晩夏
夏も終わりに近づく頃、俺は大きく息を吸ってから扉を開いた。何せ今日は決戦の日。あわよくば告白、なんて考えてしまうぐらいの大イベントが待っているのだ。
「おはよ、ギル」
朝から教室はざわめいていた。女子はきゃーきゃー騒いでいるし、男子は総じてそわそわしている。授業中じゃないんだから俺が決められた席に座る訳もなく、少し離れた席で雑誌を捲るギル、その前の席に座った。
「おう、アントーニョか」
「なに読んでるん?エロ本?」
「バーカ」
笑いながら差し出されたのはよくある地元のイベント案内だった。開かれたページには『夏祭り』の文字。花火の下でやわらかく微笑む女の子は、確かイヴァンの姉だった気がする。
(ああ、ギルも知ってるんや)
浮かれた教室の雰囲気も多分このせいなんだろうな。この学校は、祭り好きな生徒の数においては世界でも随一だ。隣の教室から騒音に耐えきれなくなったローデリヒの悲痛な叫びがそろそろ聞こえてくる頃だろう。
「なあギル、フランシス知らへん?」
一大イベント『夏祭り』。俺が告白に持ち込めるかも・・・などと考えている要因はそれだ。フランシスさえ誘うことができたら二人きりでデートが可能になる!ずっと昔から抱いていた恋心をぶちまけるチャンスに、俺は浮足立っていた。
「フランシス?ああ、誘っといたぞ」
「へ?」
「行くんだろ、夏祭り!勿論三人で!」
あれ、違ったか?なんて無邪気に笑うギルに今世紀最大の殺意が湧いた。消えてまえこのお邪魔虫。
『7時に会場前で集合な!』なんてギルの言葉に結局反抗することができなかった俺は、少し早足で待ち合わせ場所に向かっていた。いつもは心を苛立たせるだけの視界に映るカップルの姿も、今日は祭りに対する期待を上乗せする一因になるばかりだ。
(ギルは・・・・・・当然遅刻やろな。フランシスはもう来とるかも)
フランシスのことを考えるとどんどん早足になっていく自分。勿論表情も緩みっぱなしで、今の自分はさぞ間抜けに映ることだろう。ああ、何で俺はこんなに正直者なんや!唯一の救いは、こういう俺をあいつは割と好いてるってことなんやけど。
「アントーニョ?」
後ろから聞こえた馴染みのある声に背中が震えた。きた、ついにきた。
「よっ」
「フ、フランシス!ってえー!何なんその格好!」
「似合うからいいじゃない」
身に纏った涼しげでシンプルな藍色の浴衣は肌の白さを際立たせていた。トレードマークの髭はどうしたことか綺麗に剃られていて、軽く結い上げられた髪はまるで女の子のよう。つまり何って、
「・・・めっちゃかわええ・・・!」
「いいだろ。アーサーが『実験台になりやがれ!』とか襲いかかってきてさー、何かと思えばこれだよ。あいつ、文化祭で演劇手伝うからって衣装とかにも凝りだしてな。いやあ、参った。あ、一応メイクもされてまーす」
「あー、あいつそういう細かいの好きそうやもんな」
ギリギリで何とか平静を装えてるんやけどいやいや正直そんなんはどうでもいいねん。何この可愛さ。襲っていい?不可抗力やって。思春期の青年にこんなん見せるのが悪いねんて。うなじとか破壊力ヤバすぎるやろこれ・・・!
「そういや、ギルは遅れるらしいぞ。先に二人で行っとく?」
フランシスのウインクにくらりとした。どうやら今日の俺には幸運の女神様がついているらしい。
「ほー。アントーニョってすごいんだな、やっぱり」
「えへへ、そんな褒めんでええよー」
フランシスの腕に抱かれる大量のお菓子は全部俺が取ったもの。射的にくじに金魚すくい、次々と好調な成績を叩き出した俺。やっぱり今日はついとるなー!しかもフランシスがいっぱい笑ってて、その隣にいるのは俺で・・・・・・。
「幸せすぎて後が怖いわ…」
「こんなに捕れたら怖くもなるだろ」
素敵な勘違いをしてくれたフランシスは、さり気なく視線を地に落とした。。表情が窺えなくなり、何故か俺は少し不安になる。なんでやろ、すっごい楽しいのに。不安になる要素なんてないのに。胸が、ざわつく。
「フランシス?」
「もうすぐ・・・・・・花火の時間だな」
「そうやな」
「人多いなあ。はぐれちゃいそうだ」
驚くぐらい優しい声で囁かれているというのに、俺の鼓動は早まるばかりだった。フランシスのこういう声を、俺はいつか聞いたことがあった。確か、その時、こいつは嘘を吐いたのだ。いや、ただの嘘ではこういう声を出さない。・・・・・・自分の中の何かを、貫く決意をした声だ。
「・・・・・・そうやな」
「はぐれたらごめんな、アントーニョ」
「なんやねん。まるではくれたいみたいやんか」
「ははは、バーカ」
「そんなにはぐれそうなんやったら、ほら、手」
握ろ、
そうやって差し出した手の先、唐突な人波にフランシスが流された。綺麗な金髪が遠く霞んでいく。離れていくあいつの手は、決して俺に向けられてはいなかった。
「・・・ごめんな」
そんな声が聞こえた気がする。一瞬見えたその瞳の色は鮮烈なコバルトブルー。今日一番美しい輝き。たった今まで一緒にいたのに、あいつはそんな瞳、俺の前では一瞬でも見せやしなかった。
「あんなに綺麗にしたんは・・・誰なん?」
呟きは誰にも届かない。
午後9時。花火が打ち上がる時間。俺はまだフランシスを見つけだせずにいた。どこを探しても見当たらないあの藍と金色とコバルトブルー。俺の好きなひと。そんなとき、ちらりと遠く人波の向こうに銀色がのぞいた。あの特徴的な髪色、そうはいないはず。ってことは。
「ギルや・・・・・・!」
ギルなら、フランシスのこと知ってるかも!鼓動が逸る、手が湿る。ようやく手掛かりが得られるのかもと思って。たとえ手掛かりがなくてもいい、ギルと協力すればフランシスを発見することなんて朝飯前だ。
でも、その考えは間違いだった。
「・・・なんやねん・・・」
確かにあの銀髪はギルだった。そして笑うギルの横には、俺の大好きなひとがいた。
「フランシス・・・」
見たこともないような綺麗な笑顔をしたフランシス。いつもと違う表情をしたフランシス。横にいるのは俺じゃなくて、ギルベルトだった。信じたくない。でも、どう見ても二人は恋人同士にしか見えなくて。そんなシルエットすらぼやける。花火は、好きなひとと二人きりで見たかったんやな。わかるよ、俺もそうやから。
「・・・あほちゃう」
真実はいつだって、驚くぐらいに残酷だ。