愛をこめて花束を
結局、最終的にブーケを手に入れたのは、若さと機動力に勝る心音だった。
「いいなあー心音ちゃん」
「ダメですよ!私がもらったんですから!」
ブーケを手に満面の笑みで瞳を輝かせる心音に、茜がうらやましそうな視線を向ける。
「心音ちゃんはまだ若いでしょ!あたしそろそろ後がないんだから!」
「でも茜さん、『カガクが恋人』って言ってたじゃないですか」
「うっ……そうだけどさ……」
がっくりと肩を落として落ち込む茜と裏腹に、心音はぴょんぴょんと飛び跳ねている。髪型も相まって、まるで黄色いウサギのようだ。
「ココネちゃん、本気で喜んでるねえ」
「まあ、だれを想像してるかは何となくわかるけどね」
それを見つめて笑うのは、青いスーツの男と紫の着物の女。
「それにしても、あんながんばるなんてココネちゃんもあかねちゃんも女の子だね。あたし途中でヤッパリさんがかわいそうになってきてたもん」
「そういう真宵ちゃんも、結構本気で追いかけてたじゃないか」
あんな怖い顔初めて見たよ、と成歩堂がからかうと、真宵は唇を尖らす。
「まあそりゃ、一応はね。女の子のアコガレでしょ」
「へぇえ……真宵ちゃんがブーケなんかに興味あるなんて知らなかったよ」
「だから一応は、だってば。一生に一回くらいキャッチしてみたいよ」
「キャッチしたらどうなるか知ってる?」
「あ、なるほどくん、あたしのこと馬鹿にしてない?知ってるよそれくらいは。だからほしいんじゃない」
「……ふうん」
「だってさ、あたしもう28だよ。そろそろ真面目に考えなきゃ。はみちゃんがいるとはいえ、家元は血筋がダイジだし。
こんな仕事してると出会いも少なくてさ、ずっと修行ばっかりだったし……」
話している内容は深刻なはずだが、もともとの性格ゆえか、その声はどこかのどかに響く。
「ま、ブーケの迷信にでも頼りたいくらいの気持ちではあるよ」
「……」
成歩堂はふと足を止め、己の顎を指でなぞる。真宵はそれに気づかない様子で、少し先を歩きながら話し続けている。
「そういえばさ、二人であんなふうに捜査するのも久しぶりだったねー」
「ん?そうだね」
真宵に追いついた成歩堂は、ごそごそと引き出物の袋を漁っていた。真宵はその様子を不思議そうに横目で見ながら歩調を合わす。
「久々に真宵ちゃんと法廷に立ったけどさ、やっぱりなんか違うね。
懐かしいのもあるけど……千尋さんを思い出して身が引き締まるっていうか、真宵ちゃんが変なこと言わないか心配だから逆に慎重になるっていうか」
「ちょ、ちょっと!異議あり!
それはあたしのセリフだって!あんなギリギリのハッタリと屁理屈聞かされる身にもなってよ!10年経っても何にも変わらないんだから!!」
慌てて指を突きつける真宵に成歩堂は思わず声を上げて笑う。
「まあ……ここしばらくココネちゃんに助手を手伝ってもらってたけど、そろそろ彼女も一人で法廷に立ってもらわなきゃならないし、みぬきも本格的に魔術師として独り立ちしようとしてるし……」
「ふふ、つまりなるほどくんの助手はあたしじゃなきゃ務まらないってわけだね!」
冗談っぽく笑う真宵に、成歩堂はふいに真剣な表情で頷く。
「そうだよ」
だからさ、真宵ちゃん。
「受け取ってよ」
はい、と差し出されたそれは、披露宴の終わりにみんなに配られたテーブルフラワーだった。華やかなピンクを基調に清楚な白と控えめな赤、青々とした葉で彩られたそれを差し出されて、真宵は真ん丸の目を瞬かせる。たっぷり三十秒それを見つめて、今度はぷくっと頬を膨らませた。
「なるほどくん、あたし別にお花がほしいわけじゃないよ」
「わかってるよ」
「だいたい、それ、あたしももらったし」
「知ってる」
「あたしのお花、増えちゃうじゃない」
「いいじゃないか。……真宵ちゃんにもらってほしいんだよ」
二人の視線が絡む。笑っているが真剣な男の目と、上目遣いでうかがう女の目。
しかし、それも長くは続かなかった。
「……しょうがないなぁ」
ふにゃり、と真宵が破顔した。差し出された花束を恭しく受け取る。
「もらってあげるよ、なるほどくん」
「断られたらどうしようかと思ったよ」
「手持ちで済まそうっていうのがなるほどくんらしいよね」
「薔薇の花束を持ってくるよりは僕らしいだろ」
「あはは!それは御剣検事のほうが似合いそうだね」
「カンタンに想像できるなあ」
「お花、事務所に飾ろうね」
「ああ」
「またお世話しに行くよ」
「うん、待ってるよ」
「チャーリー君に仲間が増えるね」
「そうなる……の、かな」
真宵はブーケに顔を寄せ、その香りを吸い込む。その目がうっとりと細められて。
「――事務所も、にぎやかになったよね」
「……そうだね」
「みぬきちゃんも、離れちゃったけど王泥喜くんも、心音ちゃんも、みんな、いるもんね」
「うん」
「御剣検事も、はみちゃんも、ヤッパリさんも、なるほどくんのまわりにはたくさんの人がいるんだねぇ」
「――うん」
「……えへへ」
ぴとっ、と真宵が成歩堂に肩を寄せた。両手いっぱいの花束を抱いて、その目は少し伏せたままで。
「なんかうれしいな、二人きりの事務所だったのにね」
「きっと、これからもっとにぎやかになるよ」
「ふふ、そうだね」
ふたたび目を閉じてしばらく花の香りを嗅いでいた真宵は顔を上げた。
淡く微笑むその姿はもう、出会った頃の幼い少女ではない。長い修行を終え、ついには歴史ある家元の責任を背負う、大人の女性になっていた。
それを見つめる成歩堂も、昔の危なっかしい新米弁護士ではない。紆余曲折はあったものの、すでに押しも押されぬ敏腕弁護士であり、一人の男だった。
風が駆け抜けていく瞬間、距離が縮まる。
「……」
「……っふ」
離れた真宵の表情が、ニヤリといたずらっぽい笑みに変わった。
「それじゃ、伝説の副所長復活ですかなこりゃ」
成長しても変わらないその言葉に、成歩堂はため息をつく。
「霊媒師まで加わったら、ますますなんでも事務所になっちゃうなあ」
だが、その呆れたような声色も、緩んだ頬を隠し切れていない。真宵もわずかに染まった目元ではしゃいだ声を上げる。
「いいじゃない!逆にお仕事いっぱい来るかもよ。『美人霊媒師があなたの弁護をサポートします!』みたな」
「さらっと自分で美人とか言うなよ……。
まったく……マトモな弁護の仕事が来てほしいものだけど」
笑いながら、ぼやきながら、ふたりは肩を並べる。
暖かな風が、真宵の長い髪と、その手の中のブーケを揺らしていた。