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誰にだってあるもの

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 秋月奏は、飛鳥の前まで歩き進み、真剣な表情で、飛鳥を見下ろした。

「そんな笑い方、知らねえ……」

 飛鳥は肩を竦(すく)めて、視線を外した。
「いつからいたの……」
 飛鳥はつんとした態度で呟いた。

「あんな笑い方、知らねえよ……」

 真剣なままでそう呟いた秋月奏に、飛鳥は上目遣いの眼差しを向けた。
「なに……、怒ってるの?」
「飛鳥、まさか、もう……、飛鳥には誰かがいるのか?」
 飛鳥は答えず、視線も逸らした。
 秋月奏は、悔しそうなその眼で、表情を崩して飛鳥を見つめる。
「誰かを、好きなのか?」
 飛鳥は、つんと、眼の前に立つ秋月奏を見上げた。
「だったら何?」
 秋月奏は、大きく意思を確かめるようにして、飛鳥に囁く。

「なんなんだ……、飛鳥の、お前の中にある、そのでっけえ愛情は……」

「………」
 飛鳥は、寂しそうな眼をした。
 秋月奏は、それを見逃さなかった。
「でも、もうその愛は実らないんだろう?」
「………」
「だったら、ならせめて、俺が全部、忘れさせてやるから!」
 秋月奏は、強い力で飛鳥の両肩を掴んだ。
「俺が寂しい奴ほっとけないの知ってるだろ……、違う、なんつうか、でも今回は、そういうんじゃなくて……、お前の事、マジで気に入っちまったみたいなんだ」
 飛鳥は黙ったままで、脚の上に置いた両手に視線を落としていた。
「このまま報われない恋をしたままなら、だったら、俺が飛鳥を」

「まだ憶えてるの………」

「あぁ?」
 秋月奏は、眉間(みけん)を顰(ひそ)めて、まっすぐに飛鳥を見つめる。
 飛鳥は、遠い眼をしていた。

「毎日、夢を見るの……。まるで、まだ、ほんとにそこにいるみたいに……、笑ってる……。すぐそこにいて、確かな感触もある……。そんな夢を、今も見るの……。あんたには、たぶんわからない。わからなくっていいの……」

 秋月奏は、腰を屈(かが)めて、飛鳥の顔に己の顔を近づけた。
「キス、するぜ。いいよな……」

 秋月奏は、眼も瞑(つぶ)らない飛鳥に、強引なキスをした。

 唇(くちびる)を離した後、飛鳥は冷たい眼で秋月を見つめる。飛鳥のその頬に、一粒の涙が伝った。
「飛鳥、俺は本気で。お前の事が」

「苦手なもの……」

「え?」

「苦手なもの、ファッション、時間通りの待ち合わせ……、泣いた女の子」

 突然にしゃべり始めた飛鳥に、秋月奏はすっと言葉をしまった。更に、険しく眼をしかめて、飛鳥を見つめ続ける。
 飛鳥は数えるように、弱い声で囁いている。

「得意なもの……、オムライス、仕事での無遅刻無欠席……」

「何を……。飛鳥?」秋月奏は、顔をしかめる。

「好きな物……、桜、バスケット、冬……、クリスマス……、齋藤飛鳥……」

 涙を浮かべた飛鳥の瞳が、強烈に、弱々しく、秋月奏を見上げた。
「あなたは、そうなれないでしょう?」
 秋月奏は、言葉を躊躇(ためら)って、黙り込んだ。
 飛鳥の頬に、涙が伝っていく。
「同じじゃなきゃダメなの……。それじゃなきゃ、ダメなの……」
 秋月奏は、飛鳥の肩を強く握って、声と勇気を奮い立たせる。
「同じになってやるよ、だったら! それで文句ねえんだな、飛鳥!」

