ハッピーエンド
ほとんど本が電子データ化された時代だから、図書館は町から殆ど姿を消したといっていい。アンドレイは町の隅に佇むその姿を見、迷いなく中に入った。中は、しん…と静まり返り、古びた木製のカウンターには、老人がひとり座っていた。
「……ご老人」
「あぁ、珍しいね。人が来るなんて」
眠りかけていた老人は、ずれたメガネをかけ直しながら、にっこり笑った。
その笑みが忙しいこの世の中から少しかけ離れていたからアンドレイは困惑した。軍人の服を着ていると大体は警戒されるものだ。
古びた図書館の中に差し込んでくる夕方のオレンジ色の光。それに目を細めると、ふわふわと舞う埃が前を通り過ぎていった。
「本ならいくらでも。持っていけばいい」
「持っていく?貸すの間違いでしょう」
「いいや。ここはもう無くなるからね、間違いではないよ」
アンドレイは困惑した。本を持っていけと言われても、どれを選べば分からないし、それ以前にいきなりそんなことを言われても。
「特にないのなら……、そうだな。お前さんにはこれが良いかな」
「……はぁ」
思わず気の抜けた返事をしてしまった。
それでも、老人は咎めず穏やかに笑うものだから、結局その本を返せずにアンドレイは図書館を後にした。
ちらちら、と雪が降ってくる。
暗い雪雲を見上げながら、これは本格的に降るかもしれない、と思った。交通に影響が出る前にと早足になった時、ばさりと本が抱えていた脇から滑り落ちた。
「……絵本」
アンドレイはその時はじめて老人から貰った本を見た。
小さな子供が読む――この国の者なら大体が読むものだ――有名な絵本だ。小さな子供が、ひとりで留守番をする話で、留守番している間に雷が鳴ったり雪の妖精が惑わしに来たりする。
物語を思い出しながら、アンドレイは呟いた。「たしか……最後は……」
――最後は、ハッピーエンドだ。
アンドレイは図書館を振り返ったが、電灯がない小さな町ではもう建物の姿は見れない。
なぜだかツンと鼻の奥が痛くなった。