楽になりたい
どうせ部長の勝ちや。あほらしい。ようあんなマジになってかかっていく気になるわ、自分の実力もわからんのか。
白石のテニスはいつも隙がない。裏をかいたつもりが、あっさりかわされる。基本に忠実だとよく言われるが、だからと言って同じようにやってもあれだけの力を発揮出来る選手など中学生にはまずいないだろう。努力で追いつけるとも思えないほどの、持って生まれたセンスの違い。
かなわない、と思う。いつもいつも。悔しいとさえ思わなくなったのは、いつの頃からだったか。
その白石に真っ向から勝負を挑む謙也が馬鹿なのだ。
スピードしか取り柄がないくせに。そんなもんに惑わされる部長やないって、わからんわけないくせに。真っ直ぐな瞳は白石をとらえ、渾身の力でボールを打ち込む。あほやな。負けに決まってるやろ。どうやってその点差ひっくり返すねん。ほら、部長は余裕やで。あきらめ、あきらめ。
心の中で、必要以上に毒を吐く。本人に言ったって別にかまわないが、さすがに試合中にそんなこと大声で言ったら、ただのヤジだ。それはかっこ悪い。とてもかっこ悪い。試合終わってから言うてやろ。
早く、試合なんか終わったらいいのに。さっさとあきらめたらいいのに。かなわない、かなわない、と反芻しながら、謙也の汗で湿った髪が揺れるのを眺める。脱色のしすぎで、傷んでる。とっくの昔から知っていたことを、まるで今初めて発見したかのように思った。
ああ、だるい。
「財前、熱心やなあ、さっきから」
「ほんまほんま、ええこっちゃ」
声で誰だかわかるだけに、わざと面倒くさそうに振り返ると、先輩たちがにやにやこちらを見ていた。キモい。いつものことやけど。ていうかいつからこんな近くにおったんや。
「ちゃいますよ、つまらんてしゃあないっすわ」
「言うなあ、光は。先輩の試合がつまらんか」
「こんなんもう勝負見えてるやないすか。謙也さんはあほやから最後までわからんとか思ってんのやろうけど」
かわいないなあ、と言いながら頭に手を置かれ、とっさに振り払う。大げさに驚いた小春を睨みつけると、おお怖い、と身体をくねらした。ほんまキモい。キモ過ぎる。
「まあ今の謙也が勝てるとは俺らも思てへんけどなあ。けど、謙也の意地もわかるやろ、あの二人は仲ええからな」
「せやなあ、仲ええ分、かえって意識してまう気持ちくらい理解したりや」
小春と一氏の言葉に、はん、と鼻で笑って返してやる。何が意地や。かっこ悪い。勝たれへんのやから、余計かっこ悪い。そんなん理解したくもない。あほらしい。
試合はまだ続いている。絶対勝たれへんのに、あきらめもせんのか。
あんたがどんな意地を持ってようと、白石部長の足元にも及ばん。向こうやって、負けるなんてこれっぽちも思ってへん。せやから。
早く終われ、こんな試合。
当たり前のように、タオル、と俺に手を出す。はあ、と大きく溜息をついて、謙也の大きなスポーツタオルを放り投げてやる。
「なんやねん、ちゃんと渡しいや、態度悪いな」
「文句あんねやったら自分でとったらええんちゃいます」
「おまえ、後輩のくせにほんま感じ悪!」
「謙也さんなんか先輩やと思てませんわ」
「なんやと!」
ぐい、と肩を掴まれるが、その場に踏ん張ってよろけまいと姿勢を保つ。ほんまに呆れて物も言えん。結局負けて八つ当たりやんか。そんなんでよう先輩ぶれるわ。
言おうと思っていた言葉は、全部ただの息になる。さっきまで白石部長を真っ直ぐに見ていた目が、今は俺をきつく見据えている。
イライラすんねん。その目も、体温の低い俺の肩に触れる汗ばんだ手も。何もかも。
「おい、謙也。財前で憂さ晴らしすんなや」
しょうもない、と白石が横から口を挟む。その途端に、ち、と言う激しい舌うちとともに手が離れていく。触れられていると、気持ち悪かったはずなのに、急に惜しくなる。そんな自分すらもイライラする。
「部長に負けるたびにこれですわ。巻き込まれてかなわん」
「財前もそう挑発せんでもええやろ、ほんまおまえらは寄ると触ると喧嘩になるなあ」
かなわんのはこっちや、と笑う白石に、周りの部員たちも賛同して笑いの輪が大きくなった。
「やって、こいつが生意気なんやからしゃあないやんか」
「そこがかわいいんやないの、光は」
「気にいらん言いながら、一番かまってるの謙也やしなあ」
「そんなんちゃうて、白石、」
イライラする。
白石に止められると、不服でも引き下がる謙也に。みんなにからかわれていても、気がつくと白石にだけ弁解をする謙也に。
あんたが白石部長に勝ちたいんは、親友としての意地でもなんでもないんちゃうの。
「気にいらん言いながらなんか、かまってほしないっすわ」
ぽつりと出た言葉は、本音だったのに。
拗ねるなだの、照れるなだの、見当はずれな戯言を全身で拒否しながら、謙也の視線だけを避けていたら、無性に情けなくなった。
白石部長にはかなわない。
「そういじめたんなや」
そう言って、庇ってくれたのはよりによって白石で。頭に置かれた手のひらを、なぜか振り払えずに重みを感じる。この手が謙也のものだったら、ひっぱたいてやったのに、と下らないことをふと思う。