誰にだってあるもの
☆この物語は二部構成作品となっておりますが、実は全四部構成作品ですので、四部構成作品の第三部にあたる本作をお読みになる前に、四部構成作品、第一部と第二部にあたる『ここにはないもの』と『ここにしかないもの』を先にお読みいただく事を強く推薦致(すいせんいた)します。
タンポポより
誰にだってあるもの
作タンポポ
0
ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区を南北に横断するこの〈アヴェニュー〉と呼ばれる通りに、私の勤務するアパレルブランド〈(株)アンダー・コンストラクション〉は、小さな店舗を展開していた。
〈五番街〉と呼ばれるこの通りは、ワシントン・スクエア公園からウェスト143rdストリートを結ぶ全長約11キロの通りだが、私が普段うろつくショッピングの主な場は、48thストリートからセントラル・パークまでの約1キロだった。
2023年の四月。まだニューヨークは真冬の最中であった。齋藤飛鳥はコートの襟(えり)を深く立てながら、ポケットに手をしまって身を縮こませて歩く。
マンホールから吹き出す白い蒸気に、ふと眼を奪われて、ニューヨークらしいと頭の何%の何処かで思った。
ニューヨークを舞台にした映画などで度々見る白い蒸気。これは、地下に埋設された熱いスチーム管に雨水や地下漏水が接触して発生した蒸気らしい。官の繋ぎ目から漏れ出た蒸気などが、マンホールや通気口の穴を通じて地上に出てくるものがその正体らしい。
そんな知識も、いま隣を歩く 秋月奏(あきつきそう) に聞かされた知識なのであるが。
齋藤飛鳥は、白い息を靄(もや)にして、そして消していく。歩くスピードは相変わらず速かった。
隣を歩く秋月奏はつまらなそうに、前を歩こうとする齋藤飛鳥に呟く。
「そんなん、急いだって夕飯は逃げやしねえよ、飛鳥ちゃん……」
「夕ご飯がどうのじゃなくて……。人待たせてるでしょ」
「双葉なんて本とか読んでるって~」
齋藤飛鳥は一瞬だけ、すぐ後方を歩く秋月奏を一瞥した。
秋月奏は両手を小さく開いて、顔をしかめてみせる。
「寒いの、早歩きでもしないと、凍りそう……」
「じゃあ手ぇよこしなよ」
秋月奏は、速足で飛鳥の隣へと寄り添い、ポケットの中から飛鳥の手を取り出した。
飛鳥は歩きながら、ぽかん、としている。
「こうすりゃいいだろう?」
「わ!!」
強引に手を繋いできた秋月奏に驚愕しながら、飛鳥は慌てて繋がれた手を振りほどいた。
「何すんだアホめ!」
「え……。手ぇ繋いだだけだけど……。寒いっていうから」
「尚更寒いわっ、アホ!」
「なんか、飛鳥ちゃんの彼氏んなる度胸ねえわ~、俺~」
「………」
飛鳥は黙って、先の方向を見つめて歩いた。
ニューヨークの勤務は、自分自身のスキルアップに繋がってるよ。
今日の勤務はもう終わって、今はこれから、同僚の坂根双葉ちゃんと秋月奏君と、夕ご飯を食べながら、新作のTシャツデザインについて、ディスカッションするの。
それが終わったら、少しだけお酒を呑もうかな。
ぐっすり眠れたら、今日は会えるかな。
ねえ、慎弥……――。
ニューヨークの寒空を短く見上げた飛鳥は、その整った美形に、優しげな笑みを一瞬だけ浮かべた。
行き交うニューヨーカーに紛れてちらほらと地面に座り込んでいる物乞(ものご)いに、数枚のお札を手渡していきながら、どんどんと先へと急ぐ飛鳥の背を追って、秋月奏は溜息を落としてから、走り出した。
齋藤飛鳥・乃木坂46卒業SP企画
二部構成作品・第一部『誰にだってあるもの』
1
私の勤務する〈アンダー・コンストラクション〉のショップはニューヨーク・マンハッタンの五番街に在る。ショップの中に、奥へと続く別室が造られていて、そこに制作室が設けられている。ショップ店員をこなすには拙(つたな)すぎる英語力の私は、そこで一日中、接客業をせずに洋服制作とだけ向き合っている。
一般的に、紳士服と婦人服デザイナーと分かれる場合が多いが、私の場合は両方のデザインを行う場合が増えていた。
齋藤飛鳥は、てきぱきとした動作で秋月奏(あきつきそう)と坂根双葉(さかねふたば)に指示を出していく。
デザインの依頼を受けると、販売対象や商品のコンセプトを分析し、企画の糸に沿ってオリジナルなデザインをする。デザインの際は、衣服の素材、色、形を総合的に検討し、デッサンや試作を重ねて製品化するデザインを絞り込んでいく。
