欠陥シナプス
これはね、彼の、あいのあかしなんだよ。
意味が判らなかった。だから思わず、柄にもなく間の抜けたカオをしてしまった。問題の人物は依然として、顔や身体に無数に散らばるそれらを、嬉しそうに、愛おしそうに、うっとりとして、否もはや恍惚の表情さえも浮かべて眺めている。え、今、なんて?
だから、これらはね、ぜんぶ、彼の俺に対するあいのあかしなんだ。彼はとてもシャイで、ぶっきらぼうで、不器用だ。だから、言葉の上では巧く表現できないんだよ。それをひとは暴力だの嫌悪だの憎悪だの、そんなナンセンスなものなんかで片付けてしまおうとするけれど、俺にはきちんと判るんだ。これも、俺が彼をあいしていて、そして彼も俺をあいしているからだと思うんだよね。
へらへらと。これまでに、かつて、これ程までに嬉しそうな彼の表情を見たことがあったかと問われれば、それは残念なことに首を振るより他ない。そのくらい今の表情は、この世のすべての幸福を手に入れたような、天使たちが迎えに来たような、これからの人生がすべて巧くゆくと保障されたような、そんな晴れやかで清々しい、しあわせそうな表情である。しかしそれだけならばなんら支障はないが、それを浮かべる顔面には殴打の跡が痛々しく残り、溜め息(ただし幸福の、である)混じりに撫でられる腕には、幾つもの青紫に変色した痣が点在している。意味が、判らなかった。何故、どのようにして解釈すれば、それらが愛の証などとほざけるのだろうか。理解に苦しむどころか寧ろしたくない。脳内の回線が、変な方向にイッてしまっているとしか思えなかった。
たぶん、彼、と言うのは、池袋の自動喧嘩人形として名高い彼のことだろう。どう考えても、どこから見ても、彼は嫌悪しているに違いない。それは明確なのに、寧ろ、何故そのように考えられるのかが不思議で仕様がなかった。こちらが正常である筈なのに、そうあんまりにも饒舌に、ナンセンスだのと批評されてしまうと、どうして良いか判らない。
しかし。と、思う。もし私で考えて、相手が弟だと思えば、その感情も理解出来なくはない。つまりそれはきっと、溺愛する者に対してのみ働く思考回路なのだろう。ああ、と、腑に落ちた。それに、実のところ言ってしまえば、わたしには微塵も関係のないことである。ゆえに、このようにじくじくと考えていることも、つまるところ無駄でしかないのだ。やめた。そこまで考えると、非常にこの今までの時間が馬鹿らしく、くだらなく思えてしまって、ちいさく1つ嘆息して、あとは、書類のコピーの為に放置することにした。もう手の施しようがない。
きっとその目にそれらは、どうしようもなく輝いているに違いないのだから。
(ああなんてイカれてしまっているの。)