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Kiss it Make it well

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 御主人様は、うつくしい方です。

 これまで、なんにんかの御主人様のところではたらきましたが、いまの御主人様ほどうつくしい御主人様を、わたしはしりません。とてもわかく見えるのに、なにかとてもむずかしいことをなさっています。学のないわたしには、なにをなさっているのかわかりませんが、とてもとてもむずかしいお顔をされています。それでも、わたしにたいしてはとてもやさしくしてくださるのです。
 ある日、御主人様はおでかけになりました。ぜったいに部屋をでてはいけないといいのこして、御主人様はくろいものをかぶり、でかけていってしまいました。わたしはひとり、部屋で待っていました。御主人様のことばは、わたしにとってのすべてだからです。御主人様が、わたしにあたえてくださる、たったひとつの仕事だからです。
 そして、御主人様はかえってきました。くろいものをとって、御主人様はわらいました。とてもうつくしく、わらいました。わたしはそれを横からみつめていました。とてもうつくしい横顔でした。

 「ナナリー、ああ、ナナリー」

 御主人様は、これまでもなんどか呼んでいた名前を呼びました。なんどもなんども呼びながら、わらいつづけます。わたしにたいしてやさしかった御主人様ですが、そんなやさしさなどくらべものにならないほどにやさしく、そしてやわらかいお顔をされています。
 それでも、そのお顔をむけるのは、わたしにたいしてなどではないのです。御主人様がわらいかけるそこには、だれもいません。なにもありません。ただ、しろいしろい、かべがあるのです。

「御主人様……だれにはなしかけているのですか」
「だれって、ナナリーにだよ。おれの妹だ。おまえもいっしょに折り紙を折っていたじゃないか」

 御主人様はとてもむずかしいことをいいました。わたしにはわからないことをいうので、ぽかんとしてしまいました。わたしは、おりがみ、というものがなにか知りません。ナナリー、というひとも知りません。御主人様にいもうとがいた、ということも知りません。いっしょに、ということばもわかりません。
 けれど御主人様は、わたしのほうをみることもありません。ただなんども、その名前を呼んでばかりです。そのしろく、うつくしい手がのばされます。けれどそこにはやっぱり、だれもいません。なにもありません。
 どうしてそこで御主人様にくちごたえする気になれたのかはわかりません。これまでもおかしなことをいって、なんども御主人様たちに怒られてきました。もしかしたら、御主人様はやさしいから、とただそうおもっていただけかもしれません。わたしは、御主人様の手をいつのまにかにぎっていました。

「御主人様…………だれも、そこには、だれもいません……っ」
「だまれっ、だまれ、だまれ! ナナリーはそこにいるじゃないか、ほら、そこに!」

 さわったらすぐに、御主人様はつよく手をふりました。つまりわたしは、ふりはらわれたのです。まえにもおなじようなことがありましたが、こんどは御主人様の手がわたしのほほに当たりました。おおきな音がたち、ほほはすぐに痛みだしましたが、御主人様はこんどはこちらをみてはくれませんでした。まえはすぐにしゃがみこみ、血がでた手をみてくれました。汚いともいわず、手にふれてくれました。
 でもいまの御主人様は、やはりわたしをみてはくれません。

「ああ、ナナリー、どこにいったんだい? こんな女のいうことなんか、信じるんじゃないよ。ほら、でておいで。おまえは足がわるいくせに、目をはなすとすぐにいなくなる。困ったやつだよ、ほんとうに」

 御主人様は、きょろきょろとあたりをみまわしはじめました。わたしにはみえないだれかをさがしているのだと、すぐにわかりました。そしてそれは、ナナリー、というひとをさがしているのだということも、わかりました。けれど、そんなことがわかっても、なんの意味もありません。ただ、ほほが痛みます。
 御主人様は、こんな女、をおしてあるきだしました。部屋のなかをぐるぐると、きょろきょろしながら、なんどもなんどもまわります。こんな女、のわたしは、それをみているしかないはずでした。でも、わたしは御主人様にむかってはしっていました。おいかけて、その腕にふれていました。
 わたしにも、御主人様がみているものがわかったのです。それは、まぼろし、でした。寒さにこごえるとき、わたしもそれをよくみたからです。寒くて寒くて、手足のかんかくがすこしずつ消え、ふるえもとまり、傷をつけてもあたたかくならないとき、わたしはよく家族をみました。やさしいおとうさん、やさしいおかあさん、やさしいきょうだいをみました。けれどそんなものは、ずっとずっとむかしに、なくしたものでした。いえ、はじめからないものでした。
 御主人様も、きっとそれをみているのです。さむくてこごえて、御主人様はまぼろしをみているのです。だから、御主人様の手は、もうふるえていないのです。この部屋をでていくとき、あんなにもふるえていた手が、いまではもうふるえていないのです。
 まぼろしをみても、なにもいいことはありません。やさしいかぞく、はないからです。おいしいたべもの、はないからです。ともだち、はいないのです。それを御主人様につたえなくてはいけません。はじめて、じぶんでもわかる、口答え、でした。

「御主人様、御主人様、ちゃんとみてください……っ、そこには、だれも……ッ」
「ナナリー? ナナリー、どこだい? おかあさまが呼んでいるよ? ユーフェミアがいっしょに絵本を読みたいんだって」

 御主人様のことばは、もうわからないことばかりです。わたしがいくら呼んでも、御主人様はもうきいてもくれません。ただ呼ぶのは、たったひとりの名前です。やさしく、やわらかく、とろけそうな声で呼んでいるのです。みつかるはずもないだれかを、ずっと呼んでいるのです。わたしにはみえないだれかに、ずっと手をさしだしているのです。

 けれどここには、だれもいないのです。

 これが愛だと、いきなりわたしは知りました。そんなもの、知ることなど一生ないとおもっていましたが、とつぜんわたしにはわかったのです。これが、愛、なのだと。これこそを、愛というのだと、知ってしまったのです。御主人様は、だれかへの愛にあふれ、だれかへ愛をそそぎ、だれかの愛となって、いまそこでおどるように、だれかをさがしているのです。
 わけもわからず、泣いてしまいました。愛を知らなかったわたしは、愛というまぼろしをみることだけはできなかったのです。なによりもほしくて、なによりもみたかったまぼろしなのに、みられなかった。けれどその愛が、まぼろしなどではなく、いま目の前にあるのです。
 わたしはいま、愛をみているのです。

 御主人様は、うつくしい方です。ただ、うつくしい世界にはおうまれにならなかったのです。だから、こんなにもうつくしく笑うことは、いままでなかったのです。
 うつくしいひと。うつくしいひと。うつくしいひと。いまはこんなにも、うつくしくわらっている。

「ナナリー、愛しているよ。ほら、いっしょにねむろう」

 だから、おやすみのキスをしてあげよう。
作品名:Kiss it Make it well 作家名:えむのすけ