阿修羅様 ー柏原照観展異聞ー
今では死語となった言葉だけど、私がとある家に嫁いだときは使われている言葉だった。今ならば夫の体に問題があることがわかっただろうが、当時は子どもができないことは、すべて嫁の体に問題があるとされる時代だった。その家に嫁いで二年と少し、一向に子どもができない私は、とある事に義父母にその言葉を投げかけれていた。その言葉を投げられる度に、私の心は少しづつ壊れていき、目が覚める度に「今日も生きてるのか」と憂鬱な気分で一日を過ごしていた。「俺が父親になるのはまだ早い、と神様が言ってるのさ」という、私を気遣ってくれる夫の言葉も責められているようで辛かった。
〝阿修羅様に祈ると子どもができるらしい〟
どこからとなく聞こえてきたそんな噂が、私には神様のお告げだと思い、夫に無理を行ってあの場所へ連れて行ってもらうことをお願いした。「そんなのデマに決まっているだろう。鬼子母神ならともかく阿修羅に祈って子宝に恵まれるものか」と夫はいい顔をしなかっったが、気分転換にもなるだろうと渋々ながらも『阿修羅様』が祀られている場所へ連れて行ってくれた。
想像に反して、『阿修羅様』は寺社仏閣ではなく美術館に置かれている像のことだと知ったときは落胆したものだ。夫の言う通りデマだったのか、と落ち込みながらも「そういえば、二人で出かけるの初めてだね」という夫の言葉に少しだけ心が軽くなったような気がした。「デマだったのは残念だけど、美術館なんて来ることないから、今日はデートだと思って楽しもうよ」というと、夫は私の手を握ってくれた。「そうね」と私も手を握り返して、二人で美術館の中へと向かった。
美術館の中に入った私達は、展示されていたものに圧倒された。右を見ても、左をみても、どの部屋を見ても『仏』で溢れていた。仏以外の絵画や彫刻も少しは展示されているようだったがそれらは目に入らず、私の目には仏様しか入らず、美術館でなくなんだか大きなお寺に来たような感じだった。
美術館の中を進むほど、なんとも言えない重い空気を感じて夫にもう出ようと言おうとしたときにその像が目に飛び込んできた。
吸い込まそうなほどにまっ黒な色をした、今まで見てきた展示物とは異なる雰囲気を出しているその像が『阿修羅様』と呼ばれる像だというのは、周りを囲んでいる人たちがみんなその像に手を合わせていることで想像がついた。私は、夫と繋いでいた手を離してその像の下へと小走りに駆け寄った。
(あれが『阿修羅様』ならば、噂が本当なら…)
像の周りの人垣の間を縫うように像の近くに行き、『阿修羅様』を間近で見たとき、私は息をのんだ。そのまっ黒な像は全身に様々な表情をした顔が彫られていたが、そのどれもが泣いているような怒っているような顔に私は空恐ろしいものを感じた。それでも、私は藁にも縋る気持ちで「子宝に恵まれますように」と像を拝んだ。
その時、急に胸がムカつき吐き気を催してきた。たまらず、お手洗いへと行こうとその場を離れようとしたとき、像に彫られた顔という顔からなにか黒いモヤのようなものが出て、拝んでいる人、それも女性だけにに向かっていくのが見えた。
(〝あれ〟は関わってはいけない〝もの〟だ)
咄嗟にそう思ったとき、そのうちの一つが私の方へ向かってくるのが見えた。私はそれが私に触れる前に急いでその場を離れ、美術館の外へと飛び出していった。「おい、どうした?急に走って外へ出るなんて何があった?」と私を追ってきた夫の言葉に「急いでこの場を離れましょう!ここは怖い!」と私は泣き出した。そんな私を戸惑いながらも私の肩を抱きながら車の方へと連れて行ってくれた。
車の中に入り、私が少し落ち着いたところで「何があった?」と聞いてきた夫に、私は見たことをありのままに話した。話しながらもあれは幻覚だったのかもしれないと思い私の言葉は少しづつ弱くなっていき、最後は聞き取れる取れないかくらいに小さくなっていったが夫は「そうか」と一言だけ呟くと車のエンジンをかけた。
「お前は気づいたのか」
車を発信させる前に夫がなにか呟いたようだったが、私は早くこの場をさりたい気持ちで一杯で何をいったのか聞こえていなかった。
次の年、私達は離縁した。
作品名:阿修羅様 ー柏原照観展異聞ー 作家名:zionic