黒籠アリス5
ほんの数分、家を眺めて立ち尽くし、さて、どうしようかと黒子が迷っていると、不意に制服姿の召使いが森から駆けてきた。
召使いだと黒子が踏んだのは、そのような服装をしていたからなのだけど、性別のほうはよく分からない。
(いえ、彼のところの先輩に似ているから、恐らく男性なのでしょうが……)
優雅な手つきで、トントン、と家のドアを叩く召使いを見て、黒子は思う。
女性的だけど、男性なのだ。それでもって、すごいシュートを使い分けてくるに違いない。
黒子がそんなことを考えていると、家のドアが開いて、また別の召使いが顔を出す。
こちらも制服姿で、やはり黒子が見覚えのある顔をしていた。先に現れた召使いとは違い、決して高身長ではない。それだけで、黒子は彼に少し親近感を覚える。
オネエの召使いが、脇に挟んでいた身の丈ほどもある大きな手紙を差し出してみせる。
相手に手渡しながら、大袈裟に、
「公爵夫人へ。
女王様からクロケーのお誘いよ」
小さめの召使いも改まった様子で、
「女王から、
公爵夫人にクロケーのお誘いだな」
召使い二人は、深々とお辞儀をする。
オネエの召使いが帰ったあとで、小さめの召使いは玄関脇に座り込み、ぼんやりと空を見つめた。
黒子はドアの前まで行って、知り合いの先輩に似た召使いに挨拶してから、ドアをとんとんとノックする。
「ノックしても無駄だぜ」
と、召使い。
「理由は二つ。第一に、オレがお前と同じドアの外にいるから。第二に、中が騒がしくて誰もノックの音に耳なんて貸さねえからだ」
確かに中では途轍もない物音がしていて、ひっきりなしに喚く声、その合間に物が壁にぶつかる音がする。
「なら、教えてください」
黒子は頼んでみる。
「入るには、どうしたらいいんですか?」
その時、サッと家のドアが開いて、藁納豆が召使いの頭めがけて飛んできた。
召使いの鼻先を掠め、後ろの木に当たって落ちる。
「――どうしても中に入るのか?」
と召使い。
黒子は頷き、
「入るには、どうしたらいいですか?」
再度訊いた。
「お前の好きにしたらいいさ」
召使いは口笛を吹き始める。
「分かりました」
と答えて、黒子は自分でドアを開けて、家の中に入った。
ドアはそのまま大きなキッチンに続いていて、隅々までもうもうと煙でいっぱいになっている。
公爵夫人……夫人? が中央の三脚椅子に腰かけて、赤ん坊をあやしていた。
料理人が炉の上に身を屈めて、大きな鍋でスープをかき混ぜている。
「スープから、辛そうな匂いがします」
黒子は無表情を保って呟く。
公爵夫人は端整な顔を僅かに歪め、赤ん坊はひっきりなしに喚いていた。
キッチンで平然とした顔をしているのは、料理人と大きな猫だけ。
猫は炉端に寝そべって、大きな体でにやにや笑ってる。その手元には、大量のお菓子があった。
「あの。ちょっとお聞きしてもいいですか」
黒子は相棒の兄貴分そっくりの公爵夫人……夫人? に尋ねる。
「あの猫、ボクの元チームメイトにそっくりなんですが……」
公爵夫人が優雅に微笑む。
「あれはチェシャ猫だよ。――このゴリラ!」
最後のセリフが乱暴だったので、黒子は面食らう。
けれど、それが赤ん坊に向けたものだと分かり、気を取り直した。
「泣き喚くなアル、モミアゴリラ!」
中国人の料理人が、袋に入ったきりたんぽや寒天を手当たり次第に赤ん坊に投げつける。
ぶつかってケガするような物はないからか、公爵夫人は自分にぶつかっても素知らぬ顔をしていた。
「子供はもっと大事に扱ってあげてくださいよ」
黒子は抗議する。
「It\\\'s none of your business」
そう言うと、公爵夫人は赤ん坊をあやし始めた。
子守歌らしきものを歌いながら、赤ん坊を荒く揺さぶる。
「♪ 小さな坊やは どやしつけて~」
歌いながら、公爵夫人は赤ん坊を荒々しく放り投げる。
可哀想に、赤ん坊は泣き喚く。
「バスケットボールじゃないんですから、そんなに高い高いしないでください!」
黒子が再度抗議すると、
「お望みなら、ちょっとあやしてみなよ!」
公爵夫人は黒子に赤ん坊を投げて寄越した。
「オレはそろそろ、女王とのクロケーの支度をしないとね」
そう言って、公爵夫人は颯爽と部屋から出ていく。
黒子が受け取った赤ん坊は、手足を目いっぱいに突っ張るものだから、抱えているのが一苦労だった。
けれど、保育園での職場体験が活きて、黒子はなんとかこの赤ん坊の上手いあやし方を見つける。
それが分かると、早速に赤ん坊を外へ連れ出した。
「あれ、でもこの後の展開って……」
黒子がはたと物語の行き先を思い出した瞬間、赤ん坊がゴリラになって黒子の腕の中を飛び出す。
「なんで、ワシはモテんのじゃー!」
悲痛な叫び声を残して、赤ん坊だったものは森の中へと走り去っていった。
「なんだったんでしょう……」
黒子はその場で呆然と立ち尽くす。
すると、数メートル先の木の枝にチェシャ猫がいるのを見つけた。
猫が黒子を見て、ニッと笑う。
見れば見るほど、元チームメイトにそっくりだな、と黒子は思った。
「チェシャ猫さん」
黒子は話しかけてみる。
猫は、ニッと笑った。
「お聞きしたいんですが、ボクはこれからどこへ行けばいいんでしょう?」
「ん~? 自分が行きたいとこ行けば~?」
「別にどこでもいいんですよ」
「行きたいとこがないなら、どこへでも行けばいいじゃな~い」
パンがなければ~、みたいなノリで返される。
黒子は質問を変えよう、と思った。
「この辺りには、どんな人が住んでいるんですか?」
「あっちには帽子屋が住んでる~」
猫はキャンディを持った右手を振る。
「そんで、あっちには3月ウサギ~」
今度は何も持っていない左手を振った。
「どっちも変な奴だから、好きなほうに行けば~?」
「変な奴って……」
黒子は閉口する。
猫は「ん~?」と子供みたいに首を傾げた。
「それよりさー。今日は、女王ちんとクロケーするの?」
「いえ。ボクはお誘い受けてないので……」
「じゃあ、あとでそこで会おうね~」
まったく噛み合わない会話をして、猫はフッと姿を消す。
黒子は猫がいた場所を暫しジッと眺めてから、3月ウサギが住んでいると教わったほうへ歩いて行った。
それほど歩かないうちに、3月ウサギの家が見えてくる。
二本の煙突が耳の形をしていて、屋根がふわふわの毛皮を葺いてあるから間違いないと思った。
大きな家だったので、黒子は左手のキノコの欠片を齧って、六十センチくらいの背丈になってから家に近づく。
「さて、お邪魔しますか」
物語の少女とは違い、黒子は男前に言った。