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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Clean getaway

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 人生の半分を普通の少年として、残りを病人として生きた。咲田一翔は、先月十二歳になったばかりだったが、頭の中に巡るのは、ほとんどが過去のことばかりで、明日何をするかと言えば、それは今日の繰り返し以外思いつかなかった。すぐに疲れるから、あまり出歩いてはいけない。せいぜい、広大な敷地の中を散歩するぐらい。風邪でもひけば、その体に備わった免疫では何一つ治すこともできず、不治の病にかかったように苦しむことになる。
 六年前、海水浴をしていたときのことだった。魚か、エイのような平たい生き物が足元を横切った。浜に上がってから、足が腫れていることに気づいた。数日高熱に苦しんだ後、再び動けるようになったときには、免疫不全になっていた。習い事で埋め尽くされた生活は、その日から一変した。
 咲田家の血は、破天荒な冒険家だった祖父の康吉と、天才的な頭脳を持つ父の和市を経て、長男である自分に流れている。一翔という名前は、母が決めた。物書きだった母は、父と結婚したときから子供の名前の読みを『かずと』と決めていたが、漢字の選定に随分と悩んだ。
 和市は石油会社の役員で、一翔は日本人だが、日本に住んだことはなかった。空気が綺麗な田舎の広大な土地に大きな家を建てた和市は、メイド二人と、民間軍事会社から派遣された四人の警備員を雇い、仕事以外の全てを任せた。日本人学校では、皆日本語を話すし、文化について勉強することもある。しかし、いつか訪れることがあれば、それは不思議な体験になるだろうと、一翔は考えていた。
 ベッドの上に半身を起こすと、一翔は時計を見つめた。午前十一時。もうすぐメイドが昼ご飯を持って部屋に入ってくる。自分は、もう咲田家の期待に応えることができない。しかし、朝昼晩と食事が出るし、身の回りの世話も行き届いている。学校にあまり出席できないでいると、逆に教師が家に来るようになった。つまり、生かされている。そして、こんな姿を親族の誰にも見られたくないという希望だけは、母が二歳のときに亡くなっていることで、皮肉にも叶えられている。父は、免疫学の本を読み漁り、高名な医者と連絡を取り合っているが、六年が経っても、楽観的な話は特になかった。
 一翔は、窓から差し込む光を避け切れるギリギリの位置で、椅子に座る男に話しかけた。
「四人の代わりなの?」
「契約のことは、話せない」
 男の不愛想な返答に、一翔は小さくため息をついた。二週間前、父が出張で海外へ飛んだ。いつも、誘拐など犯罪に巻き込まれるのを防ぐための措置で、誰とも連絡が取れない。そんなときに限って、すぐに父に確認を取りたくなるような事態が、起きていた。一週間前、さっぱりとした私服姿になった警備員の一人が、契約満了をメイドに伝えると、他の三人を連れて敷地から出て行った。二年ほど車庫に置いてあった埃だらけのランドクルーザーは、リーダーの私物だったらしく、それが門から出て行くのを、一翔は窓から見ていた。それから二日が経って、この男が現れた。物々しい防弾ベストを着た警備員達と違い、男は身綺麗なスーツ姿だった。大きなハードケースを持っていて、そこに何らかの銃が入っていることは、間違いなさそうだった。
「どうして、僕の部屋なの?」
「二階だし、必ず入口が見えるから」
 最初の日は、ただ屋敷の中をうろついていたが、男はやがて、一翔の部屋が最も効率のいい監視位置だと気づいたらしく、一翔が起きている時間帯に訪れては、窓の外を眺めるようになった。今日で三日目になる。一日目は無言。二日目は目で挨拶をした。その掠れた低い声を聞くのは、今日が初めてだった。
「見るだけなの? 丸腰だし」
 一翔が言うと、男はそのことに初めて気づいたように、自分の体を見下ろした。
「今はね」
「ケースから出したらいいのに。前の四人は、ずっと銃を担いで歩いてたから、びっくりしないよ」
 一翔が言うと、男は傍らに置いたハードケースに一瞬視線を落としたが、また窓の外に視線を向けた。一翔は、そのやや冷たい印象を与える横顔を見つめながら、数日前、夜にメイド二人が話していたことを、思い出していた。それは、警備員が入れ替わったことを嗅ぎ付けて、武次が来るのではないかということ。
 武次は、父の弟で、同じ血が流れているのか疑わしいほどに、その性格は真逆だった。一緒の写真もほとんどなく、本の虫である父と違って、スポーツや格闘技が好きな少年だったらしい。一翔は、会った記憶自体、数えるほどしかなかった。武次の顔を最後に見たのは、数年前に見舞いに訪れたときで、それからしばらくして、警備員四人が常駐するようになった。父はその理由を語らなかったが、金目のものを全て金庫にしまい、自分でもどこに置いたか忘れるくらい、あちこちに分けて隠すようになった。その様子を知っているメイド達の心配は、手に取るように分かる。この家には、丸腰で行ったり来たりするだけの男が一人しかいないのだから、隙だらけも同然だ。
「強盗に遭うかもしれないって、お父さんは口癖のように言ってた」
「強盗をするなら、お金が家に置いてあるということを、まず調べるはずだ。突然来る可能性は、低いよ」
 男がこれだけの長い言葉を話すのは、初めてだった。一翔は少し心臓が高鳴るのを感じたが、ちょうどその時、メイドがノックして、昼食を運んできた。男の分は用意されておらず、一翔は言った。
「何も食べないんだ?」
「それは、契約に入ってないからね」
 一翔は紅茶を一口飲むと、言った。
「何か食べなよ」
「今は、窓の外を見ていないといけない」
 男には、何がどうなっても揺るがない、鋼鉄製の掟があるようだった。一翔は言った。
「前にいた四人は、よく冗談を言い合ったり、休憩中はトランプをしてた。名前は知らなかったけど、アルファベットの順番で呼んでたんだ。アルファ、ブラボー、チャーリー、デルタって」
 その言葉に、男は一瞬だけ目を向けると、口元だけで笑顔を作って、また窓の外に向き直った。
「おれは五人目だから、エコーってことになるのかな?」
「そうだね。エコーって呼ぶ」
 一翔は会話の糸口を手繰り寄せるように、体を大きく起こした。
「やっぱり、代わりの警備なんだ。一人で四人分の仕事ができるぐらい、強いの?」
「いいや」
 男は、右手を持ち上げると、ぶらぶらと振った。
「おれは君と同じ、日本人だ。軍歴はない」
「さっき、強盗の話をしたじゃない」
 一翔が言うと、男はうなずいた。ビスケットをかじりながら、一翔は続けた。
「あれ、お父さんの弟かもしれないんだ。だから、下調べをしてから来るって意味ではさ、エコーの言う通りなんだよ」
「隠し場所も、最初から知っているということだな。おまけに、顔見知りだから堂々と入れる。それは、強盗とは言わないんじゃないか?」
「武次さ……、いや、叔父さんはこの家には、出入り禁止なんだ。だから、強盗でもするしかないよ」
 一翔が言うと、男は時計を一瞬見た。一翔も同じように、長針と短針がゆっくり離れていく様子を見つめた。
「お父さんは、もう色々諦めたんだと思う」
「何を?」
作品名:Clean getaway 作家名:オオサカタロウ