花発多風雨、人生別離足
義勇のひざのうえで、艶を失った黒い羽が小さく動いた。
羽ばたくこともかなわぬほどに、力をなくした羽が悲しい。そっとなでてやれば、寛三郎はふるふると小刻みに震えながら、義勇を見あげてくる。
午前中には近所の子がぞろぞろと、七夕の竹を分けてくれとやってきた。炭治郎も一緒になって、あれがいい、これがいいとワイワイ騒ぎながら、にぎやかな声をひびかせて竹をえらんでいたが、午後も深まった今はいつもどおりの静けさが屋敷を包んでいる。
夕方になれば炭治郎は、節供を祝って五色の短冊を竹に飾るだろう。義勇が座る縁側には色とりどりの短冊や吹き流しが揺れて、華やかになるに違いない。
義勇に言わせれば節供など旧暦でなければ意味もないし、芸事などとんと縁のない男所帯だ。詩歌(しいか)や裁縫の上達を願ってもしかたないだろうにと、首をかしげたくはなる。だがそんな無粋は義勇も口にはしない。炭治郎が楽しげならばそれでいいのだ。身重の禰豆子の代わりですと言われれば、義勇も、それならばきちんと棚機津女(たなばたつめ)に願わねばと思いもする。
数年前までは鬼狩りに東奔西走していたから、屋敷にはろくにいなかったし、一人と一羽の暮らしは無粋そのもので、節供を祝うような習慣もなかった。近隣の人々の顔もろくに知らなかった義勇だが、炭治郎と暮らすようになって以来、まぁまぁ人並みな近所づきあいができている。
床の間に飾られるばかりになっている折れた日輪刀をふるって、子供らにせがまれるままに竹を斬ってやるぐらいには。
すごいすごい、まるで豆腐みたいに簡単に竹が斬れたと大はしゃぎの子らにまじり、炭治郎も子供と同じ顔で笑っていたのがかわいかったな。ほんのり思いながら、義勇は寛三郎をなで続けた。数多の鬼を斬り続けた刀の行く末が、七夕飾りの竹を斬る鉈替わりだなんて、なんともまぁ平和なものだ。
おっちょこちょいなアブラゼミが竹林にやってきたものか、やけに近くでジジジジと鳴き声が聞こえだした。竹では腹の足しにはならないだろうに、セミにも寛三郎のようなやつがいるのだなと、義勇の目元が自然と和らぐ。
にぎやかにはしゃぐ童たちを、いかにも好々爺然とした風情でうれしげに見ていた寛三郎は、今は口を開くのもおっくうなのか、義勇の膝にうずくまりなでられるままになっている。
飛ぶことはかなわずともまだまだ元気だと思っていた寛三郎だが、梅雨に入ったあたりからぐんと弱った。このところは日がな一日うつらうつらと眠るばかりで、食事もろくにのどを通らぬようだ。
膝に乗る寛三郎を、義勇はやさしくなで続ける。いったい何年こうして寛三郎といただろう。義勇にとって、隊士として過ごした日々は、寛三郎とともに歩んだ道のりそのものだ。
「寛三郎、なにか食えそうか? 炭治郎が厨(くりや)で昨日善逸が持ってきた桜桃(さくらんぼ)を洗っている。少しでも食べるといい。そうだ、今夜は七夕だから炭治郎がそうめんを茹でるぞ。先に少し茹でてもらおうか」
問いかけてはみたものの、もはや望む答えが返ってくるとは義勇も思っていない。
出逢ったときからすでに、ほかの鴉よりずっと年をとっていた寛三郎は、それでも義勇の鎹鴉でいつづけてくれた。こんなにも長いことともにいられたのは、奇跡と言っていいほどだと、義勇は思う。
水屋敷の裏手に広がる千年竹林から、さわさわと川のせせらぎに似た葉擦れの音がする。そそっかしい蝉の鳴き声が、生を謳歌してひびく。心地よい風が吹いていた。夏の走りの日差しはどこまでもまぶしく、濡れ縁に降りそそぐ。
炭治郎はきっと、みずみずしい桜桃を鼻歌まじりに洗っている。調子っぱずれの鼻歌に、松衛門が茶々を入れ、厨はいつもどおりさわがしいことだろう。
なべて世はこともなし。そんな文言が脳裏に浮かぶ、のどかな午後。梅雨明けにはまだ早いはずなのに、このところすっかり夏めいてきた。じっとしていても汗ばむ日が多い。けれども今日はいくぶん涼しく、かといって雨が降る気配もない。寛三郎がうれしげに日向ぼっこして眠るには、いい日和だ。
多くの知己を失いながらも無惨を倒し、必死につかんだ穏やかな日々。毎日毎年代り映えのない日常と、折々に節供を祝う平穏でささやかな幸せのなかに、寛三郎もいてくれた。
炭治郎と義勇が寄り添い生きる暮らしに、寛三郎もまた、そっとそばにいる。
とんちんかんなうけ答えに首をかしげたり、いきなりとんでもない方向へ飛んでいこうとするのにハラハラさせられるのは、鬼狩りだったころとなにも変わらない。
けれども今、寛三郎の命の灯は静かに消えようとしている。それが義勇にはただ悲しい。
ずっと変わらなければいいものを。
どれだけ願っても、変わらぬものなどそうそうないのも、義勇はよく知っている。
変化はいつでも、義勇からなにかをうばっていった。
そしてまた一つ、義勇の腕から大切なものが消えていく。
それを確信しながら、引きとめる術すべを知らず、見守ることしかできない。
けれど変化は悲しいことばかりではないと、義勇は臨月の禰豆子の大きな腹を思い浮かべ、小さく微笑んだ。
