敵中横断二九六千光年4 南アラブの羊
そうだ。おれはいま何を。何をスジの通らないこと言ったんだと古代は思った。違う。おれはそんなこと言おうとしたんじゃないだろう。
だが、出なかった。『間違い』だとか『取り消し』という言葉が口から出ない。
それどころか、古代は感じた。口を開けば、言ってしまうだろう。同じ言葉を。
どうしてだ。どうしておれの兄さんを連れ帰ってくれなかった。そう言ってしまうだろう。それを止められないだろう。なんで守兄さんを死なせ、あんたはそこで生きてるんだ。そう叫んでしまうに違いないことを、脳ではなく心臓で古代は感じ取っていた。
だから古代はそれ以上、何も言えずに黙っていた。沖田も黙って目の前に投影された像を見ていた。イグアスの滝。その夜景。〈悪魔の喉笛〉と呼ばれる滝の上で輝くいくつかの星々。
しばらくして沖田はデッキチェアを降りた。古代に背を向けて立つ。
「すまん」
とひとこと言った。そして部屋を出て行った。
作品名:敵中横断二九六千光年4 南アラブの羊 作家名:島田信之