パチンコ
何を、と主語を示さなかったのは僅かばかりの抵抗だった。抑揚のない、のっぺりとした感情が含まれない含ませない声はすうと通った。水面を伝う波紋のように空気の上を滑り、彼の――景時の耳へと伝う。
けれど彼は首を小さく振り、望美の願いを受け入れはしなかった。代わりに普段と寸分違わぬ柔和な笑みを浮かべ、こちらを見ている。銃口は真っ直ぐに望美の胸元に向けられたまま、ぴくりとも動かない。
指先に灯る熱は引き金へと吸い込まれ、かちり、と独特な金属が弾かれた音が鳴る。弾かれたように望美の後ろへと控えていた八葉たちは突然の反逆者へと刃を向けた。
銃口は未だ下ろされていない。
かつて仲間であった時分から景時は、掴みどころのない男だった。核心に触れる前に、するりと躱されてしまう雲のようなところがあった。穏やかで気弱な面ばかりが先行しがちであるが、景時は戦奉行である。時には非情な判断を取る立場にあり、情よりも利を優先しなくてはならない彼を、今まで何を以て穏やかと定義をすべきだったのか。
これほど武士らしい性質を持っている者も、珍しい。
生来のいざこざを好まぬ気質に隠れていたが、景時は一度決めたことには躊躇わず行動に移すところがある。主君を立て筋を通し、文字通り骨身を削ってでも報いようとする。誓いを交わし主と定めた男は九郎の兄である頼朝である。九郎ではない。
九郎では、ないのだ。
断絶された隔たりに気づき、拭うべきだったのは望美だ。間合いを計りゆっくりと離れていく景時は望美たちではなく主君を選ばざるを得なかった心情を汲み取らねばならなかったのは、神子であり時代のしがらみを持たない望美自身が行うべきことであったことに今更気がつくなど、断じてあってはならないことだった。
思考が迷走する。
悔恨ばかりを繰り返し、何かを得る度にまた何かを失う摂理を味わい、苦悩し、果てに何を目指し、目指すべき義務を責を負い、どこへ終着しようというのか、望美はわからなかった。
望美にとって運命を遡るというのは、ひたすらに作業でしかなかった。抗うこととは違い、崩されたピースを一つ一つ丁寧に組み合わせ構築していく作業のようなものだった。翻弄されるままに、散乱する神の思考のままに振舞うしか出来ないでいる。
そうして生を消費する己の意義とは、神子とは、一体何なのだろう。
大仰な肩書きを与えられたのにも関わらず、一つとして、まだ何一つとして成し遂げられてはいない世界の平定。仲間一人救えずして何が世界だ。まるでお笑い草ではないか。
上滑りする思考の上を歩く時が恨めしく思っていると、譲の声が耳を刺した。それと同時に譲に腕を引かれ、望美の身体はぐらりと傾いた。
景時が弾を放ったのだ。
望美が元居た場所――船床に、鉛の弾がめり込む。
景時の進む道と、望美が進もうとする道はこの時空では交ることはないのだと、明確な殺意を以て放たれた弾痕をまじまじと見つめる。
――望美ちゃん。
心地の良い低音で名を呼ばれる贅沢を顧みることなく甘受していただけなのかも知れない。募る悔しさを何処にもぶつけられぬまま、ただ口の端を噛み締めることしか出来ない己が不甲斐なく情けなく、消えてしまいたかった。