夏になる前に海に連れて行ってよ。
水谷がボソッとつぶやく。
「お前が?」
阿部が聞き返す。
「ううん。そんな時期だと思っただけ」
「だろうな。お前ノーテンキだし、五月病には無縁」
ひでぇ、と言いながらも笑顔のままの水谷にいつも阿部は安心する。
自分はそんな風に笑えないから、と。
自分にそんな風に笑ってくれる人間が少ないから、と。
「阿部、こえーもん」
「どこが」
「声でかいし、目つき悪いし、態度がでかい」
さっきの水谷を真似て阿部もひでぇ、と言って笑う。
「マネすんな」
「マネすんな」
「阿部、たちわりぃ」
「阿部、たちわりぃ」
「だーから!マネすんな!」
「だぁーからぁまねすんなー」
「阿部隆也は水谷文貴が大好きです!」
「…あのな、それに引っかかると思うか?」
意地悪く笑って水谷の髪をかき交ぜると茶色の細い猫っ毛が指に絡む。
「大体、俺に好きとか言われて嬉しいわけ?」
「嫌いって言われるよりはね」
「微妙なラインだな、俺って」
「あ、阿部は俺に好きっていわれてーの?」
ついていた肘がガクッと崩れる。
いつだって不意打ち。
いつだって、いつだって。
「動揺するのは肯定ですか」
「ご想像にお任せします」
窓から絶え間なく入ってくる日差しの中。
背中を合わせて体温を共有し合う。
たまの休みの中に潜む柔らかい時間。
「野球少年のくせに最近の休みさ、大体俺か阿部んちでだらっとしてね?」
「外行ったら…まぁいいや」
「何」
外に出たらこんな風にぴったりと寄り添うことができない。
指を少しだけ絡ませる遊びとか、どっちが相手を好きかって勝敗をつけたりとか、
そんなこと、できなくなる。
「なんでもねーよ。でも、お前がどっか行きたいっていうなら、付き合う」
「んー、俺はどっちでもいいよ。阿部が好きな方が俺も好き」
まったく、好きすぎてどうにかなってしまいそう。
もうなっているのかもしれない。
「でも夏んなったら海くらいいきてーよなー」
「俺はやだね。人多いし」
「つまんねーやつだなー、阿部はー」
「そーなの、つまんないの」
だから面白いことでもしませんか。
僕と一緒に。
ベッドの上でもつれあう遊戯などご堪能しませんか。
「セックスしてる時、俺って病気かなって思う」
「は?」
「猿かなんかになりそうでねー、怖いよ」
突拍子もない。
けど。
気持は、わかる。
「やっぱ、夏は海に行くか」
「うん、休みごとにセックスしてたら脳が腐る」
「海に行ってもセックスしねーよーに、泳ごう」
二人で自由帳に海の絵を描いた。
へたくそだったけれど。
それでもいいと思える初夏が迫る春の事。
今は少し汗ばんだ掌が、ただ熱いだけとは思えない。
作品名:夏になる前に海に連れて行ってよ。 作家名:トヲル