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『掌に絆つないで』第四章(後半)

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Act.14 [飛影] 2019年12月10日更新


雪菜と強く抱き合った後、桑原は彼女から離れ塔の入り口近くにいた飛影のもとへ歩み寄った。そして、耳打ちするように小さく「あとは頼んだぜ」と、そう呟いた。
その言葉に驚いた飛影が顔を上げると、困ったような、怒ったような微笑みを浮かべた少年と視線がぶつかった。
「ずっと知ってたわけじゃねェ。蔵馬の記憶がオレに教えてくれたんだ。おかげでせっかく復活したってのに、オレの心はズタボロだぜ」
そう言うと、桑原は少し遠くを見やるような目をした。視線の先には、塔の扉に隠れた氷菜。雪菜と瓜二つの氷女を前にして、桑原は何もかも承知しているようだった。
「雪菜さんとオレはもともと波調が合いやすいんだ。初めて会ったときも彼女の意識が流れ込んできた。垂金の屋敷から雪菜さんを逃がそうとしてくれたヤツが、目の前で無残に殺されちまった。そんな彼女の記憶を見たことがある。そんときと同じように……、雪菜さんとお母さん、それにオメーとのやりとり……全部、知っちまった」
母親と同じように、命の危険を顧みず希望を生み出したいと訴えた雪菜。蘇った桑原を目前にして、彼女が胸中で願っただろう結論に彼は気づいていたのだ。
「けど、オレもおめェと同じさ。雪菜さんがどうなってもいいなんて思わねェ。雪菜さんの願いが雪菜さん自身を殺すことになるなら、叶えて欲しくねェ。何も残らなくていい。今ある雪菜さんの笑顔がそのままなら、オレはそんでいいんだ」
笑顔を守りたい。それは彼女に生き続けてくれ、と訴える言葉。
「テメーだって本当はおふくろさんが望むこと、それを叶えてやりたかったんだろ。それがもし氷河の国を滅ぼすことだとしたら、そうしてやりたかった。けど、テメーには出来なかった。だからずっと、わだかまってたんだろ」
故郷の滅亡を母が望んでいたのなら、そして再び妹が望むのなら、それを叶えてやろうと思っていた。
出来なかったのは、守りたかったからだ。母の墓石を。妹の国を。
復讐心を枷にして、繋ぎ止めておきたかった故郷への憧憬。たとえそこが何もない吹雪の地だとしても、吹き付ける風が自分を呼ぶ声に似ていたから、捨てたくはなかった。
「男の信念ってやつを持ってるとさ、愛する人のためならなんでもってわけにはいかねェのさ。だからオレは雪菜さんの望みは叶えてやれねェ。テメーもテメーが信念崩さずに叶えてやれる望みだけ、叶えてやればいいじゃねーか」
桑原の大きな掌が、飛影の背中に振り下ろされた。
その勢いに乗って半歩踏み出しつつ前方を見やると、ゆっくりと塔の扉から進み出る氷菜と視線がぶつかる。
オレが、叶えてやれる望み……。
氷河の国の滅亡は、己が望んだものではなく、与えられた使命であるように感じていた。そしてその使命を放棄することは、生涯背負い続ける罪になる。それならば罪人でも構わない。そう考えたから、彼は自分の思うように生きてきた。
けれど胸の奥にある墓標の記憶だけが、その罪を責め続けていた。それを解き放つ方法を、飛影が知ることは出来なかった。今、この瞬間までは。
「桑原」
愛しい人を自分に託し、今まさに背を向けようとする男を飛影は呼び止めた。
「礼は言わんぞ」
低い声でつぶやくと、桑原は「テメーに言われたかねェよ。気持ちわりィ」そう言いながら笑い、踵を返した。
少し離れたところで、桑原を囲むように雪菜を始めとして仲間たちが輪を作る。それを目で追った後、飛影は完全に振り向かないまま氷菜に語りかけた。
「望むことがあるなら、言ってみろ」
すぐに返答はなかった。氷菜は、その強い意志を隠した瞳を伏せて、声を殺して泣いていたから。
涙を止める術を忘れた母に、飛影はゆっくりと近づいた。彼が目前まで来ると、氷菜はか細い声で、それでも精一杯言葉をつむいだ。
「………私の子どもたちが、思うまま…、自由に、生きていってくれれば……、それでいいの……」
忌み子だったから強くなれた。
忌み子だったから迷うこともなく己を信じ抜けた。
出生の理由に束縛されて自由を奪われたことなど、一度もなかった。
「そんな望みなら、とっくに叶っている」
母は、愛情を言い訳にして破壊を望んだわけでもなく、残された哀しみから誰かを恨んだわけでもなかった。凍てついた国に自らが産み落とした、炎の心を宿す子どもたちの幸福を願ってやまなかったのだ。
過去、飛影が自分を残して逝ってしまった母の真意に気づけるはずもなく、信頼と疑惑の追憶は繰り返されてきた。それが今、ようやく通じ合えた。形は違えど、同じ愛情なのだと彼にも理解できたのだ。
無意識に氷菜の頬へ伸ばしかけた右手を、飛影は慌てて引っ込める。しかし、それに気づいた母が追いかけるように両手を伸ばし、飛影の手を包み込んだ。
「ありがとう……飛影」
望みを叶えてくれて。
氷菜はそう続けたかったのだろう。今なら、彼女の言葉に隠されたすべての愛情が目に見える。そんな錯覚さえ覚えた。
妹と同じ柔らかく小さな手は、温かかった。炎の妖気にも耐えたはずの最後の氷が、胸の奥で溶け始める。まるで涙を流すように、ゆっくりと。
飛影は右手を拘束した細い指を、気づかぬうちに握り返していた。