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バー・セロニアスへようこそ 後編

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午後11時15分


「いいぞ、兄ちゃん!」
店内からわき上がる拍手喝采。
ファラオの名演は、店内の全ての人間の心を捕らえたようである。
「よかったぞー、兄ちゃん」
「いつも来るライラもいいけど、兄ちゃんもなかなかやるな」
「あんたはいいギタリストだよ」
酒臭い息やタバコ臭い言葉で贈られる賛辞を、ファラオは素直に受け取った。
「……ああ……」
自分の演奏で笑顔になる人たち。
全然知らない相手が、自分のギターで、自分の音楽で心を動かされ、皆それぞれにいい表情を浮かべている。
その事実はファラオの心を……言葉では表現出来ないくらいに熱くした。
今までは、自分の魔琴の腕はハーデスのためにだけあると思っていた。
ハーデスに愛されることだけが、ファラオの音楽的自尊心を満たした。
けれど、今。
このバーで大喝采を浴びている、今。
ファラオは自分の音楽を、もっともっともっと沢山の人に聴いて欲しいと願ってしまった。
もっと沢山の人に、自分の音楽を、演奏した楽曲を聴いて欲しい。
そして、もっと沢山の人に、笑顔になって欲しい。
こんな感情が、自然に彼の中から湧き出ていた。
『……あいつがこのバイトをしているのは、金のためだけじゃなかったんだな』
ここに来てファラオは、オルフェが聖域からも冥界からもサラリーをもらっているにもかかわらず、こんな小さなバーでアルバイトをしている理由を悟った。
彼もまた、自分の音楽で人を笑顔にしたいと願っている一人なのだ。
彼もまた、自分の音楽をたくさんの人に聴いて欲しいと望んでいる一人なのだ。
お金は、十分に貰っている。
だが音楽家としてのオルフェの本能は、自分の音楽を多くの人に聴いてもらうことを渇望していた。
そんなオルフェがこのアルバイトにのめり込んだのは、もはや必然とも言える。
そしてファラオもまた、このアルバイトの魅力に取り憑かれつつあった。
いつもの仕事のように戦場に出るわけではない。人と殺し合うわけでもない。
ただ、店に出て、客のリクエストを聞いたり、自分の気の赴くままにギターを奏でるだけ。
何と平和で楽しい仕事だろうか!
『またオルフェにバイト代わってもらおうかな……』
ファラオが万雷の拍手に気をよくし、もう一曲弾くか!とギターを構え直した瞬間。
「あれ?こいつ冥闘士じゃねぇか?」
カウンター席のデスマスクが、ファラオに気付いたようであった。
彼はハーデス軍に寝返った(演技だが)時、冥界軍相手に十二宮のレクチャーをしていたので、ある程度冥闘士の顔がわかるのである。
「ひ、人違いですよ」
震える声で返したが、デスマスクは煙草を指に持ったまま、
「いいや、間違いねぇ。俺はハーデス城でお前のツラを見た。こんなところにまで来やがって。スパイのつもりか?ああ?」
「スパイがこんな目立つことやるか!!」
むきになって返してしまったが、時既に遅し。ニヤニヤ笑いを浮かべたデスマスクが、ファラオの浅黒い顔を眺めている。
「やっぱり冥闘士なんじゃねぇかよ~~ああ~~??一体何しに来たんだよ~。酔っぱらった聖闘士の寝首でもかきに来たか?ああ~??」
これでもデスマスクは、肩書き上は地上の平和を守るアテナの聖闘士である。
けれどもファラオに詰め寄っている姿は、どこからどう見ても……黒スーツとサングラスとマジチャカのよく似合う怖い商売の人であった。
店のマスターが見兼ねて助けに入ろうとしたが、今度はカウンター席のカノンがテーブルに突っ伏しておいおいと泣き始めてしまったので、彼はそちらに対応することになる。
「お客さん、周りのお客さんの迷惑になりますから……どうか泣き止んで……」
「あー、どーせ俺は悪だよ。札付きのワルだよ。スニオンに閉じ込められちまうくらいの悪だよ。そうなってみんな、何でもかんでも俺のせいにしてりゃいいさ……」
泣き上戸な上に絡み癖があり、しかも愚痴っぽくなるという、最低最悪のコンボである。
「……ありゃ、あいつ完全に出来上がっちまったな」
カノンの大泣きする声を聞き、デスマスクが注意をファラオから連れに向ける。
ファラオはホッとしたかのように小さく息を吐くと、デスマスクに尋ねた。
「連れを介抱しなくていいのか?」
「あー……うーん……」
その問いに少々悩んだデスマスクであるが、
「……介抱しないと後でサガにぶっ殺されるよな……」
口の中でモゴモゴと呟くと、椅子から立ち上がる。その際、煙草を灰皿に押し付けるのも忘れない。
「おい、カノン。泣いてるくらいなら、家帰って寝ようぜ?泣いてるのバレたら、後でサガや……ソレントだっけか?あの坊やに笑われるぜ?」
一瞬だけデスマスクの顔を見やるカノン。だがすぐにまた突っ伏すと、ぐずり出すとしか表現しようのない様子で泣き始める。
「みーんな、みーんな俺が悪いんだよ、ちくしょう……」
「そんなことねぇって。お前はサガの代わりに、冥界行って頑張っただろうが」
ああ、おれ、何似合わねーことしてんだろう……。
カノンを必死になだめながら、デスマスクは少々苦笑いをしてしまう。
俺、人をなだめたり、励ましたりするキャラじゃねぇんだけどなぁ……。
ふと自分の今の行動を客観的に見てしまい、そのミスマッチさに口元が歪む。
ファラオはそんな『似合わない』ことをしているデスマスクを励ますかのように、ギターを鳴らした。
曲目は『ゴッドファーザーのテーマ』である。
あまりにも有名なあのメロディがファラオの手にかかるとフォルクローレの趣を帯びる。
これにはデスマスクも嘆息した。
「お前、結構凄いな」
皮肉でなくデスマスクがそう誉めるので、
「お褒めに預かり恐悦至極」
にんまりと、心底嬉しそうにファラオが笑う。
デスマスクはその後も子供でもなだめるかのようにカノンの背中を軽く叩いていたが、泣きつかれたのだろうか。
カノンはいつの間にやらその場で眠ってしまった。
「……ったく、手間掛けさせやがって」
チッと舌打ちしたデスマスクはカノンの上着から財布を抜き出すと、マスターに放った。
「マスター、勘定はそれで頼む」
「お客さん、いいんですか?」
いくら何でも、財布丸ごとは受け取れない。
けれどもデスマスクは全く気にした様子もなく、カノンを左手で担ぎ、空いた右手をひらひらと振ると、
「こいつかなり飲んだだろう?それくらいないと、会計間に合わねぇんじゃねぇか?」
「まぁ、確かに」
「後はチップだ。とっとけや」
自分の会計もカノンの財布で済ませたデスマスクは、それだけ言い残すと店から出た。
この後カノンが正気に戻ったら、確実に蟹座はぶっ殺されるなと物騒な未来をファラオは予測したが、自分には関係ない話なのでもう考えないことにした。
「……生きているといいがな」
小声で呟いたファラオは、今日最後の曲を演奏し始めた。
曲目は客のリクエストでビートルズの『Let it be』だ。