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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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夢幻空花 七、 夢を見るといふことは特異点の存在を暗示する

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――三島由紀夫のやうに己の首が斬首される夢を見た。その時、私の首は一太刀では切り落とせずに、何度も何度も日本刀で切り刻まれ、やっとのことで胴体から切り離されたのだ。夢の中の私の分身はそれに対して何の疑問も抱かずに唯、指を銜へて、まるで他人事(ひとごと)のやうにその様を凝視してゐるのみなのであった。しかし、その後味の悪さといったならば、筆舌に尽くし難い。ところが、夢は夢の論理が何よりも優先するからこそ、つまり、私の意思とは無関係に、或ひは私は夢の論理に絶対服従故に夢の秩序が私に先立つ事態が進行するからこそ、尤も、私が見る夢でさへ、私は夢に対して何の疑念も抱かずにその不合理を受け容れてゐるといふ、唯単に眼前で進行する夢の事態を丸ごと受忍するからこそ、此の世に特異点が存在することを暗示するといへる。特異点とは説明するまでもないが、至極簡単にいへば、分数の分母を限りなく0に漸近させ、遂には分母が0になった途端に現はれるであらう摩訶不思議な世界のことをいふのであるが、分数の分母が0の時、それは数学的には定義できず未定なものとして、つまり、それが特異点の定義の一つであるが、私は特異点が出現したその時点で現出するであらう世界は夢に近似した世界だと看做してゐる。それは思ふに夢はそもそも因果律が破綻してゐるが、特異点でも因果律は破綻してゐる筈である。特異点は質料と形相の備はった形ある有が多分に無限大へと、つまり、この世の摂理からしてあり得ぬ有から無限大へのそれは到底不可能な変化(へんげ)できぬものへと存在が光速を超えた速度で爆発的膨脹をしていくことかもしれず、有が無限大へと超高速で膨脹していくといふことは、多分に特異点へと突き進むその場には、その前段階としてBlack holeが現はれ、Black holeとは巷間で語られてゐるやうに光すら逃れ出られぬといふことは、裏を返せばBlack holeは物質で充溢した世界といへ、また、Black hole内ではこれまた因果律が破綻しかけた世界であると想像すれば、その想像をすこぶる単純に数直線状に延長するが如くに想像を羽撃かせると、特異点では光が充溢して因果律が破綻した世界といふものと看做せなくもない。それは正(まさ)しく夢世界と相似形を成した世界といへ、夢を見られるといふことは、即ち特異点の存在を暗示するといへる。さうでなければ、「私」は夢に対して全くの影響力がなく、夢の論理に対して絶対服従する世界を表出できる訳がないのだ。然し乍ら、幻像を以てして特異点を語る虚しさにも言及しておかねばならぬ。夢の光景をして特異点の存在を暗示するとしかいへぬ口惜しさ。それは映像で以て特異点のなんたるかを語ってゐるのであるが、それでは、然し乍ら、何も語ったことにはならず、特異点といふものに全く漸近してゐないことに等しいのである。頭に過る映像に依拠せずに語らないことには特異点を取り逃がし、
――わっはっはっはっ。
と、嘲笑されるのが落ちなのである。映像のその先にある闇をして特異点も語り果せねば、特異点を取り逃がすこと必定である。須く文字にのみ頼るべし。

 闇尾超は夢を使ひ古された襤褸布と同じく、現代ではもう夢神話は破壊され尽くされ、夢を語って何かを暗示させる文学的手法は藻屑と消え、夢そのものの神通力はもうないと嘗て述べてゐたが、夢が特異点を暗示させるといふ啓示を得たといふことは、闇尾超もやはり夢に弄ばれてゐて、ずっと夢の謎を脳科学とは一線を画した中で、その位相を見つけたくてうずうずしてゐたに違ひない。それが或る日、夢と特異点といふ一見すると似ても似つかぬものに結び付き、それがある種の確信に変はっていったのだ。その時の闇尾超の胸に去来したものとは何だったのだらうか。嬉しさはあったに違ひないが、それ以上に絶望しかなかったのではないだらうか。それは何故かといふと、所詮人間に「一≒無限大(∞)」を持ち切るのは酷といふことに闇尾超は思ひを馳せたに違ひない。無限大を単独者たる一存在者が――簡単に無限大とはいふけれど――無限大といふものの実相を想像できる人間が、果せる哉、想像の網に引っかかる程の想像力を持ち合せてゐるのか、甚だ疑問であるからだ。数学的には無限大の存在は排中律により証明されてはゐるが、それは、無限大が存在しなくてはをかしいといふことを間接的に証明してゐるのみで、直截、無限大の素顔を見たものはゐないのだ。そもそも素顔は有限のもので、無限大の素顔といふ表現は全くをかしなことで、さうだからこそ尚更、無限大は人間の想像力を遙かに超えたものなのである。
 仮に闇尾超が無限大の尻尾を摑んだとしてもそれは限りなく夢幻(ゆめまぼろし)の類ひに近く、それを承知をした上で、夢の存在が特異点の存在を暗示させると大胆な仮説を闇尾超は立てて見せたのだろう。その真贋はともかく、闇尾超の慧眼は或ひは正鵠を穿ってゐるやもしれず、一瞬でも闇尾超の脳裏に無限大の幻影が過ったのは間違ひない。でなければ、闇尾超は或る確信を持って夢の存在が特異点の存在を暗示させると断言できる筈はない。しかし、闇尾超は幻影を以てして特異点を語るにはそれこそ語るに落ちるとも警告してはゐるが。ならば、闇尾超の導いた「夢の存在は特異点の存在を暗示させる」を私の思考の俎上に一度乗せなければ闇尾超に失礼といふものだ。
夢は私にとって夢魔の為すがままの或る意味最も私を疎外してゐる世界だと看做してゐる。喩へていふならば、これは闇尾超に失礼なのかもしれぬが、映像的な解釈で夢を紐解くと、巨大な水族館の水槽のやうに分厚くも非常に透明なアクリル板でできた巨大水槽に、これは不思議なことではあるが、闇尾超と同様に夢には確かに私の分身者の片割れが水槽内にゐて、そやつは夢魔の為されるがままに夢の秩序に絶対服従させられ、辱めを受け、それをアクリル板の外で、私のもう一人の分身者の片割れが唯見つめてゐるといふ、夢で私は二重に分裂した存在としてあるといへなくもないのだ。これは闇尾超も同じだったものと見え、夢では私といふ存在は分裂してゐるのである。そして、私の意識や夢での感覚は分厚いアクリル板を挟んで光速を越えた速さで内外を行ったり来たりして分厚い透明なアクリル板で隔てられてゐるとはいへ、夢では疎外されながらも徹底的に当事者といふ矛盾をいとも簡単に成し遂げてしまってゐる。さうだからこそ、私もまた、量子もつれを夢では起こしてゐて、光速を越えてアクリル板を隔てて存在する二重の私は、夢の主人公でありながら、その夢から徹底的に疎外されてもゐる二重感覚といへばいいのか、感覚の重ね合はせが起きてゐるのである。その二重感覚は時に私は分裂者として、時に一心同体であるかのやうなものとして感覚は奇妙なもつれ合ひを為して夢は私を翻弄し、そして、それをぢっと凝視してゐる見者としての冷めた私も同時に存在するといふ具合なのだ。これは多分闇尾超にもいへることで、夢に対して私と闇尾超の在り方は同じやうなものであったと想像される。