星影のワルツ
どういう訳か彼は道とは言えない道を迷う事なくひらひらと進んでゆく。一通り、山の中腹辺りまで進むと数十本程、切り出された場所がある。木の間から学園が目下に見えた。その内の一つの切り株に凭れ掛かる様に地面に腰を落とすと、持っていた羽織を広げてその中に小さな孫兵の体を覆う様に体を小さく丸めた。不思議に彼の体に合わせた羽織はすっぽりとその小さな体を覆っている。それらが全てはみ出る事も無く収まると、彼はジュンコを細く白い指先でその頭を撫でた。
当たりにはもう既に落葉が始まっていた。はらはらと、落ちる葉の絨毯の中に半ば埋もれる様に彼はジュンコに顔を寄せながら、うつらうつら、し始めている。時折、通る動物達の足音を聞きながら、薄く目を開けて、その音の元まで視線を向けてその主を目で確認するとまた目を閉じた。
そうやって、それを数十回程繰り返すと自然、彼に眠気がやってくる。彼は頬にジュンコの冷たさを感じながら、そこでやっと、ゆっくりと眠りに落ちていった。
それから、どれぐらい時間が経ったのだろうか、孫兵は動物のそれではない足音で目が覚めた。は、とした時には足音がすぐ孫兵の近くまで迫って来ている。幸い、向こうからは孫兵の姿は落葉に隠されてみる事が出来ないらしい。僅かに目元の落葉を退かすと、辺りはすっかり暗くなっている事を知った。これには、さすがの孫兵も驚いたらしく、
(しまった、夕暮れ前には帰りたかったのに！)
はじかれた様に孫兵は立ち上がった。
「うおっ！」
後ろから、足音の主の驚いた声が、聞こえた。彼らはお互いが、思っていたよりも近くに居たらしく、さらにその声に驚いた孫兵が後ろに倒れかかる様な形になった。それを受け止め孫兵の方をしっかりと掴んだ少年は、笑っていた。五年の竹谷八左エ門だ。驚いて、動けない孫兵の方を揺すりながら、
「おーい。しっかりしろよ。」
と、背中から優しく声をかけた。はらはら、と目の前に髪にかかった落ち葉が孫兵の動きに合わせて落ちてゆく。それを動かす自分とは全く違うしっかりした指に、気遣いの篭った力が自分の肩に加えられていた。
「な、んで」
首を懸命に後ろに振り向かせながら、孫兵は竹谷に聞いた。動かしても、竹谷の顔はジュンコの体に遮られてほとんど見る事が出来ない。
「何でとは何だ。孫兵の帰りが遅いから、生物委員で探していたんだ」
竹谷は、孫兵の足がしっかりと地に着いた事を認めるとその手を離した。正面に来る様に立った孫兵の目は暗闇でぼんやりとしか竹谷を捉えることが出来ない。けれども、竹谷が安心した様に笑っている事だけは朧げながら分かっていた。
「といっても、もう暗いからな。後は俺が引き受けて他の者が返したが、それよりも、俺が敵だったら、今頃孫兵は殺されている所だぞ。もう少し状況を判断してから出てくると良い」
「はい」
「それにしても安心した。あまりにも帰りが遅いものだから、夜盗にでも襲われたのかと思って心配していたんだ」
「すいません」
「いや、過ぎた事はしょうがない。ところで、孫兵。」
「はい」
困った様に首に手を当てながら、竹谷は話を続ける。そしてちょっと上目遣い気味に孫兵の顔をのぞくと、
「ここからの帰り道分かるか？」と聞いた。
竹谷は孫兵を探すにあたって、彼は裏山を一周したあげく、最終的にこの場所に着いたので、最短での学園への帰り道が分からないらしかった。さらに続けて、正直に言うと、分からなければ朝まで待って学園に引き返すつもりだったと言う事を竹谷は孫兵に話した。
「それなら、大丈夫です。私は、ここに良く来るから」
小さいけれど、確信を持った声で孫兵は答えた。その言葉の通り彼はここを眠る時に使うので、周辺の道は把握していた。
「よかった。それにしても、良くこんな昼寝に良い所を見つけたものだ。ジュンコ達もここなら日当りが良いから、嬉しいだろうな」
「はい」
竹谷は泥だらけの手で、孫兵の髪を撫でた。普段の孫兵ならば、それを酷くいやがっただろうが、その時は寧ろ心地よかった。竹谷の泥だらけの手からは土の匂いと、お日様の香りがした。
「ん、孫兵。顔に泥付いているぞ」
しゃがみ込んだ竹谷が、孫兵の泥を払ってやった。泥だらけの手で払われたので、きっと取れては居ないだろうが鼻の頭を親指で何度か擦ると、満足した様に「よし」と言って竹谷は笑った。
星が酷く明るく綺麗な夜だった。
「さ、帰ろうか」
「はい」
大きな竹谷の手が孫兵の手をすっぽりと、包み込んでいた。
「あの、ありがとうございました」
「ああ、今度はもっと早く帰ってこいよ」
「はい」
ゆっくりと、竹谷についていく様に、孫兵がその後を追う。その竹谷の土がついてざらざらした手が、逃げた動物達を探す様に懸命に自分を探してくれていた証拠だと知って孫兵は嬉しかった。