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悪癖

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(好奇心は猫を殺すと云うが、ならば人を殺すのは退屈だろう。)

 窓の外を眺めながら鳴海は欠伸を噛み殺す。木枠に切り取られた空は晴天、しかし春らしく霞んでいた。
 鳴海は窓枠に腰掛け、シガレットを一本引き抜いて銜えた。火はまだ点けない。
 窓の下に視線を落とせば銀楼閣の入り口に人影が見えた。黒い学帽に黒い外套。傍らには黒い猫。影は暫し逡巡した様子を見せ、やがて扉を押し開いた。その所作は静謐で隙がない。鳴海の頬に小さく笑みが浮かんだ。
「いいねえ、黒尽くめに黒猫。素敵に不吉だ」
 独り言ち、鳴海は燐寸を取り出した。シュ、と軽やかな摩擦音を立てて炎が点る。深く息を吸いながら紙巻煙草の先端に火を近づけた。
 ――だいたい、暇を持て余した人間は碌なことをしないものだ。
 ふう、と煙を吐き出しながら、そんなことを考える。
 あくせくと働いているくらいが丁度良い。或いは娯楽にでも溺れて居た方がまだましだ。
 己の経験を振り返ってもそのような結論に達したので、鳴海は子供をひとり預かれと云う八咫烏の遣いの頼みに諾と応えたのだ。(尤も頼みというよりは殆ど脅迫紛いの命令であり、鳴海に選択肢などなかったのではあるが。)
 彼は気ままな独りの生活を愛してはいたが、しかし些か退屈していたのも事実だ。子供は苦手だったが退屈に殺されるよりはましだと思った。
(願わくば、つまらない子供ではありませんように――)

 ガン、と硝子の震える音が取り止めもない思考を遮った。

 ノックをされ、扉にはめ込まれた硝子が鳴ったのだ。喫っていた煙草を窓の縁に押し付けて消しながら「どうぞー」と間延びした声で外に立つ子供を招いた。
 一拍置いて戸を開き入って来た子供のいでたちに鳴海は軽く瞠目する。
 黒い学帽に学生服、そして黒い外套に身を包んだ少年は、人形かと見紛う整った貌をしていた。肌は陶器の白さ。双眸は夜を凍らせたように冷ややかに澄んでいた。感情を載せない顔立ちは異国の小説に出てくる機巧人形を思わせた。まるで体温が感じられない。
 細い腰には不似合いな、だがどうしてかしっくりと馴染む刀を佩いて、背中に針金でも入れているように真っ直ぐに立つ。
 悪い夢でも見せられているような、現実味の乏しさが少年にはあった。
(いやはや、中々の上玉じゃないか。)
 男の、それも子供の美醜など鳴海には興味のないところだ。
 しかし少年の、人とも思えぬ危うさは彼の気を存分に引いた。ゆるゆると連続する日常を断ち切る鋏を手にした気分だった。
 我ながら趣味の悪いと自覚はあったが、口の端が笑みに歪むのを止められない。
「君が、葛葉ライドウ君?」
 問いかけは疑問ではなく確認だ。
 少年はひとつ頷いて肯定を示し、
「此れはゴウト。共々、本日よりお世話になります」
 と至極堅苦しい調子で足元の黒猫を紹介した。
 黒猫はつれない素振りでそっぽを向き、鳴海は思わず吹き出す。別に猫の動作に笑ったのではない。少年の声が余りにも予想通りに硬く平坦であったからだ。
 しかし笑われる理由など知りもしない子供は僅かに眉をひそめて怪訝さを露にした。
「何か?」
「ああ、いや、ごめんな。俺は鳴海。此処の所長をやっている。君の事は探偵見習いとして預かるから、一応君の上司ってことになるけど」
「承知しています」
 鳴海がどうにか笑いの発作を収めると、少年は元の人形めいた無表情に戻った。まるで金剛石のような子供だ。硬く、研磨されて美しい。だが、其れ故に打ち砕きたい欲求を生む。
「なら話は早いな。君には結構働いて貰うよ?こう見えて、探偵稼業は中々忙しくてね、調査から雑用から退屈している暇はない」
 言葉に嘘を交えながら(何せ始終閑古鳥が鳴いている上、危うく退屈に殺されかけていたところだ)鳴海は朗らかに笑ってみせる。
「遊びで居られちゃ困るからな、上司の云う事は聞いてもらう。それが最初の約束だ」
 少年はもう一度頷いた。
「帝都守護の任に差し支えない限りは、貴方の命令を優先します。それで良いですか」
 打てば響く答えに鳴海は満足する。
 帝都守護と謳いながらこの子供には守るものなど何もないのだろう。だから迷わない。その迷いのなさが羨ましくもあり、同時に憐れみも覚えた。
 可哀相に、その真っ直ぐな心はいずれ、性質の悪い大人に折られてしまうだろうに。
 尤も、容易にこの手に落ちてくる子供には思えない。だが手強い獲物であるほうが楽しめるというものだ。
 手始めにこの人形のような無表情をどう引き剥がしてやろうか。そんな夢想をするだけで心が逸る。当面、退屈には殺されずに済みそうだ。
 平穏な日々よさらば。鳴海はゆるく微笑んだ。
 そのうち足元を掬われて葛葉ライドウという子供に殺されるかもしれないがある意味それも本望という奴だろう。
(全く大人ってのは性の悪い生き物だね。)
 そう思ってから、否、と考え直す。

「単に俺の性根が腐ってるのか」

 何か仰いましたかと目線を上げるライドウに、鳴海は笑って肩を竦めた。いいや何でもないよこれから宜しく。差し出した手に触れる温度はきっと陶器のように冷たいだろう。しかし想像を裏切って、握り返された手は血の通った子供の温度だったので、鳴海は今度こそ堪えきれずに笑い出した。
作品名:悪癖 作家名:カシイ