夏影
【夏影】
今にも降ってきそうな星空。さわさわと鳴る風の音。リィンと涼しげな音を立てる風鈴。
団扇を仰ぐかすかなざわめき。通り過ぎていく子供たちの笑い声。提灯の明かり。
かすかに鼻孔をくすぐるのは、蚊取り線香のにおい。
隣を見れば、少しばかり浴衣の袂を乱した盟友がいて、ゆったりと団扇を仰いでいる。
黒い髪、黒い瞳、象牙の肌、落ち着いた物腰、ゆったりとした声音。
彼とは一緒にいて楽だった。
同じような島国という共通項があるのか、似ている部分が多い。
違うのは、生きてきた時間くらいかもしれないと思うのは自分のうぬぼれかもしれないけれど。
「夏祭りがあるみたいですね」
「祭り?」
「ええ。屋台と…あと花火、ですかね。我が国の夏の風物詩なんです」
見に行きますか?と聞かれてイギリスは首を振った。
それよりもこの縁側で二人で並んでいるほうが有意義だと思ったからだ。
元来、騒がしい場所は得意ではない。
自国にある自分の屋敷もロンドンを離れた田舎のほうに建ててあるし、喧噪を逃れて過ごすほうが性に合っている。
そりゃ、昔はずいぶんと7つの海で暴れたものだが本来は一人で庭をいじって自分だけの世界を作っているほうが楽しいと思うのだ。誰ともかかわることなく。
だって人は傷つけあう。大した理由もなく。
そうして、いろんなものをなくしてきた。たくさん。
「花火はうちからでも見えると思いますよ。そんなに大規模なものでもありませんし」
「そうなのか」
「ええ。気に入ってくださるとうれしいです」
この家は静かでいい。
山はすぐそばにあり、あたりには田園風景が広がる。
縁側から見下ろす庭は広く、きれいに手入れが施されていた。
隅に植えられているヒマワリが今は首を垂れているが、最盛期はさぞや美しかったことだろう。
さわさわと風が鳴る。
祭りではしゃぐ子供の声が風に乗って届く。
鼻をくすぐる蚊取り線香の匂いと、イ草の香り。
そして隣を見れば、穏やかな顔の友がいて。
蚊取り線香にまじってほのかに香る同じ石鹸の匂いに、少しだけどきどきする。
夏が過ぎていく。
ゆっくりと穏やかに。
イギリスの知らなかった、もう1つの夏。