羽ばたくこともかなわぬほどに、力をなくした羽が悲しい。そっとなでてやれば、寛三郎はふるふると小刻みに震えながら、義勇を見あげてくる。
午前中には近所の子がぞろぞろと、七夕の竹を分けてくれとやってきた。炭治郎も一緒になって、あれがいい、これがいいとワイワイ騒ぎながら、にぎやかな声をひびかせて竹をえらんでいたが、午後も深まった今はいつもどおりの静けさが屋敷を包んでいる。
夕方になれば炭治郎は、節供を祝って五色の短冊を竹に飾るだろう。義勇が座る縁側には色とりどりの短冊や吹き流しが揺れて、華やかになるに違いない。
義勇に言わせれば節供など旧暦でなければ意味もないし、芸事などとんと縁のない男所帯だ。詩歌(しいか)や裁縫の上達を願ってもしかたないだろうにと、首をかしげたくはなる。だがそんな無粋は義勇も口にはしない。炭治郎が楽しげならばそれでいいのだ。身重の禰豆子の代わりですと言われれば、義勇も、それならばきちんと棚機津女(たなばたつめ)に願わねばと思いもする。
数年前までは鬼狩りに東奔西走していたから、屋敷にはろくにいなかったし、一人と一羽の暮らしは無粋そのもので、節供を祝うような習慣もなかった。近隣の人々の顔もろくに知らなかった義勇だが、炭治郎と暮らすようになって以来、まぁまぁ人並みな近所づきあいができている。
床の間に飾られるばかりになっている折れた日輪刀をふるって、子供らにせがまれるままに竹を斬ってやるぐらいには。
すごいすごい、まるで豆腐みたいに簡単に竹が斬れたと大はしゃぎの子らにまじり、炭治郎も子供と同じ顔で笑っていたのがかわいかったな。ほんのり思いながら、義勇は寛三郎をなで続けた。数多の鬼を斬り続けた刀の行く末が、七夕飾りの竹を斬る鉈替わりだなんて、なんともまぁ平和なものだ。
おっちょこちょいなアブラゼミが竹林にやってきたものか、やけに近くでジジジジと鳴き声が聞こえだした。竹では腹の足しにはならないだろうに、セミにも寛三郎のようなやつがいるのだなと、義勇の目元が自然と和らぐ。
にぎやかにはしゃぐ童たちを、いかにも好々爺然とした風情でうれしげに見ていた寛三郎は、今は口を開くのもおっくうなのか、義勇の膝にうずくまりなでられるままになっている。
飛ぶことはかなわずともまだまだ元気だと思っていた寛三郎だが、梅雨に入ったあたりからぐんと弱った。このところは日がな一日うつらうつらと眠るばかりで、食事もろくにのどを通らぬようだ。
膝に乗る寛三郎を、義勇はやさしくなで続ける。いったい何年こうして寛三郎といただろう。義勇にとって、隊士として過ごした日々は、寛三郎とともに歩んだ道のりそのものだ。
「寛三郎、なにか食えそうか? 炭治郎が厨(くりや)で昨日善逸が持ってきた桜桃(さくらんぼ)を洗っている。少しでも食べるといい。そうだ、今夜は七夕だから炭治郎がそうめんを茹でるぞ。先に少し茹でてもらおうか」
問いかけてはみたものの、もはや望む答えが返ってくるとは義勇も思っていない。
出逢ったときからすでに、ほかの鴉よりずっと年をとっていた寛三郎は、それでも義勇の鎹鴉でいつづけてくれた。こんなにも長いことともにいられたのは、奇跡と言っていいほどだと、義勇は思う。
水屋敷の裏手に広がる千年竹林から、さわさわと川のせせらぎに似た葉擦れの音がする。そそっかしい蝉の鳴き声が、生を謳歌してひびく。心地よい風が吹いていた。夏の走りの日差しはどこまでもまぶしく、濡れ縁に降りそそぐ。
炭治郎はきっと、みずみずしい桜桃を鼻歌まじりに洗っている。調子っぱずれの鼻歌に、松衛門が茶々を入れ、厨はいつもどおりさわがしいことだろう。
なべて世はこともなし。そんな文言が脳裏に浮かぶ、のどかな午後。梅雨明けにはまだ早いはずなのに、このところすっかり夏めいてきた。じっとしていても汗ばむ日が多い。けれども今日はいくぶん涼しく、かといって雨が降る気配もない。寛三郎がうれしげに日向ぼっこして眠るには、いい日和だ。
多くの知己を失いながらも無惨を倒し、必死につかんだ穏やかな日々。毎日毎年代り映えのない日常と、折々に節供を祝う平穏でささやかな幸せのなかに、寛三郎もいてくれた。
炭治郎と義勇が寄り添い生きる暮らしに、寛三郎もまた、そっとそばにいる。
とんちんかんなうけ答えに首をかしげたり、いきなりとんでもない方向へ飛んでいこうとするのにハラハラさせられるのは、鬼狩りだったころとなにも変わらない。
けれども今、寛三郎の命の灯は静かに消えようとしている。それが義勇にはただ悲しい。
ずっと変わらなければいいものを。
どれだけ願っても、変わらぬものなどそうそうないのも、義勇はよく知っている。
変化はいつでも、義勇からなにかをうばっていった。
そしてまた一つ、義勇の腕から大切なものが消えていく。
それを確信しながら、引きとめる術すべを知らず、見守ることしかできない。
けれど変化は悲しいことばかりではないと、義勇は臨月の禰豆子の大きな腹を思い浮かべ、小さく微笑んだ。
作品名:花発多風雨、人生別離足 作家名:オバ/OBA