高級注文服などの場合は一着から数着の為にデザインを行うし、またユニフォーム等の場合は、そのデザインをもとに大量の服を作る事もある。既製服の場合は、対象となる顧客は不特定多数の消費者となる為、的確にニーズを掴み、斬新なデザインを提供する必要がある。
服のデザインを行った後、素材を選び、型(パターン)を作り、生地を裁断し、縫う作業を行う。
ニューヨークでの私のチームの場合は、私がデザイナー、秋月奏君がパタンナー、坂根双葉ちゃんが裁断者、縫製者で、この三人で作業を分担して共同作業をする場合がほとんどで、その際には、私がディレクター的な役割を果たす。
現在、私が手掛けているデザイナーとしての債務は、日本で行われる夏のランウェイ企画の洋服を多種と、己のデザイナーとしてのデビュー作となるTシャツ、ロングTシャツの制作だ。
こっちに来てからの昇進は本当に早く、すぐにチームを任され、展示会後に、すぐに量産体制を取るとの事で、その縫製の現場となる量産工場まで紹介されてしまった。
あんなに、日本で悩んだ時間は何だったのかと思ってしまいたくなるけれど、それが無ければ、あの悪戦苦闘の日々が無ければ、今の上昇気流に乗り始めた私自身はいなかっただろう。
東桜兼五郎(ひがしざくらけんごろう)はそのメガネの奥の弱視(じゃくし)を齋藤飛鳥へと向けて、指先を伸ばして、仕事に熱中している飛鳥の肩に優しく触れた。
飛鳥は少しだけ驚きながら、振り返る。
「はい?」
「時間だよ……。もう、腹の虫が泣く頃だろう、あがっていいよ」
東桜兼五郎は白内障(はくないしょう)でもある弱視をにこり、と笑わせた。印象的な口髭(くちひげ)とあご髭(ひげ)がざわりと動いた。
「ああ、はい……。お疲れ様です」飛鳥はきょとん、と答えた。「秋月君、双葉ちゃん、も、あがろ?」
ショップ勤務終わり、齋藤飛鳥と秋月奏と坂根双葉の三人は、いつものレストラン〈サイド・バイ・サイド〉へと向かってストリートを歩く。
夕焼けが眩しいオレンジ色の五番街を、喧騒と雑踏の中、飛鳥は双葉と雑談をしながら並んで歩いていた。
すると、前を歩いていた秋月奏は、二人を振り返り「ちょっと待っててくんね?」と告げて前へと小走りを始めたのだった。
彼の向かう先を遠目に見つめてみると、道路脇に座り込んだ物乞いがいた。
飛鳥はきょとん、とした表情でしばし待ち、坂根双葉は笑顔で秋月奏を見守っている。
物乞いの前で脚を止めた秋月奏は、物乞いの老人が食べているピザを指差した。おそらく、英語で話しかけている。
タンポポより
誰にだってあるもの
作タンポポ
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ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区を南北に横断するこの〈アヴェニュー〉と呼ばれる通りに、私の勤務するアパレルブランド〈(株)アンダー・コンストラクション〉は、小さな店舗を展開していた。
〈五番街〉と呼ばれるこの通りは、ワシントン・スクエア公園からウェスト143rdストリートを結ぶ全長約11キロの通りだが、私が普段うろつくショッピングの主な場は、48thストリートからセントラル・パークまでの約1キロだった。
2023年の四月。まだニューヨークは真冬の最中であった。齋藤飛鳥はコートの襟(えり)を深く立てながら、ポケットに手をしまって身を縮こませて歩く。
マンホールから吹き出す白い蒸気に、ふと眼を奪われて、ニューヨークらしいと頭の何%の何処かで思った。
ニューヨークを舞台にした映画などで度々見る白い蒸気。これは、地下に埋設された熱いスチーム管に雨水や地下漏水が接触して発生した蒸気らしい。官の繋ぎ目から漏れ出た蒸気などが、マンホールや通気口の穴を通じて地上に出てくるものがその正体らしい。
そんな知識も、いま隣を歩く 秋月奏(あきつきそう) に聞かされた知識なのであるが。
齋藤飛鳥は、白い息を靄(もや)にして、そして消していく。歩くスピードは相変わらず速かった。
隣を歩く秋月奏はつまらなそうに、前を歩こうとする齋藤飛鳥に呟く。
「そんなん、急いだって夕飯は逃げやしねえよ、飛鳥ちゃん……」
「夕ご飯がどうのじゃなくて……。人待たせてるでしょ」
「双葉なんて本とか読んでるって~」
齋藤飛鳥は一瞬だけ、すぐ後方を歩く秋月奏を一瞥した。
秋月奏は両手を小さく開いて、顔をしかめてみせる。
「寒いの、早歩きでもしないと、凍りそう……」
「じゃあ手ぇよこしなよ」
秋月奏は、速足で飛鳥の隣へと寄り添い、ポケットの中から飛鳥の手を取り出した。
飛鳥は歩きながら、ぽかん、としている。
「こうすりゃいいだろう?」
