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新しい世界

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 葵はそう言って立ち上がり、堀にあかんべえをして、――じゃないと都合つけてくんないもん――と叱咤(しった)し、風呂場へとリビングを出て行った。
 堀は大きく肺胞に空気を吸い込み、それからまた、大きく鼻から息を吐き出した。――しかし、その顔はどうしてもほころんでしまう……。
 なぜなら、コンサート会場で「トイレに行く」と言って必死に並んだ誕生日プレゼントを、葵がもう着ていてくれたのだから。
 胸にプリントされた乃木坂46のTシャツを思い浮かべながら、堀はプレゼントを知った瞬間の葵を想像した。
 サランラップの並ぶテーブルを背にしながら、仁王立(におうだ)ちしたままで、堀は満足な笑みを浮かべた。
 間近では逃してしまったが、またその瞬間を、堀は深く胸の奥にしまう。明日からの激務に対抗しうる心構えは、たった今風呂場から叫ばれた「ママのバカぁ!」というその声に、頼りっきりなのだから。

 絢音は車を停車させた。運転開始から一時間半、神奈川であった街の景観は、いつの間にか慣れしたんだ東京の景観に変わっていた。
 乃木坂46の音楽が車内を賑やかにしてくれている。しばらく、絢音はそのまま、ハンドルを握ったままでいた。
「私、高校の時、母親に顔を殴られて、そのまま教科書で母の顔を殴り返した事があるんです」
 新内は何も言わなかった。
「当たったところが悪くて、母は鼻血を流しました……。――つい手が出てしまったぐらいに、当時の母は怖かったんですよ。口論の原因も、たわいもないものでした。
 学校を無断欠席して、友達と家で遊んでいたんです。それも、もう喧嘩になった日から随分も前の事です。それを後から知った母が怒ったんです。
 もう忘れていた事を穿(ほじく)りかえされて、反省した事をもう私は忘れていました。気がつくと、もう私と母はいがみ合いを始めてしまっていたんです。勉強机でちょうど試験勉強をしている最中でした」
 言葉の節目節目に、乃木坂46のメロディが流れ込んでくる。絢音の笑みはそれに支えられているようであった。
「殴ってしまった後は、母の顔から流れた血を見て、私は…泣きました。気にもしないで血をぬぐった母に怯えながら、私は自分がやってしまったとんでもない事に、すぐに気がつきました。痛そう…というのではなく、大好きな母が、血を流したのだと、…それは猛烈で、凄まじい、後悔の念でした」
「無駄な時間は、本当に無いなぁ……」
 助手席で静まっていた新内が、そう言って鞄を膝の上に置いた。その声は車が走り出して停車してから、三度目の声となる。
 絢音はふと、新内の事を一瞥した。
「帰ったら、娘の部屋にむりやり顔出すかな……」
 新内の歪んだ苦笑顔に、絢音はくすりと笑った。
「そうですね、そういう親子喧嘩なら、数が増えても…、ううん、増えた方がいいのかもしれない」
「ねえちょっとお嬢、勝手に喧嘩にしないでよ」
 新内は怪訝な顔で更なる苦笑を浮かべた。
「今日はばっちり、アドとラッドウィンプスと、ミセスグリーンアップルから母親に振り返らせるつもりなんだから」
「小学五年生でしたよね、お子さん」
「うん。来年、六年生。すぐに小学校も卒業だな」
「その年頃は、プライベートの侵害だと言って怒りましたね、私は」
 絢音は悪戯に新内に笑みをみせた。
「ノックを忘れずに」
「うん、今日は工夫して、お父さんのフリにて優しくノックしてやろうと思って。したら開けるのよ」
 新内は――年頃には厄介者なのねぇ、母親って職業はさ――と呟いて、新内は煙草に火をつけた。
 絢音もスリムな煙草の先端に、新内から受け取ったカーライターで火をつけた。
 短い沈黙も無く、紫煙が二つ昇る車内に煙の逃げ道を絢音が作り、新内が溜息を漏らした。
「どうすればうまくいくかなぁ?」
 絢音は新内を見ず、その言葉に澄ました煙を吐き出した。
「どうすればさ、親子がうまくいくのか……。少年犯罪の大半も、そこにヒントがあるんじゃないかなぁ」
 煙草の煙を身近に感じながら、絢音は耳を清ました。――たった今囁かれた大きな溜息の言葉が、新内の物なのか、世に存在している多くの母親の物なのか、――絢音はすぐに考えていた。
「寂しい心、か……。その通りだと、私は思ってるよ」
 絢音は頷く。――そして、とぼしたままの煙草を指先に残したまま、絢音は口を開いた。
「警部さんも、きっとわかっているんだと思います。――もしかしたら、あるのかもしれないその先を、警部さんは、きっといつもおっしゃられているのでしょうね」
「あの子も、一応は母親だからね。いや、わかろうとすれば、親ならわかるよ。誰でもわかるんだろうね、そんな事はさ」
「そうでしょうか?」
 絢音は新内を見ていた。煙草は指先に忘れられている。――尚、新内は旨そうに煙草をふかしていた。
「憎たらしい事もある、愛しい事ももちろんよ、それを感じるのが親なんだからね、親になれば、子供が寂しがっていると、気づいて当たり前なんだ。気づいてあげなくちゃあ駄目なのよ」
 絢音は煙草を吸った。鼻につんとくるハッカの香りを感じながら、その煙草を灰皿で消す。
「それは、親になれたら、わかるのでしょうか?」
「わかるだろうね」
「わからなかったら、親ではない?」
「それは勉強よ」
 新内は煙草を短く吸い込み、霧(きり)の靄(もや)ように薄い煙を浮かべた。
「今のお嬢だって、気づけてる。ただ、親になればもっと、そんな瞬間ってのがある」
 絢音は母の顔を思い浮かべる――。
「喧嘩をしてる最中に、それを寂しがってると受け取るには、親でないと難しい。そんな時、私はいつも母親である事を思い出すかなぁ」
 鼻血を腕でぬぐいながら、母は言葉を躊躇(ためら)った。すぐに机に伏せって大泣きを始めた絢音の頭に、ふわりと柔らかい手を乗せて、そのままくしゃりと、頭を撫でた。
 お母さんも悪かった、と、いつになく優しい言葉を絢音の背中に囁き、あんまり無理をしないで、今日は早く寝なさい、と、もう試験勉強の心配をしていた。――そのまま、母は部屋を出ていった。
 どうしようもない感情に襲われて、机の絢音は、母への深すぎる愛情を実感していた。
 それは果て無い後悔となり、涙と声に変わって、その部屋に流れていく。
 尽きぬ己への怒りが葛藤し、母への愛情となって、ひたすら声と涙を生産する。
 激しい憤怒の後にわかった事は、たった、それだけの事であった。

 新内は――それじゃあね、また『リセット・プログラム』でね――と言って、眼の前の団地へと入っていった。
 絢音はアイドリングするエンジンの息吹をハンドルに取り戻して、強くアクセルを踏み込む。おそらくまだ起きているだろうと、そんな確信をどこかに持ちながら、いつの間にかまた指先に挟んでいた新しい煙草の処置に困った。
 少年犯罪と言う果てしない命題に挑み生きていくこれからを見つめながら、とりあえずは、あやまろう、と、溜息のように心に思った。
 カーステレオから流れる楽曲は、心地よく絢音の想いを感化する。
 何気ないハミングの途中で、過去の自分の気持ちと、現在の命題に対して、絢音は一瞬の何かを悟ったような気になった。
作品名:新しい世界 作家名:タンポポ