敵中横断二九六千光年4 南アラブの羊
〈北〉の星空を後ろに見るのは、〈ヤマト〉が〈南〉に進むからだ。太陽がもうあれだけの光なのは、それだけ遠くにまで来たのだ。次に〈ヤマト〉がワープするとき、太陽はあの八つの星と変わらぬ等級になってるだろう。さらに次のワープの後は、指で探してもわからぬだろう。北斗七星も北極星ももうまったくどれともつかず、見知らぬ星空が広がるばかり。
そうなっていることだろう。〈ヤマト〉は赤道を越えたのだ。北半球で見ることのできぬマゼランへの旅が始まった。この天球を眺めるのはだからこれが見納めなのだと考えながら酒を飲んで、うまいな、と古代は思った。酒ってこんなにうまいものだったんだな。これで一緒に飲む相手がこの白ヒゲの男でなければ、たぶんもっとうまいのかも……。
三浦の浜で星を眺めるときにはいつも、波の音が聞こえていた。あれが北斗七星であれが北極星と指差して教えてくれたのも兄だった。これが兄貴と飲む酒ならば、たぶんきっと……。
「古代、お前が生きていればな。これを見るのはお前になっていただろうに……」
沖田は言って、酒をグイとあおって飲んだ。困ったなあ、と古代は思った。もしも兄貴が生きていたなら、今この酒に付き合うのは兄貴であってくれたろうに。なんでおれが……。
「どうした、古代。飲め。男なら酒を飲め」
「はい」
と言って仕方なく飲んだ。うまい。とにかくもうまいと思った。さっきに飲んだシンガポールなんとかと合わせて酒が体にまわってくるのを感じる。
一升瓶をチラリと見るとまだコップに一杯分ほど中身が残っているのがわかった。
「艦長。もう一杯……」
「そう来なくちゃ」
沖田は言った。ヒゲでよくわからぬがどうも笑ったようだった。
酒を注がれる。残りを全部古代に酌して、
「そうだ。古代。あのときも、わしの言葉をお前が聞いてくれていたなら……」
何を言っているんだか。どうも誰かとおれを間違えているらしいが、誰と間違えてるんだろう。なんでもいいや。酒だ酒だ。ここは調子を合わせておこう。うん、そうだ。〈ゆきかぜ〉を地球のようにしたくない。この艦長の言う通りだという気にだんだんなってきた。
「古代よ、わしは……」
「なんでしょう」
「わしはこれから、我がふるさとに別れを告げる」
言って、沖田は立ち上がった。危なっかしい足取りで窓に歩み寄り、輝く太陽の光を指差す。古代は慌ててコップを置き、その横に並んで立った。
沖田は手を挙げ、地球のある方へ振って叫んだ。「さよならーっ!」
「艦長……」
と古代が言うと、
「古代、お前もさよならを言わんか」
「はい」
逆らわないことだ。とにかく今は――古代は声を張り上げて言った。
「さよならーっ!」
「さよならーっ!」沖田もまた言う。「必ず帰って来るからな! それまで達者で暮らしていろよ!」
「さよならーっ!」
古代は言った。沖田も酔いどれ声で叫ぶ。そうしてしばらく、宇宙に向かい、ふたりで交互に叫んでいた。
作品名:敵中横断二九六千光年4 南アラブの羊 作家名:島田信之