「なら、魔法使ってよ……」

――俺は魔法使いだからさ。

――俺の事、好きになったろ? 魔法だろ、な。

――後悔してるか、こんな貧乏な彼氏で……。

「え?」秋月奏は、耳を疑った。「魔法つったのか?」

――ファイトソングだよ。壁に立ち向かう為の……。ハッピーバースデイ、飛鳥。

――結婚を前提に、付き合ってくれ、飛鳥………。

――婚約して、くれ……。して、下さい……。

――君を好きになりました。

 飛鳥はくしゃくしゃに崩れた表情で、秋月奏を見上げた。
「魔法使える? 私なんかに、命をかけられる?」
 秋月奏は、窮屈(きゅうくつ)に眉間を顰めた。
「何言ってんだよ……、どしたんだよ?」
 飛鳥は悲しそうに強く眼を閉じてから、首を振った。
「できやしないでしょ……、誰にもできないの、そんな事なんて……」
「何言ってんのかわかんねえよ!」
「だから私は、そういう人を好きになったの……」
 秋月奏は、おどけて、苦笑しそうな表情を浮かべる。
「なんだよ、……魔法?」
「魔法使いはいるんだよ」飛鳥は、片手で鼻をすすって、視線を下げた。「私の世界にはいつも魔法使いがいるの……。世界の中心で、いつも私を守ろうとしてる、優しい魔法使いが……」
 秋月奏は、強く掴んだ飛鳥の肩をゆらす。
「なんの話だよ飛鳥!」
「手を離して」
「……いやだ」
「離して、お願いだから……」
「好きなんだよ!」
「困らせないで、もう、今日は疲れたよ……」

       5

 夏の暑さもますます本領を発揮してきた八月の前半、この日〈アンダー・コンストラクション〉のショップに出勤している日本人は、齋藤飛鳥とショップ店員の筒井あやめと、ショップ責任者の東桜兼五郎(ひがしざくらけんごろう)だけであった。
 筒井あやめは、今日はショップの方で店員をしている。私は、ひと休憩という事で、上司の東桜さんとティー・タイムをしていた。
 弱視だという東桜さんは、どのぐらいまで見えているのだろうか。会話の節目節目では、きちんと私の顔を見てにこにことする。
「今日は、雨だねえ。だから、欠勤したのかな、秋月君と坂根さんは」
 ふいに耳に聞こえた東桜さんの声に、はっとなって答えた。
「ああ、う~んたぶん、ちが、うとは、思いますけどね……。秋月君とは、七夕から少しどたばたしてて、ちょい気まずい感じなんですけど」
 東桜兼五郎はにこり、と飛鳥の方を見て笑った。
「そう……。ついに、告白でもしたのかな、秋月君は」
「え?」
 私は瞬発的に驚いてしまったその顔を、即座にしまい込んだ。どこまで見えているのかはわからないけれど、図星すぎて嫌なリアクションだった。
「齋藤さんは、魅力的だからね……。秋月君の気持ちも、わかるよ……」
 私が魅力的?
 何をもって、魅力的だと定義してくれているのだろうか。
 純粋に、きいてみたい。
「私って、魅力ありますか?」
「おや、自分では気がついていないのかな。君は充分に、充分すぎるほど、人を惹きつける魅力を持っているよ……。私だって、君には惹かれる」
「ありがとう、ございます……」
「ただ、人を寄せ付けない何か、変わったオーラも感じる……。人を信じていないのかな、どう?」
 飛鳥は自分自身に問うてみる。
「私、はぁ……」
 人を信じていないというよりは、そんなに期待していない。期待してしまう自分が怖い。いや、期待が大きすぎるぐらいで、怖いのだ。
 だから、私は人には期待しないし、自分にも期待しない。
 この先の長い人生にも、夢にも、期待せずに、ゆっくりと時間をかけて大きな道にしていきたいと思っている。
 何もかも、一朝一夕にはいかない。それは私の人生がそう答えてくれた。
 この長い長い人生という道のりの中で、もしも、決して見逃してはいけない何かがあるのなら、それはもう、私の心はしっかりと掴んでいる。
 手を繋ぎ、共に人生を歩いている。
作品名:誰にだってあるもの 作家名:タンポポ