「わ!!」
強引に手を繋いできた秋月奏に驚愕しながら、飛鳥は慌てて繋がれた手を振りほどいた。
「何すんだアホめ!」
「え……。手ぇ繋いだだけだけど……。寒いっていうから」
「尚更寒いわっ、アホ!」
「なんか、飛鳥ちゃんの彼氏んなる度胸ねえわ~、俺~」
「………」
飛鳥は黙って、先の方向を見つめて歩いた。
ニューヨークの勤務は、自分自身のスキルアップに繋がってるよ。
今日の勤務はもう終わって、今はこれから、同僚の坂根双葉ちゃんと秋月奏君と、夕ご飯を食べながら、新作のTシャツデザインについて、ディスカッションするの。
それが終わったら、少しだけお酒を呑もうかな。
ぐっすり眠れたら、今日は会えるかな。
ねえ、慎弥……――。
ニューヨークの寒空を短く見上げた飛鳥は、その整った美形に、優しげな笑みを一瞬だけ浮かべた。
行き交うニューヨーカーに紛れてちらほらと地面に座り込んでいる物乞(ものご)いに、数枚のお札を手渡していきながら、どんどんと先へと急ぐ飛鳥の背を追って、秋月奏は溜息を落としてから、走り出した。
齋藤飛鳥・乃木坂46卒業SP企画
二部構成作品・第一部『誰にだってあるもの』
1
私の勤務する〈アンダー・コンストラクション〉のショップはニューヨーク・マンハッタンの五番街に在る。ショップの中に、奥へと続く別室が造られていて、そこに制作室が設けられている。ショップ店員をこなすには拙(つたな)すぎる英語力の私は、そこで一日中、接客業をせずに洋服制作とだけ向き合っている。
一般的に、紳士服と婦人服デザイナーと分かれる場合が多いが、私の場合は両方のデザインを行う場合が増えていた。
齋藤飛鳥は、てきぱきとした動作で秋月奏(あきつきそう)と坂根双葉(さかねふたば)に指示を出していく。
デザインの依頼を受けると、販売対象や商品のコンセプトを分析し、企画の糸に沿ってオリジナルなデザインをする。デザインの際は、衣服の素材、色、形を総合的に検討し、デッサンや試作を重ねて製品化するデザインを絞り込んでいく。
高級注文服などの場合は一着から数着の為にデザインを行うし、またユニフォーム等の場合は、そのデザインをもとに大量の服を作る事もある。既製服の場合は、対象となる顧客は不特定多数の消費者となる為、的確にニーズを掴み、斬新なデザインを提供する必要がある。
服のデザインを行った後、素材を選び、型(パターン)を作り、生地を裁断し、縫う作業を行う。
ニューヨークでの私のチームの場合は、私がデザイナー、秋月奏君がパタンナー、坂根双葉ちゃんが裁断者、縫製者で、この三人で作業を分担して共同作業をする場合がほとんどで、その際には、私がディレクター的な役割を果たす。
現在、私が手掛けているデザイナーとしての債務は、日本で行われる夏のランウェイ企画の洋服を多種と、己のデザイナーとしてのデビュー作となるTシャツ、ロングTシャツの制作だ。
こっちに来てからの昇進は本当に早く、すぐにチームを任され、展示会後に、すぐに量産体制を取るとの事で、その縫製の現場となる量産工場まで紹介されてしまった。
あんなに、日本で悩んだ時間は何だったのかと思ってしまいたくなるけれど、それが無ければ、あの悪戦苦闘の日々が無ければ、今の上昇気流に乗り始めた私自身はいなかっただろう。
東桜兼五郎(ひがしざくらけんごろう)はそのメガネの奥の弱視(じゃくし)を齋藤飛鳥へと向けて、指先を伸ばして、仕事に熱中している飛鳥の肩に優しく触れた。
飛鳥は少しだけ驚きながら、振り返る。
「はい?」
「時間だよ……。もう、腹の虫が泣く頃だろう、あがっていいよ」
東桜兼五郎は白内障(はくないしょう)でもある弱視をにこり、と笑わせた。印象的な口髭(くちひげ)とあご髭(ひげ)がざわりと動いた。
「ああ、はい……。お疲れ様です」飛鳥はきょとん、と答えた。「秋月君、双葉ちゃん、も、あがろ?」
ショップ勤務終わり、齋藤飛鳥と秋月奏と坂根双葉の三人は、いつものレストラン〈サイド・バイ・サイド〉へと向かってストリートを歩く。
夕焼けが眩しいオレンジ色の五番街を、喧騒と雑踏の中、飛鳥は双葉と雑談をしながら並んで歩いていた。
すると、前を歩いていた秋月奏は、二人を振り返り「ちょっと待っててくんね?」と告げて前へと小走りを始めたのだった。
彼の向かう先を遠目に見つめてみると、道路脇に座り込んだ物乞いがいた。
飛鳥はきょとん、とした表情でしばし待ち、坂根双葉は笑顔で秋月奏を見守っている。
物乞いの前で脚を止めた秋月奏は、物乞いの老人が食べているピザを指差した。おそらく、英語で話しかけている。