煉義SS詰め
落花流水
煉獄にとって、初めて逢ったときの彼の印象は薄かった。
そもそも初対面時は、逢ったなどといえるようなものでもない。印象というのなら、襲いかかってきた風柱のほうがよほど記憶に残った。
煉獄が正式に炎柱を襲名したときにも、ほかの柱たちと違って歓迎の意を述べてくれるわけでもなく、表情ひとつ動かさないのは彼――水柱、冨岡義勇だけだったのだ。
けれども、柱合会議で顔をあわせるばかりでなく、ときに共闘し任務にあたることがつづけば、それなりに冨岡の為人(ひととなり)も知れてくる。不死川は、お高くとまっていけ好かない奴だと毛嫌いする様子を隠しもしないが、煉獄はそうは思わない。
冨岡は凪いだ水面のように静かな男だが、柱にまでなる者が心に燃える炎を持たぬわけがないのだ。たとえ日頃は覇気どころか生気すら乏しく見えても、彼の剣技は美しい。闘気までもが静謐で、青い炎を思わせる。
水柱である冨岡は、もちろん水を模した呼吸を使い、自らも水のように捉えどころのない男であるのに、なぜだろう。不思議なものだと思いはしたが、その印象は煉獄の胸を高ぶらせた。
鬼殺隊において、水と炎はまるで一対のように、どんな時代にも同時に存在する。そんな水柱である冨岡は、水のように静かに清廉で、灼熱の炎を胸に秘めているように見えた。ぼそぼそと聞き取りにくい小声だったり、挨拶すら積極的に交わそうとはしないつきあいの悪さなど、直すべきだと思われる点もあるが、尊敬に値する柱であるのに違いはない。
是非とも親交を深めたいと、煉獄は、冨岡の姿を見かけるたび声をかけてはいるが、今ひとつ実りはないのが現状だ。
今日の任務は冨岡とふたりでの任務だった。下弦の鬼ほどの力もない代わりに、やたらと増殖する厄介な術持ちであったが、討伐にさほど時間はかからなかった。
「夜明けを待たずに終わったな!」
刀を鞘に納め声をかけるが、やはり冨岡の返事はない。もはや慣れっこの反応のなさに、煉獄は気落ちせず快活に笑って冨岡の肩を軽く叩いた。
「やはり冨岡の剣は美しいな! 水のようによどみなく優美だ」
冨岡は煉獄の手を避けるでもなく、かといって礼や謙遜を述べるでもない。わずかに視線が煉獄の瞳をとらえただけだった。
「ん? 冨岡、もしかして縮んだか?」
柱襲名の折に、初めて間近に並び立ったときには、冨岡の目は煉獄よりわずかながら上にあったはずだ。けれども今は差がなく見える。
「縮まない」
「おぉ、俺が伸びたのか! 冨岡、どうやら俺は君の背に追いついたようだ!」
なんだかうれしくなって大きく笑って言えば、冨岡が初めて表情を動かした。眉間にしわを寄せ、小さく口を開いたその顔は、心外の二文字がありありと書かれている気がする。
「俺のほうが大きい」
常と同じ小声ながらも、きっぱりと言い返す冨岡は、存外子どもっぽい。なんとはなしふてくされてすら見える。
「では背比べしてみようじゃないか! どれ、その木に互いの背を刻んでみよう!」
言って近くの木に近づこうとした煉獄の腕を、冨岡の手がそっとつかんだ。ドキリと鼓動が跳ねて、内心かすかにうろたえつつ煉獄がどうしたと問えば、冨岡は小さく首を振った。
「桜だ」
呟きによくよく見れば、確かに煉獄が示した木は桜のようだった。
「あぁ、桜では傷をつけるのはかわいそうだな」
桜の木は折ったり傷をつけたりすれば、そこから腐る。それを危惧したのだろう。
「君はやさしい男だな、冨岡」
微笑んだ煉獄に、冨岡は無言で視線をそらせただけだった。
なぜ、そんなことを思い出したのだろう。
身も世もなく泣く新米隊士を見つめ、煉獄は心の片隅で思う。冨岡が自身の命を賭けて信じると決めた少年。まっすぐな気性と意志の強さに、煉獄は知らず微笑んだ。
冨岡、君は正しかった。この少年と妹ならば大丈夫だ。
柱として為すべきことは為した。心残りがあるとすれば、冨岡の笑顔を見られず逝くことだろうか。
凛と伸びた背筋と、静謐で端麗な瞳が、母に似ている。そう、一度だけでも伝えたかった。そして、あぁ、そうだ。
煉獄の唇が、弧を描いたままかすかに動いた。
どう見ても俺のほうが大きくなったぞと、笑って肩を抱いたら、冨岡はどんな顔をしただろうか。
見てみたかったな。ただそれだけが、残念だ。
微笑んだまま、煉獄は静かに息を引き取った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
煉獄桃寿郎がその少年と逢ったのは、桜の舞う季節だった。
出逢いは決して特異なものではなかった。曲がり角でぶつかるなんていうのは、凡百の出逢いのなかでも、いささかベタな出逢い方だろう。
けれど、ランドセルを背負ったその少年が、煉獄の腹に勢いよくぶつけた顔をあげたとき、煉獄の心臓は一瞬鼓動を止めた。それほどの衝撃が、背を刺し貫いたのだ。
「ご、ごめんなさい」
あわてて謝った少年が、大きく目を見開くのを煉獄は言葉もなく見ていた。
「あの、どこか怪我しちゃいましたか? 痛いの?」
動揺が露わな少年の声に、煉獄は、ひとつまばたいた。その拍子に、ポロリと涙がこぼれて落ちる。そこでようやく煉獄は、自分が泣いていることに気づいた。
「うむ? なぜ俺は泣いてるのだろう」
涙の理由は煉獄にもわからない。だが無性に胸が騒いで、痛くて、なのに叫びだしたいほどの歓喜がわいてくる。
「わかんないの? 変なの」
くふっと、いかにもおかしそうに少年が笑う。その笑みに、煉獄の瞳はますます涙を落とした。
「お兄ちゃん、本当に大丈夫? 痛くないなら、なにか悲しいの?」
泣きやまぬ煉獄に、少年が笑みを消して心配げに聞いてくる。
なぜだか「やっぱりやさしいんだな」と、不意に思った理由は、煉獄にも知れない。けれども、ひとつだけ確かなことがある。
ひらりと舞った花びらがひとひら、少年の頭に落ちた。それをそっとつまみとってやりながら、煉獄はわき上がる喜びのままに、泣きながら破顔した。
「いや、俺は今、きっと世界中の誰よりも幸せだ!」
※初出2021/2/7 お題:「私は今、幸せなんだよ」