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掌のボタン

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「日本。」
どこで引っかけたのか、アメリカさんが私の家に来た時、洋服の袖のボタンが取れていた。
代わりのボタンを縫い付ける私に縁側に座って春の日の光を浴びていたアメリカさんが呟くように私を呼ぶ。
「なんですか?」
「…日本は俺の51番目の星になるんだぞ。」
「はぁ…。」
突拍子な言葉に間抜けな返事をかえす。
この人はいつもそうだ。突然わけのわからないことを言って周りを困らせる。
「なるんだぞ。」
「そう、はっきり断定されましても…私にはなる気はありませんよ?」
外を見ていたアメリカさんが勢いよくこっちを見た。
「じゃぁ、日本はロシアの左心房になる気なんだな!」
その顔は面白いくらい必死だ。ヒーロー気取りで残酷なことを考えるいつものこの方らしくもない。

「いぇ、それもなる気はありませんよ。」
キッパリと否定をしたからか、アメリカさんは幾分安堵の表情を浮かべた。
しかし、またすぐに難しい顔になる。
「でも、ロシアは言ってたんだぞ。」
それで全て理解する。
ああ、またロシアさんが不機嫌だったんですね。
アメリカさんに喧嘩を売ることで遠まわしに私への嫌がらせになることをあの人は知っている。
なんて、厄介。

「からかわれたんですよ。」
「ロシアの奴、むかつくんだぞ!日本のことを『僕の物』とか言って…」
ブツブツと文句を言うアメリカさんに苦笑しつつ、一つ気になった。
「それに、アメリカさんはなんとお答えしたんです?」
「…い、言えないんだぞ。」
「・・・言えないような汚い言葉を使ったんですね?」
「ロシアが悪い!」
自分は悪くないと主張するアメリカさんに思わずため息が出る。
どうして、お二人はこう、好戦的なんでしょう。

「貴方も大概虐めっ子ですよ。」
「日本…俺は悪くない、悪くなんかないんだぞ。」
痛いほど手首を握られる。
あ、マズイ。
と、思ったときはもう遅かった。




「日本。」
アメリカさんがぼんやりと呟くように私を呼ぶ。
私は体中のあちこちが軋んで痛いため、視線だけ向けて小さく返事をした。
「はい。」
「日本は怒ってるんだぞ。」
「…はい?」
何故私が怒っていると思われるのだろう。
アメリカさんのこんな暴挙を許しているというのに。

「別に、怒ってませんよ。」
アメリカさんをみると、シャツのボタンが2,3個取れている。
せっかく袖のボタンを付けたというのに…何故あんな引き千切るように服を脱ぐのか、この人は。
ちなみに出来れば私も服を着たい。春とはいえ夕方になってきてこんな全裸に近い状態では肌寒い。
頭を上げて自分の服を探すと、随分と遠くへと捨てられていた。
あんなところに…あそこまで動くのも辛い。

「怒ってる、から、俺のとこまで来ないんだぞ。」
「は?」
アメリカさんの青い目がまだ薄黒い。
…本当に、恨みますよ、ロシアさん。

(それこそあの人の思う壺だけど)

「日本は本当は俺を好きじゃないんだぞ。だから、どうでもいいんだ。」
「…それも、ロシアさんの入れ知恵ですか?」
アメリカさんの肩が揺れる。図星のようだ。
私は重たい体を引き摺ってアメリカさんに近づく。
そっと抱き締めると子供の体温のようでとても暖かい。
「ふふ、また少し肥えたようですね、アメリカさん。」
「そ、そんなことないぞ!ハンバーガーは一日10個から8個に減らしたんだ!」
「…その分コーラを増量したでしょう?」
また、アメリカさんの肩が動くのがわかる。

「大丈夫、私は貴方を嫌ったりしませんよ。」
「日本。」
「我が国は貴方に救われたことを忘れません。」
同時に、傷つけられたことも、と心の中で呟く。
「私にはアメリカさんが必要です。」

アメリカさんの体に入っていた力が抜けて、そのまま一緒に倒れこんでしまった。
すぅ、すぅ、と規則正しい寝息が聞こえてくる。
暴れるだけ暴れて、疲れたら突然眠るなんて赤子のようだ、と思わず笑みを浮かべる。

まだ涼しい春の夜風に吹かれ、思わずアメリカさんに擦り寄る。
ああ、暖かい。このまま、眠ってしまおう。

誘惑に負けた私を待っていたのは寒気と頭痛と鼻水という、風邪だったのだけれど。







「日本くん。」
「…ロシアさん。」
にこにこと笑うロシアさんの頬は腫れあがっている。
「マスクなんかして、駄目だなぁ。裸で寝ちゃ。」
「まるで見ていたような口ぶりですね。」
「酷いな、さすがに盗撮まではしてないよ、これは僕の想像。」
「・・・どうされたんです?その頬。」
「わかってるくせに。」
ええ、もちろん。そう言ってやろうとして止めた。
「すみませんが、急いでますので失礼します。」
「日本くん。」
私の言葉を完全無視して、ロシアさんが私に呼び掛ける。
「…何でしょう?」
「僕はちゃーんとサインしておいたでしょ?」
「は?」

「アメリカくんの此処、取れてたでしょ?」

ロシアさんは楽しそうに自分の服の袖を指さす。
そう言われてアメリカさんの袖のボタンがとれていたことを思い出す。

「ホラ、コレ、返しとくね。」
ロシアさんが手を差し出したので、反射的に手を出すと、コロンとボタンが転がった。
「代わりにうちにあったボタンを縫い付けてしまいましたよ。」
「知ってる、さっきそこで会って自慢されたから。」

「僕、本当にアメリカくんは苦手だなぁ。」

にこにこと、ロシアさんは冷たく言い切った。

「なら、かかわらなければ良いだけですよ。」
「うん、でもね、彼が一番理想的なんだ。」
何に理想的なのか、と思った瞬間、ロシアさんは私の心を呼んだかのように笑って答えた。
「君を壊す相手としてね。」
「…はぁ。」
「早く壊れてよ。そしたら僕の物にするから。」
「遠慮します。」
「君の意見は聞いてないよ。僕は壊れたお人形が欲しいんだ。君みたいな綺麗なね。」
「…相変わらず自分の手を汚さない方ですね。」

まるで子供のおもちゃの取り合いのよう、私は心の中で呆れた。
アメリカさんもロシアさんも根本的なところが良く似ている。
違いは『常に傍に置きたい』か、『最終的に手に入れたい』かだ。

「私はアメリカさんの星条旗の51個目の星になる気もありませんし、貴方の左心房なんて真っ平御免です。」
「それに、私より先にアメリカさんのが壊れてしまいそうなので、ちょっかいかけるの止めてもらえませんかね。」

私の口元に自然と笑みが浮かぶ。
相変わらず詰めの甘い人。だから本気で憎めない。
馬鹿な子ほど可愛い、とはよく言ったものだ。

「別にアメリカくんが壊れたら、他の人でも良いよ。イギリスくん?フランスくん?…意外とドイツくんも悪くないかもしれない。・・・君を壊したいほど愛したい人間なんて何人でも居るんだよ!」

遠ざかる私の背に向かってロシアさんが言葉を投げる。
私はクスクスと笑って後ろを振り向いた。

「なんとでもおっしゃい。」


私はロシアさんから預かったアメリカさんのボタンを手の中で弄びながら思う。
掌で遊ばれているのはお前らの方だ、と。

作品名:掌のボタン 作家名:阿古屋珠