新しい世界
新内は困った顔で運転している。所々で適当に相槌をうっていた。
「大体あんた、少年犯罪に興味があるならっていうあれは、あんた、私に喧嘩売ってんじゃないのう? 一体自分を何様だと思ってるのよ」
――冗談じゃないわ馬鹿野郎!――と、くだを巻く堀。
堀が先ほど絢音から話された事は、『リセット・プログラム』というH・Pの事であった。
――「この集会を主催してくれている、インターネットの『リセット・プログラム』というホーム・ページに、未成年と見なされる少年少女達から様々な投書がされているんです」
「ほう、どんな投書よ」堀は額の汗をハンカチで拭った。
「色々な物があるのですが、私がお伝えしたいのは、その中にある、これからの犯罪を仄めかすような書き込みなんです」
絢音はそう言って、まだひと吸いしかしていない煙草を灰皿に押しつけた。
「両親や他人に対する憎悪や嫌悪、憎しみといった感情を具体的な行動に直して書き込んだ物も多くあるんです」
「行動?」新内がきいた。「それは、犯罪的な、という意味の?」
絢音はその真剣な表情を変えずに頷いた。堀は黙って煙草を吸っている。
「全てが殺人に結びついた物ではないのですけど、少なからず、殺人予告を仄めかしている書き込みもあります」
「たかだか書き込みでしょ? 聞いたとこによると、ネットってのは遊びの一種だそうじゃない、血相変えて心配する事じゃないわね」
堀はそう言って煙草を灰皿に投げ捨てた。
「その書き込みっていうのは、チャット?」
新内が、堀を睨んでいる絢音にきく。
「それとも、メール?」
「いいえ、基本的には掲示板です。中にはチャットでそういった事を書き込んでくる人もいますけど、チャットでは歳がわかりませんので……」
絢音は弱く言った。
「掲示板だって歳はわからないじゃない」腕組みをした堀が絢音に言う。「しょせんインターネットなんてそんなもんよ、その程度、睨んだものをどれだけて追ったって無駄追いよ。やるだけ手がかかって、何も出来やしない」
――書き込みの全てが悪戯(いたずら)だとは思えません!――絢音は強く言い放った。
「うん、そうね。だからその大半が悪戯ね」
堀は軽く言い放った。
押し黙ったままの二人に、新内が意見する。
「そんな書き込みはしょっちゅうくるんだ?」
絢音は素早く頷いて説明する。
「日替わりで、幾つもそういった書き込みがされます」
絢音が説明している途中で、堀は――ほうらね、それじゃ手に負えない――と失笑した。
「確かに全部というわけにはいきませんが、そのどれかが本当の訴えだとすると、それがその子のSOSという事になります。そういった掲示板の書き込みには掲示者の名前と年齢が必要になります。本名では無い物が大半ですが、年齢には、書き込まれている内容に頷けるものが多くあります。これを放って置いてよろしいと思いますか?」
途中から堀を見ていた絢音に、堀は――何が言いたいの?――と片眉を持ち上げた。
「中には悪戯な物があるとは言っても、それが少年犯罪に深く関わっている事は確かです」
絢音は涼しい顔で、開いていた鞄の口を閉めながら、堀に言う。
「もし少年犯罪に興味がおありでしたら、そのホーム・ページを覗いてみる事も、全くの無駄になるとは思いませんけど」――
「いやいや、愚痴は昨日さんざん吐いたじゃない……、今日もまたそれ?」
新内は困った顔で大将を一瞥する。そしてまた堀を見た。
「もっと気を抜いた…んー、なんつうか、リラックスした話できないの、あんたは……」
「冗談じゃない!」
堀はどんとカウンター机を叩いた。
「大将、あたしは何か遠回しな奴ですか?」
大将はくだを巻く堀に、腰元に手をそえて――いいえ、ほっさんは真っ直ぐすぎて、少し怖いぐらいだよ――と可笑しそうに笑った。
「そうなのよ、私ぁちっさい頃から竹を割った性格だって言われてきたんだよ……」
堀は酒を呑む。流し込むと形容した方が精確かもしれない。
「絢音みたいなガキに何がわかるの、何がわかるってのよぉ、おい眞衣ぃ」
「はあい、何?」
新内は自分を見ていない堀を尻目に、大将に苦笑する。
「何がわかるってえのよ?」
堀は拗ねた眼で新内を一瞥した。
「まあ、あんたと一緒で真っ直ぐな子なんだよ、お嬢は」
――なぁにが、――とすぐにグラスを口に運ぶ堀。その後、大将が堀のグラスに三度酒を注ぎ、新内のグラスに一度酒を注ぎ足したところで、ようやく話題が変わった。
「ライブのご要望はどうすんの? ちゃんともうチケットとか取れたの?」
新内の赤ら顔が堀に言った。――堀はそれを言われた途端、くしゃと顔をしかめて頭を抱えた。
「まだなんだね……」
新内は呆れた声を囁く。
「そうやって縮こまってるうちに、また葵ちゃんの誕生日が来ちゃうよ?」
「なんだ、あれもう葵ちゃんの誕生日なの?」
――早いねえ――と、大将はそれと己の年齢を思い浮かべて苦笑した。
「ノギザカ神社フォーティーンシックスのライブに行くんだってさ、大将知ってる?」
新内はけらっと無邪気に言う。
「これ知らないとちょっとおじさんになっちゃうなぁ」
「ノギザカ?」
大将は首を傾げる。
「神社とかでやる、お祭りとかのお清め音楽団か何かかな?」
新内が笑うと、大将は――今の人はわからないよう――と悔しがった。
「乃木坂神社じゃないっつの、乃木坂よ、乃木坂」
俯いたままでしゃべり出した堀は――乃木坂神社って、どうやってライブ会場まで運ぶつもりよ――と文句を言った。
「ああ、ノギザカだ、ノギザカ。悪い悪い」
新内は軽く大将に苦笑をみせた。
――へえ――と納得する大将を尻目に、二人は深刻な雰囲気でそれについて語り始めた。深刻とはいっても、士気色指しての事ではあるが。
「それがさあ、乃木坂のチケットはなっかなか取れないっていうのよ」
堀は先刻からずっとグラスを握ったままで話している。
「なんだか、秋元康先生様っちゅう、天才プロデューサーがプロデュースしてて、今野義雄様っちゅう運営側の人物も一目置かれる存在らしくてね……。そうとう有名らしいんだけど…。大体、有名っていうわりには、んぅなふざけた名前、聞いた事もないわよ」
「ノギザカに、フォーティーンにシックスか……。確かに、若者やオタクが行きたがりそうな、わけのわかんない集団よね」
新内は雰囲気に見合わぬ明るい笑いを漏らした。
「チケットを取ろうにも、暇がないんじゃどうしようもないでしょ」
はあと溜息をつく堀。
――全く困ったもんだ――と愚痴をこぼす堀に、新内は――それは言い訳にならないよ未央奈、――と、この時間の事を訴えた。
「あのねえ、私はちゃんとあんたが大口開けて眠り込んでる間に、チケットの取り扱いを説明してる、乃木坂の公式サイトっつう要人に確認入れてるの」
堀はグラスを口に運んでからまた言う。
「どのサイトに行っても売れきれって出てるのよ、そんなんじゃあ、仕方ないじゃないのさ」
――それは、そうだね――と納得する新内。――大将はカウンターの端の席に座っている独り客と何やら盛り上がっていた。
「ノギ神社じゃないといけないの?」