memories died in our room
茜はそう手紙の出だしに書いて、一度ペンを置いた。はあ、とため息を吐き、椅子から立ち上がって冷蔵庫へ向かう。買い置きのミルクを、コップになみなみと注いで戻ってきた。
彼というのは、つい最近まで一緒に過ごしていた殺し屋のことだ。彼はとても誠実で、黙っていれば殺し屋なんていう、暴力をまとい続けている職業についているとは思えない青年だった。平和島静雄という、名前に似つかぬ職業をしていたと、今でも思う。
茜は彼に初歩的な殺しの仕方を、ほんの少しだけ教わった。彼の仕事を手伝うなどもした。人を撃ったこともあったが、殺したことはなかった。いや、殺したのかもしれない。茜は考えながら、またペンをとった。「彼は私が殺したのかもしれない」。手紙は、告白というよりは、むしろ思いついたメモ書きのように認められた。
『・彼のことをまず話そうと思う。
・彼は、私が殺したのかもしれない。確証はないけれども、私を逃がして彼は私の代わりにいなくなったのだから。
・彼は、どんなに気が立っている時だって、動揺している時だって、コップ一杯のミルクがあれば彼はいつでもおとなしくなった。銃やナイフの仕事道具とミルクと観葉植物。彼の大切なものは片手で事足りる。其処に私が入るようになったのは、本当に最後になってからだった。
・彼の朝は規則正しく、とても単調だった。正しく揺れるメトロノームのように淡々としていてぶれがなかった。つまらないといえばそうなる。けれども彼はそれをつまらないと嘆くこともなく、時折かわいいわがままを言う私に困った顔をした。
・彼は仕事以外に関しては、正直者で、嘘がつけそうにない人だった。逆に言うと、騙されやすい馬鹿だった。笑えるけれども、そんな所はひどく可愛いと思う。そんな彼が私についた、最初で最後の嘘が、あのビルを抜けた後、いつもの店で待ち合わせて、それから誰も、私たちのことを知らない街で、根を下ろして生活しよう、という嘘だった。それを聞いたとき、私はそれを嘘だとは思わなかった。予感はしたけれども、彼はそれを真実にしてくれると思っていたのだ。けれども、その言葉は真実にならず、彼はどれだけ待っても私の前に現れず、そして私は一人になり、学校の寄宿舎に今日も一人で過ごしている。
・今日、彼の友達の観葉植物を、学校の庭へこっそりと埋めた。これから毎日、彼がやっていたように水をあげることになる。私がここを離れるまで、『彼』は私のたったひとりの友達だ。
・驚いたことに、いや驚くべきことではないかも知れないけれども―彼の職業柄、足がつくようなものは何一つ残せなかったから―、彼がいたことを証明できるものが、私と、その観葉植物と、彼が残した膨大なお金しか残っていない。私は彼の嘘をずっと思い出しながら、彼がいなくなったのは仕事でないだろうか、と彼の夢を見るたびに思うのだ。最期を見ていないから、そして形跡も、何も残っていないから、私に知らせずに、こっそりとどこかを歩いているのではないのだろうかと、そんな馬鹿げた幻想を夢見る。今も。
・彼のことを思い出すたびに、もう一生分の恋をしたのだと私は確信する。多分もう、いつか彼以外の誰かを愛しても、彼以上には愛せない。小さい頃、周りにあったもので、その人の人格が、大体定まってしまうのと同じで、多分、そう、私の一部になってしまったのだろうと思う。
・いつか、彼の声が思い出せなくなる。彼の、ライオンの鬣のようにきらめく金色に染めた髪も、大きな手の感触も、サングラスの奥にあった優しい瞳もすべて。彼がいた形跡すべて、思い出せなくなってしまう。それはとても悲しいことだけれども、私が彼を忘れなければ、彼は私の中で生き続けるのだと私は思う。彼に殺された私のこころの一部を、もうきっと、墓の下に行くまで私は忘れない。
・墓で思い出したのだけれども、彼の墓がまだないままだった。植物に根をはる地面が必要なように、彼にも寝る場所が必要だから、明日彼のお金を持って、お墓を立てにいくことにしようと思う。』
そこまでを書き終えて、茜は、ペンを机の上に投げ出した。そして書き終えた手紙を、丁寧に折り、封筒に入れ、封をした。差出人の名前は書かない。
開け放っていた窓へ、茜はそれを、ライターと一緒に持っていき、火をその角に燈した。半分以上を灰にして、熱くて手紙をもてなくなってしまったところで、それを窓の外へ落とした。地面へ、星のように光りながら落ちていった火は、しばらくして幻のように消えた。手紙も多分、燃え尽きてしまっただろう。茜はあけていた窓を静かに閉め、鍵をゆっくりとかけた。カーテンを引き、デスクの電気を消し、布団にもぐりこむ。やはりその夜の夢も、茜は彼の夢を見た。
***
翌朝、立ち入り禁止のテープの間をくぐりぬけて、茜はぼろぼろになったビルの中を進んでいた。おびただしい数の弾痕と、どす黒い血の跡が、ほこりをかぶってそこにあった。修復の目処がたつまで、多分これ以上の掃除もされないのだろうと思った。血を噴出し息絶えたはずの人間だけが、ごっそりいなくなっている。その中に彼もいたのだろうか。
ドアのない部屋の前で、茜は立ち止まった。ばらばらになった壁の瓦礫の中に、彼と生活していたころの物のかけらがあるような気がして、茜はその奥にそろそろと足を進める。カツン、と履いた靴のヒールが空しく音を立てた。
「ああ、この辺に、小さなテーブルがあって、いつもそのテーブルで朝ミルクを飲んで…。」
なくなった何もかもを思い出しながら、茜は泣けない自分がいるのに気が付いて、その場に蹲ってしまった。彼との生活も、交わした言葉もなにもかも、まだ鮮明に思い出せるのに、もうまるで、夢の中のことだったようで。自分がいるのに、彼がいないことが、ひどく気持ち悪いことのように思えた。一緒に過ごした期間なんて、それほど長くなかったはずだったのに、彼と会う前を、彼との生活以外を、茜は思い出すことが出来なかった。
顔をあげ、部屋を見渡した視線の端に、彼が唯一、茜にプレゼントしてくれた服が、ぼろぼろになって、元の色もわからないくらいになってそこにあるのを見つけ、茜は弾かれたようにその布切れに飛びついた。一度きりしか着なかった服だ。そういえば、彼はどんな顔をしてこの服をかったのだろう。紙袋を渡されたときを思い出して、茜は薄く微笑んだ。
ぎゅう、と一度、布切れを抱きしめるように胸に抱き、そして瓦礫の上にそっと置いていく。蹲った体を無理やり起こし、茜は帰ろう、とゆっくりと足を動かした。
こつんこつんと、少女に不釣合いなヒールが、土ぼこりをかぶった瓦礫の間をくぐるように、音を響かせる。背伸びして買った靴の所為で、足が痛くてたまらなかった。茜は最後に部屋を振り返り、それから自分の爪先に目を落とし、少しだけ泣いた。
20100409 memories died in our room
#LEON
作品名:memories died in our room 作家名:みかげ