束の間の休息
春の暖かな日差しの中、甘味処の長椅子に大柄な男の背中がふたつ並んでいた。
島左近と、柳生宗矩。
左近は片手に持った茶を啜り、膝に肘を突いて隣で団子を頬張る宗矩にのんびりとした眼差しを向ける。
宗矩の横に置かれた皿には既に七本の串が並んでおり、その横顔に注ぐ視線にはまだ食べるんですかと言いたげな色がありありと浮かんでいた。
対する宗矩は目を閉じて、なんとも言えない至福の表情で頬袋を膨らませている。
やがて手にしていた串の団子もすべて胃の中に収めると、八本目の串を皿に置く代わりに湯呑みを手に取って、茶を口に含んだ。
「んー、……幸せ」
「…そのようで。」
あまりにも弛緩した面持ちに、呆れ気味に笑ってしまう。
「あんたを見てると、今が乱世だってことを忘れちまいそうですよ」
常に緊張感を待てとは言わないまでも、ここまで無防備に欲を満たすひとときに浸っている様を目の当たりにすると、さすがに嫌味のひとつも言いたくなるというもので。
視線を外して湯呑みに口をつける左近に、宗矩はへらりと口元を緩ませて笑った。
「好きなもの食べてるときくらい、忘れていいんじゃない?とはいえ拙者は、食べてなくても大して考えていないけどね」
「よく言いますよ。考えなしにその立ち回りは出来んでしょうに」
家柄の影響が大きいとしても、柳生はしっかり徳川の懐に入り込んでいる。安泰といっても差し支えないだろう。
「島殿とは志が違うからねェ。今からでも遅くないよ、鞍替えしない?」
「しませんよ」
「ちぇっ。こんなに一途に誘ってるのにー」
「はいはい、お気持ちはちゃーんと受け取ってますって」
まったく。童か、この御仁は。
唇を尖らせてぶすくれる宗矩に適当に相槌を打ってやる。
しかし特に意に介した風もなく、店の奥に追加の饅頭を注文していた。あんなに団子を食べた上で更に甘味を摂取できる口も、摂取しようと思う頭も恐ろしい。
半ば引き気味に隣の大男を見やると、こちらの考えなど知る由もない宗矩は「あ」と声を上げた。
「そういえば、料理焦がす系男子っていうのが好意をひくらしいんだけど、島殿はどう思う?」
「藪から棒すぎて返答に困りますね」
どこでそんな眉唾ものの情報を仕入れてくるのやら。
男子というからには、好意をひく対象は女性なのだろう。あいにく俺は女ではないため、どう思うもこう思うもないわけだ。
胸中で屁理屈をこねているこちらに、宗矩は逡巡して質問を重ねてきた。
「じゃあ、卒なく料理できちゃう拙者と、頑張るけど失敗しちゃう拙者、どっちがいい?」
「具体的に言い直したって返答に困ることに変わりはないです」
寧ろもっと困る。輪をかけて困る。
正直言ってどうでもいい。
が、宗矩は完全に待機の姿勢をとり、何かしらの言葉をもらえるまで引かないといった様子。
左近は嘆息を零して「そうですねぇ」と呟いた。
「ま、失敗されるよりささっと作ってもらえるに越したことはないと思いますよ」
「!そうだよねェ!実は拙者腕に覚えがあってさ、煮物なんてきっと島殿の胃袋掴んで離さな」
「でも、苦手なことを失敗しながら頑張って成長する姿って、応援したくなりますよね」
「!?…っていう領域に至るにはまだまだ修行が足りなくてさァ、納得いく味って難しいよね」
「ぶふっ」
ものすごい勢いで手のひらを返してきた相手に、思わず吹き出してしまった。
さすがにこれには宗矩も、細い目を開けて不満げに抗議してくる。
「ちょっと酷くない?今のくだりは確信犯でしょ。おじさんで遊ばないでよー」
「いや失礼。しかし柳生さんの焦った顔、可愛かったですよ」
のらりくらりとしながらも物事を様々な角度から見ているこの男は、滅多なことでは動揺しない。
意表を突かれた表情というのは存外貴重なのである。
運ばれてきた饅頭を口に運びつつ、宗矩はいじけるように眉根を寄せた。
「せっかく島殿の好みの拙者で、毎日味噌汁つくってあげようと思ったのに…」
「それはそれは…。」
ぞっとしませんな、と喉元まで言葉が出そうになるがかろうじて押し留める。
あまり虐めるのも酷というものだ。
「島殿は赤味噌派?白味噌派?」
「こだわりはありませんよ。腹が膨れりゃなんでも」
「張り合いがないなァ。絶品の合わせ味噌の配合知ってるんだけど、今度試してみるかい?」
「…え、味噌から柳生さんがつくるんですか?」
「当然じゃない。ちゃんと裏ごししてあるから任せてよ」
「……へえ。」
意外だ。
甘いものにしか興味がないとばかり思っていたが、食自体にこだわりがあるのか。
なるほどこの馬鹿でかい図体は、差し詰め食による整った栄養の結晶ということだ。
知らない一面に感心し、左近は残っていたお茶をすべて飲み下して隣ににっと笑ってみせる。
「ここのお代は俺が持つんで、その絶品の味噌汁、つくってくれます?」
直後、宗矩の細い双眸が覚醒したかのようにかっと見開かれ、店の奥に上体を振り向けて店主に対し片手を大きく開いた。
「饅頭、あと五つ!」
「いやほんと、甘いもんばっかりよく食えますね…。」
勇んで追加注文する男に失笑し、左近も店主に人差し指を立てる。
「俺も饅頭をひとつ、頼みます」
「…なんだかんだで付き合ってくれる島殿、好きだなァ」
「俺が食べきる前に食べ終わらなかったら自腹でどうぞ」
「ちょっと親父さん急いでくれる!?」
こちらの何気ないひと言に血相を変える様子が可笑しくて、左近は久しぶりに腹を抱えて笑った。
平和を思わせる、穏やかな春の昼下がり。
束の間の休息と知りつつも、この暖かな時間を愛でずにはいられない。
殺伐とした己の人生にもこんな瞬間が確かにあったのだと、死ぬ瞬間に思い出すことができたらきっと幸せだろう。
空の湯呑みにおかわりを求め、左近は店の奥に声を投げるのだった。
fin.