あま~い
「座らないの?」
ソファの背もたれに腕を乗せて僕の顔を覗き込んだ彼は、座らないと短く呟いた。
「今日は何があった?」
少しだけ頭を動かした彼の眼鏡が頬にあたったから、それを引き抜いて膝の上に置く。
「ずっとサインしてた」
このくらいの紙の量だった、と親指と人差し指で示せば、彼が苦い表情になる。そうしてわざとらしく肩を竦めた。
「俺も今の上司は手厳しいから」
「大好きなんでしょ」
彼は唇を曲げるだけのにやりとした笑みを浮かべる。
「うん」
腕が辛くなってきたのか、彼は一度立ち上がって背を伸ばす。近くにあった顔は離れていった。
「座ればいいのに」
ぐいと彼のジャケット部分を掴んでやれば、引っ張り返されて、それは呆気なく僕の手から抜け出した。
「座らない」
また元の体制に戻った彼が、今度は手を伸ばして僕の膝の上に放置してあった眼鏡を、いつもどおりにかけなおす。何だそれと思ったからその眼鏡を奪い返して、今度は彼の手に届かないところまで投げた。
「ほら」
一瞬気を取られていた彼は、すぐに驚いて目を開く。
「何するんだい」
眼鏡を取りに行こうとした彼の腕を掴む。
「だから座ってってば」
眉を吊り上げた彼が思い切り腕を引いたけど、さきほどのように離れていかないよう握っているてのひらに力を込める。
「何かそうやってかたくなに立ってられるのが嫌」
「別に意味はないんだからいいだろ」
それでも離そうとしない僕に呆れてしまったのか、彼はソファを回り込んで呆気なく僕の隣に腰を下ろす。
「そうそう」
気分がよくなったので腰ごと引き寄せたら、笑いだした彼が口を開く。
「やさしくして」
僕の目を見た彼に返事はしないでおこうと思った途端に、眼鏡のことか、とすぐに気付いた。