったことに変わりはない。
 どちらがより耐えられなかったか、と問われたとしたら、どちらであっても辛かっただろうとしか思えない。
 ならば、伝えるほうがまだマシだと、そう思ったのだ。
 果たして、残り少ない時間を共に過ごして、体を重ねて。離れた。そのことで余計に坂道にも辛い思いをさせているだろう。それでもどうしても手に入れたいと思うほどの存在であったのだ。
 気付けば、坂道の存在が傍にないこと、一緒に自転車で走れないことを、カレッジのフォーマルディナーやほんの時たま同級生に連れて行かれるパブなんて酒の席で普段飲まない酒精に緩められた箍のせいで、うっかり誰かに愚痴ってしまいそうなほどに。
 この後のことはわからない。いずれ共にあることができるかも知れないし、いられないかも知れない。それでも、手を離すことだけは考えていない。
 ならば返事をこまめに返せば、坂道を少しは安心させてやることもできるだろうに。
「俺のワガママ、だな…」
 わかっていても。大丈夫だと、安心できる言葉をかけてやれば。それだけ自分も耐えられなくなる。
「まだ寝てるッショ」
 手元の通信端末を見る。世界時計に日本の時刻も同時に表示されるようにしているのが、我ながら未練がましいと苦笑する。九時間の時差。日本の方が早い。年が改まって、早ければ仲間たちと初詣にでも行っている頃かもしれない。巻島はこれから年が明けるところだ。
 普段は大学生や大学関係者でにぎわう街だ。だが半数以上の人々が帰省してしまい、街は普段よりも静かだ。ここの住民は家で家族と共に年明けの瞬間を待っているか、そうでなければ、友人同士で辛うじて営業しているパブやクラブなどへ繰り出しているだろう。寮でも残っている学生の一部が飲み物を持ち込んで友人同士で騒いでいるのだろう。石造りと使い込まれて黒くなった木材で構成された堅牢な建物全体が、新年を迎えるその時に向けてそわそわとするようなざわつきに満ちていた。
 両親は今年も仕事先の海外で年越しを迎えると言っていた。同じイギリスに居る兄も、休暇でありながらも完全に休みにならない、仕事の諸々に追われているはずだ。巻島自身も先ほど、同じように残っていた学生から年越しの集まりに誘われたが、なんとなく一人でその瞬間を迎えたくて断った。
 一分、一秒と、新たな日に変わる瞬間が近付いている。その瞬刻ですら一緒にいることができない、このもどかしいほどの距離。
 窓の外、だが、実際のその景色ではない遠くへ目をやる。
 そして。ただ、外つ国より、愛おしい相手に想いを馳せる。
 自分の全てだと、並んで歩むただ一人の相手だと。言葉にできぬまま、それでも伝われと願う。
 決して届かぬ程に離れたこの地から。
 ワァ、と言う歓声が遠くから聞こえた。

――end
作品名:【弱ペダ】外つ国より 作家名:せんり