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緩やかな歪み

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 午後九時の電車は誰も疲れた顔をしていた。主要な駅で人は抜けて、がらがらの中に酒気ばかり残る、酩酊する車内の、向かい側の座席。誰より疲れた顔をする母を挟んで、双子の妹。右に九瑠璃、左に舞流。車両の端から、いびきが聞こえる、残業疲れのサラリーマン、折原は横目でちらり見て、蔑んで笑う。大声できゃらきゃら携帯と話す女子高生、睨みつける趣味の悪い老婦人。家族と、数名の他人で占められた、がらんどう。揺れに合わせて吊革がぶらり、大きな窓の向こうの、ぎらぎらの光、を背景にして、妹二人の落ち着いた子供服。折原の隣には大きな紙袋が二つで、赤い薔薇の絡まる図案はどことなく双子を想起させる。妹の洋服の買出しに、荷物持ちとして折原は呼ばれたのであった。茶色の大人しめのワンピース、花柄のフリルスカートにブラウス、大人向けファッション雑誌をそのままミニチュアにした、少女趣味な洋服ばかりが並ぶ百貨店、本来思春期の男子たるもの家庭の女子の買い物など拒絶するべきなのであろうが、そこは折原の策略である、一つ荒事を起こす前に家庭内を円満に保全したいのである。何も知らない母親は、きっと近所の奥さん仲間から家族仲が良いなどおべんちゃらで喜ぶのだろう。愛すべき、可愛い人。
 がたん、一つ駅をすっ飛ばして爽快、快速電車。母の扱いは手馴れた折原であるが、まだ生まれて間もない、といっても三年は経っているのだが、小さな妹たちへの対応に手をこまねいていた。手の中に納まる大きさだった幼児から、日ごとに伸びる身長、定まらない性格、すぐに泣いたり、それを許されたりする特別な存在。少女とは、妹とは、双子とは、一体? 三つ編みとショートヘアで無ければ見分けの付かない容姿さえ、観測を歪める。規定されていない思考回路は、予測を許さず、人に振り回される経験の少ない折原にとっては非常な苦痛であった。二人して後ろ向きで、靴は座席に乗らないように、膝立ちで窓の外に興味津々。母親はいつの間にか居眠りしていた。
 自重しない九瑠璃が、遠くに見えたパチンコ屋の看板に、前のめり、座席に足をかけた。あーあ、折原は眉をひそめて、行儀の悪い子どもは嫌いである、九瑠璃を見ていた。お兄ちゃんあれ何、なんて意図で妹が振り返り、彼の渋い視線に気付いた、すると、妹は慌てて、どうしてお兄ちゃんは怒っているのとばかり、自分の体を一目見て、そうか靴乗っけちゃ駄目なんだ、気付いたらしく白いスニーカーを脱ぎ捨てた。一連の動作に、折原は驚き、面白いじゃないか、微笑んだ、すると今度は舞流が彼の表情に気付き、褒、とばかりに靴を脱ぐ。良い子だ、折原は微笑んで見せる。座席の向こう側で、双子も笑う。下車しない駅に電車が止まる、他の乗客は全員降りてしまう。
 電車が出発すると、折原の興味は一瞬で消えうせ、また常の表情に戻る、双子は当然面白くない、行動したのは舞流であった、寝ている母の膝によじよじ、母の機嫌を損ねることを良しとしない折原は、眉をひそめた、途端に顔色を伺っていた舞流が手を引っ込めた。じゃあこれは、とばかり九瑠璃が誇張して膝の上に手を置き、きちんと座席に座ってみせる、良しよし、笑顔を浮かべる兄を見て九瑠璃は満足げ。次は舞流が脱いだ靴を一人で履いて、もちろん頬はほころぶ、九瑠璃が母の髪を引っ張ろうとすれば不機嫌、次の駅を通過する頃にはもう折原は気付いていた、少女たちは視線だけで教育できる。気付けばとても簡単であった。折原が笑えば、双子は喜び、不機嫌になれば双子も怯える。ただそれだけであった。世間的に悪いことであっても、たとえば熟睡してしまった母を置いて電車を降りてしまっても双子は折原が笑えば付いて来るだろう。まさかそんな残酷しないけど、にやり口の端を歪めた理由を双子は分からず顔を見合わせる。
 電車が最寄り駅に着くまで後二分。折原は初めて双子の扱いを知り、同時に人の扱い方も心得た。そしておそらく双子は、この時初めて折原臨也に歪められたのだ。ネオンが途切れて、暗闇。延びたレールは、緩やかにカーブ。
作品名:緩やかな歪み 作家名:m/枕木