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橋のたもとの三人の女

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田中いどりは美しい少女だったし、それは殺された早川美夜子もそうだったのだろう。今はすっかりすりつぶされて、肉塊とも言えないものになりはててしまったいどりを見ながら思った。その傍らでバットの先を何度も垂直に地面に叩きつけている、沢村もまた美しい男だった。沢村がこの片田舎の町にやって来たときは、見慣れぬこの若い男の噂で持ちきりであったが、三年も経てばもう誰もなにも言わなかった。見慣れてしまったというよりも、沢村が住居にしている和久由のリゾート跡の管理人小屋がとびきりへんぴな場所にあるからだ。
 名前の通り湯が沸く谷間の一帯に、昔温泉リゾートを作る計画があった。当初の計画では宿泊客は管理人小屋の前に車を駐めて、それぞれ割り当てられたコテージに向かうつもりだったのだろう。計画が頓挫した今となっては、わずかに谷の入り口に、モニュメントを兼ねて架けられた小さな赤い橋が残されている程度だ。リゾート計画が頓挫した後も、一応はキャンプ場という名目が残されていたから、沢村はその管理人という形で赴任してきていた。週に一度、雑貨を扱う私の家に顔を出す。配達で不在の両親の代わりに、留守番をしている私と長々と他愛のない話をしては帰っていく。途中で人が来ると買い物が途中でも慌てて切り上げて帰っていった。
「和久由の管理人さんの知り合いって、本当?」
 だからあまり他人とは話さないらしい。田中いどりが昨日の放課後話しかけてきたのは、単に、私を沢村に関する情報源として見ているからだった。いどりは美しい少女であるのは多分、間違いない。田舎町のことなので比較できる対象がわずかしかないが、特筆すべきはその黒髪で、艶の輪がうっすら虹色を帯びるかのようだ。切りそろえられた前髪の下から覗く切れ長の目は、じいっと見つめられたら同性の私でもくらくらしてしまうほどの妖しい魅力を湛えていた。
「買い物に来たり、たまにうちから配達に行ったりだけど。どうしたの」
「彼、ちょっとかっこいいからお友達になりたいな、って」
 対する私は平々凡々そのものだ。うん、と答えて蠱惑的なその瞳から目をそらす。正直なところ、沢村の容貌については印象に薄い。返答を不審に思ったらしいいどりにそう言うと、安心したように再び笑いはじめた。沢村についての印象は、どちらかというと管理人小屋の前でバットを振るっているときのフォームの美しさの方が印象に勝っている。それは多分いどりが知らない話だから黙っていた。管理人の仕事がないときは、リゾート入り口の赤い橋の方角に向かって黙々とバットを振っている。愛用の、と言うよりはそれしかないのであろう金属バットは使い込まれているせいか、いびつな形になっていた。おまけに元からの塗装と相まって鬼の金棒にも見えなくもない。
「寡黙な人だし、話す機会もないし。いっそのこと、あなたの所でバイトさせてもらったらどうかなって思っていたんだけど」
 どうにでもなりそうなことなのに、どうしたらいいかな、といどりが言った。私の頭の中では、相変わらず沢村がバットを振っていた。特に野球をやっていたという話を聞かなかったから、多分独学で身につけたのだろう。十分に体重と勢いの乗ったバットは見ているだけで胸がすく。中、高、低と三種類、右打ち、左打ち、地面すれすれ、
「管理人小屋の前の、橋の所に立っていればいいんじゃないかな」
 ようやく思いついてそう言った。橋の横に立てば、バットを振る沢村の目に否が応にも入る筈だ。
「朝早くに。……こっそり。見つかったら、早朝の散歩って言えばいいと思う」
 それが昨日の出来事だ。
 助言に従っていどりが行動したのならば、早朝から放課後の今に至るまで、沢村はずっとバットを振るっていたに違いなかった。いどりが誇っていた美しい黒髪と、自分が着ているのと同じウールの制服に金属バットが叩きつけられようとしているのを、もう死んでいるからと阻止する。ようやく私の声を認識したらしい沢村が動きを止めて座り込んだ。最前から何度も呼び掛けていたのだが聞こえていなかった様だ。沢村の顔をのぞき込むと疲弊しきっていることが伺えたので、ひとまず顔を洗って小屋に戻っているようにと言う。
 ようやく歩き始めた沢村を見送って、道具を探しに管理人小屋の裏手に向かった。いどりだったものの残骸をすくってごみ袋の中に入れる作業の合間に橋の向こうを見ると、橋の向こうにひょろりと青ざめた顔の女が立っていた。早川美夜子だ。スコップを金属バットに持ち替えて橋の方を向くと、握った右手の下に左手をぴったり添えて沢村の真似をしながらバットを振る。
 沢村が素振りをすることを知ったのは、学校の帰りに沢村の所を覗きに行ったからだ。前日に少し大きな荷物が届いて、両親が沢村の所へ配達に行くことは聞いていたので、うまくすれば配達の車に乗って帰れるかもしれないと期待していたものの、既に両親は帰ってしまっていて、代わりに沢村が一人でバットを振っていた。女の姿が消えたのを確認すると、作業を再開する。生きてはいないと思う。あれが沢村が橋に向かってバットを振っている理由だ。三年前、沢村は女を殺してこの村に逃げてきた。早川美夜子は沢村曰く、当時付き合っていた女性だというが、実態としては付きまとわれていると言った方が近かったらしい。別れ話のもつれから殺害してしまった女の死骸を、沢村はリゾート跡地の源泉近くにバラバラにして埋めた。大方、田中いどりが言っていたように、沢村が美しい男であったから、早川美夜子は別れたくなかったのだろう。沢村の容貌についてはともかく、早川美夜子のことは全て沢村が自分に語ったことだから、何が本当のことなのかわからない。正直なところ、沢村は精神の安定を欠いているように思えた。だからここから先のことも本当なのかどうなのかわからない。
 赤い橋の向こうに立つ青白い顔の女は沢村が殺した女なのだそうだ。
 だから沢村は橋の向こう側に立つ人間を見るとひどく怯えたし、早川美夜子の亡霊が出るようになってからは人に――特に女性に――会うことを恐れていた。今でも幽霊が出れば半狂乱になってバットを振る。恐怖に駆られているのだから、当然それが誰であるかは問題ではない。
 管理人小屋に入ると、先に戻っていた沢村が震えたまま顔を上げた。
「片付けてきたよ。バットも振ってきたし」
 そうかと答えたきり沢村はしばらく固まっていたが、やがて安堵したようにため息をついた。顔色も幾分かよくなったようだ。この間店に来たときにポタージュの粉末を沢村が買っていったことを思い出して、あれでよければ作るけど、と言うと沢村はもそもそと礼を言って下を向く。黙って二人分のポタージュの袋を破りながら、仕方のないことなのかもしれないと思った。今の沢村にとって恐ろしいのは橋の向こうの青白い顔の女以上に、田中いどりを殺してしまったということに違いなかった。生きている間から猛威を振るっていた早川美夜子のときとは話が違うのだ。
「食べたら早いとこ出かけないと。一緒に行くから」
「どこに」
「橋の向こう」
作品名:橋のたもとの三人の女 作家名:坂鴨禾火