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木の子沢

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猟師の老人の言葉を無視し、山に入った私は、道に迷い、一晩を山中で過ごすことになったのだった。
翌朝も道を探しさ迷い歩いていた私は、水の流れる沢に出た。
私は沢の異様な光景に目を奪われた。そこには青白い、手のひらより巨大なきのこが大量に群生していたのである。
沢は鬱蒼とした木々に囲われ、晴れた日の朝でも薄暗かった。じめじめといかにもきのこのが生えそうな場所であるが、しかし一体きのこというものは、水中からでも生えるものなのであろうか。
私はその巨大なきのこに思わず手を出し、触れた。
しっとりと水分を含んで弾力を持ち、ひやりとしたその感触は、まるで死人の肌に触れているかのようだった。私は手を離すと、無意識に指先を払う仕草をした。
次の瞬間だった。私は何者かの気配を感じ、はっと辺りを見回した。だが……当然誰もいない。
きっときのこの群生に反射したゆらめく沢の水の光が、視界の隅で動く何かに見えたのだ。
私は手頃な石を拾いあげて、きのこの生える沢の中心に向かって投げ入れた。石はきのこのやわい笠を抉り、ぱっと胞子が散って、ぼちゃんと音を立て水に落ちた。
この時になって、私は突然気が付いた。水中にも、周りの木々にも、一切生き物の気配を感じないことに。
沢は異常な静寂に包まれて、通常聞こえる鳥の声さえしないのだ。
何やら急にそら恐ろしく感じ、私は沢を後に、早足でその場を去った。
昼過ぎになって見覚えのある場所にたどり着いた時、疲労困憊した体を引き摺りながら、心底ほっとした。帰り道は覚えている。私は山道を下り、日が傾く頃村にたどりついた。
宿の主人はひどく心配していて、消防団で捜索をしようかどうかという話にまでなっていたといい、私はひたすら平身低頭した。
しかしあの場所は何だったのだろうか。私はあのきのこの大群と、異様な静けさが忘れられなかった。
「この山にそんな場所はないよ」と猟師の老人は言う。
何十年と猟師をやってるがね、聞いたこともないねと。
「しかし儂の親父も祖父さんも、不思議なものは見たり聞いたりしたことがある。山というのはそういうもんさ」
私が見たのは、疲労と遭難中の不安と緊張が見せた幻だったのであろうか。
だが、私は確かにあの場所は存在したと信ずる。
何故なら、あの時死人の肌のようなきのこに触れた指先は、まだひんやりと冷たく湿ったまま戻らないのだ。
作品名:木の子沢 作家名:あお