Nothing
「キク!キク!」
明るい声に呼ばれて菊は我に返った。
目の前には、ブルーの瞳。好奇心いっぱいでキラキラしている所も、いつもと変わらない。
「……アルフレッドさん、どうしてここに?」
「君はいつもそうやって刀を抱えてるんだね。重くはないかい?」
「……もう身体の一部のようなものですので」
「ふーん」
興味津々に覗き込んできたから菊は刀をアルフレッドに差し出した。「いいのかい?」そんなに嬉しそうな目をされては「否」とはいえない。菊が頷くと、アルフレッドは刀を手に収め、その重さに感嘆の息を漏らした。
「キクはすごいな!」
「いいえ。アルフレッドさんが、銃をお使いになるのと変わりませんよ」
アルフレッドは暫く刀を片手でもってみたり、日に翳してみたりしていた。たまになにかを発見したのか「わお!」と無邪気に笑う。
まるで、レジスタンス組織のトップとは思えないほどその姿が幼く見えた。
「アルフレッドさん」
「なんだい?」
「今日も、あの話ですか?」
アルフレッドの瞳からは無邪気さは消えない。そんなところが"らしく"て彼の強さでもあると菊は思っていた。
「うん。だって、キクの腕なら幹部になれるし。アーサーだって反対しないだろうし。それに、俺はもっとキクと話がしたいんだ!」
菊は曖昧に笑いながら、首を横に振った。
「私はただ与えられた任務をこなしていければ、それでいのです」
「消極的だなぁ。でもさ、俺は諦めないよ!」
「……そうですか」
ざわざわと建物内が騒がしくなってきた。
この組織を取り仕切る幹部――そして、No.2とも言える腕を持った、アーサー・カークランドでも帰って来たのだろう。暫くすると遠くから、アルフレッドを呼ぶ声が聞こえた。
「お呼びになってますよ。こんなところに居たら心配されるでしょう。さぁ」
この建物を守備するだけの役目しか担っていない菊は、北向きの小さな一室しか与えられていない。菊にはそれでも充分だったがアルフレッドには似合わない場所だ。菊は、そっとアルフレッドを部屋から追い出した。
**
「アルフレッド。どこに行っていたんだ?」
幹部達がよく集まるリビングルームに戻ったアルフレッドを待っていたのは、やや険しい顔をしたアーサーだった。
「どこって……」
キクのところだよ、と言おうとして呑みこんだ。さっきのキクの寂しげな顔を思い出してしまって言えなかった。
「散歩だよ!今日は天気がいいしね」
「気をつけろよ。最近は国の目が厳しくなってる」
「分かってるよ!君は心配性だなぁ」
笑い飛ばすとアーサーが、呆れたようにため息をついた。
それから、いくつか仕事の話をして、アルフレッドが自室に戻ろうとした時には、もう夜になっていた。
アーサーはアルフレッドを見送った後、窓の近くまでいき、夕陽に染まる町並みを眺めた。連なる灰色のビル。アーサー達がいるビルは目立たないことも考慮してか、それらよりも大分低い。建物の入り口はコンクリートの狭間とも言えるほどに狭く、また、暗かった。ぽつりと人影がひとつ。入り口の暗さと同調してしまいそうなぐらい、黒い服を纏っているのは、今日の見張り番だろう。
翻る黒のコート。その下の細くしなやかな身体も黒に包まれている。
(キク、か……)
アルフレッドは意図してアーサーに話さないようだが、アーサー自身もキクには一目置いていた。幹部に匹敵する――否、それ以上の腕前かもしれない。ただの守備役にしとくには、勿体無い。
(……ただなぁ)
キクが視線に気付いたのか、ゆっくりと振り返った。
――流石だ。
はっきり、黒い目はアーサーを捕らえた。
(ああいう目、まるで他人の気がしねぇな)
キクの目はまるで光を拒んでいるように見える。なにか大きなものを失ったのか、捨てたのかは、分からない。ただ、自分とよく似ているとアーサーは思った。そう、まるで他人の気がせず。同族を求めるが如く、アーサーはキクのその目にひどく惹かれた。
キクが僅かに口角をあげる。
まるでなにかを見透かしたかのような笑みに、アーサーは不愉快になった。
「同じすぎて、いけねぇな」
惹かれるが、近付きすぎたらきっと悪いことが起こるだろう。アーサーは本能的にそう感じた。
アーサーが窓から離れる前に、キクの視線が外れる。踵を返した拍子に、黒いコートと共に、黒い髪が風に揺れた。