黒籠アリス-終
黒子は応え、そっと立ち上がる。
心構えもしていたし、自分の体が大きくなっていることも忘れていなかったので、物語の中の少女のように、小さな裁判員たちをひっくり返さずに済んだ。
「この件について、何か知ってるか?」
王が黒子に尋ねる。
「まったく、何も」
黒子は答えた。
王が手帳を取り出し、中身を読み上げる。
「第42条 女王に従わぬ者で、女王より背が高い者はすべて退廷とする」
みんなが黒子を見た。
「ちょっと待ってください。なんですか、その条項は」
「うるせえ。ここでは女王がルールだ」
溜め息混じりに言って、王は手帳を閉じる。
「評決にかかれ」
王が命じると、2号? が大慌てで口を挟んだ。
「待ってください。たった今、こんな文書が届きました」
女王が目だけを2号? に寄越す。
「中には、何と?」
「まだ開けていませんが……手紙のようです。そこにいる被告人から、誰かに宛てた」
「宛て先は誰なんすか?」
坊主頭の裁判員が2号? に尋ねる。
「宛て先がない。……紙の表には、何も書いていません。これは手紙ではないですね、一篇の詩のようです」
紙を広げながら、2号? は答えた。
また別の裁判員が2号? に尋ねる。
「筆跡は被告のものなのかねぃ?」
「いいえ、違います」
「そいつが誰かの筆跡を真似て書いたんじゃねえのか」
「ちげぇよ、王サマ」
黒のジャックが王に言い返す。
「オレはそんなもん書いてねえし、書いたなんて証拠もねえだろ。最後に、サインも入ってねえしよ」
「何か悪巧みしてるから、自分の名前を書かなかったんじゃねえのか? まっとうな奴なら、自分の名を書いたはずだ」
法廷に拍手喝采が鳴り響く。
「これで、はっきりしたな」
と女王が口を開いた。
黒子は意を決し、女王に反論する。
「そんなものは証拠になりません。そこに何が書いてあるかも分かっていないのに」
王が2号? を見て命じる。
「読んでみろ」
2号? は眼鏡をかけた。
静まり返る法廷の中で、2号が詩を読み上げる。
「――意味ありげな文章だな」
詩を聞き終えたあと、王は言った。
独り言みたいに詩を読み上げながら、王は文章を解読していく。
「『それは確かなことだ』……これは裁判員だな。『彼女が事を強行したら』……これは女王のことだ。『オレは女に一つ、男に二つ渡し』……これは、ジャックがタルトをどう片づけたか」
「けど、続きは『それらはすべて、男から君のもとへ戻った』です」
黒子は口を挟む。
「それでか。そこにあるのは」
王は静かに、テーブルの上のタルトを指さした。
「これほど明らかなこともねえな。それから……『彼女が激昂するまでは』とある。……なあ。お前、激昂したことなんかないよな」
王が女王に向けて言う。
「ないに決まっているだろう」
女王が威厳たっぷりに言うと、王は一つ頷いた。
「じゃあ、評決にかかれ」
王が今日何度目かのセリフを言う。
「ダメだ」
女王が厳しい口調で言った。
「刑が先、判決は後だ」
「そんなの、おかしいです」
黒子は面と向かって女王に反論する。
「黙れ」
女王が重々しい声で命じた。
「黙りません」
黒子は決して屈しない。
「僕の命令は絶対だ!」
女王がそう叫んでも、法廷にいる者は誰一人動かなかった。
女王が、悔しさに顔を歪める。
玉座に座ったまま俯くと、フッと息を吐き、吹っ切れたような笑顔を黒子に向けた。
「お前の、勝ちだ」
「えっ。誰ですか、キミ」
「オレはハートの女王に決まっているだろう?」
その途端、トランプのカードたちが一斉に舞い上がり、黒子の頭上にふわふわと降り注いでくる。
(あれ? こんな結末でしたっけ?)
困惑しながら舞い散るカードをやり過ごしているうちに、黒子はふと目を覚ました。
図書室のカウンターで、隣に座っていた降旗が心配そうに黒子を見ている。
「どうした、黒子。大丈夫か? 魘されてたみたいだけど」
「……ちょっと、不思議の国に行ってました」
「はあ?」
降旗が素っ頓狂な声を出す。
黒子が夢の内容を語って聞かせると、苦笑いしながら、
「最近、その小説を読んだの?」
黒子も苦笑しながら、
「そういうわけでもないんですけどね」
図書室の時計を見ると、思ったより長い時間眠っていたことに黒子は気づいた。
「どうせなら、今度はみんなが猫になった夢でも見たいです」
黒子がぽつりと呟くと、
「それは、男子高校生が見る夢としてはファンシー過ぎない?」
と降旗が笑った。