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ぬくもり

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お風呂上りで湿った髪をやわらかなタオルでかしかしと拭く。淡い水色のパジャマは一回りサイズが大きくて踵を引きずってしまっている。ぺたぺたと素足で廊下を歩けば、キシキシと廊下が鳴り、火照った足の裏がひやりと冷えて気持ちがよかった。
今年の夏は特に暑い。
七ッ森に住む蝉達はここぞとばかりに鳴き叫び、太陽はこれでもかというくらい輝き、それを浴びて木々はますます茂る。水底まで澄んだ川には水鳥が気持ちよさそうにゆうゆうと泳ぎ、時折お目当ての魚を咥えて食事にありつくのだ。 その風景はここに越してくる前にいた街で迎えた夏は違うものだった。 一年前の夏、夏目が居候していた街はつまるところ都会で、近くに大きな公園もなければ自転車でいける距離に川も海もないアスファルトの街だった。そこで過ごした夏といえば、与えられた部屋に備え付けてあったクーラーの人工的な涼しさと、時折アスファルトに起こる陽炎、ビルの谷間から吹く生暖かい風であった。
越してきた当初はクーラーの無い藤原家の夏はこんなにも暑いのかと、果たしておれはこの暑さに耐えられるのだろうかと本気で心配したものだった。 しかし、人とは与えられた環境に順応する生き物なのだ。 扇風機と団扇で過ごす夏は涼しさとは程遠いのもだったが、風鈴の音とともに吹く田舎の澄んだ風は気持ちいいと思えたし、近くの農園からいただいたよく冷えた西瓜はとても美味しいと思えた。 塔子さんからもらった麦藁帽をかぶってあぜ道を歩けば、近くからも遠くからも聞こえる蝉の鳴き声の違いを知った。同時に、自分がこんなに汗っかきだったと気付かされもした。
この町は、都会にある快適とは違った快適がある。
おれはこの町が好きだ。

廊下の突き当たり、やわらかなオレンジ色の明かりが曇りガラスから漏れ、そこからは塔子と滋の談笑する声が漏れていた。 入ってもいいものか。と夏目はその足を止めて思案する。 春に藤原家の敷居をまたいでから、季節はひとつ変わっての夏。 幼い頃に両親を亡くしてから今まで盥回しにされてきたおれを引き取ってくれた優しい夫婦。塔子の優しくて落ち着いていて、でも時には少女のような無邪気な性格と、無口だけれど誠実でまっすぐな滋。二人ともおれに対してやさしく接してくれる。それは偽善なんかではなく、本当におれを歓迎してくれるものだと胸がくすぐったいような気持ちになる。 そんな日常にまだ戸惑ってしまうのは与えられた幸せを素直に受け入れる事が出来ないでいるからなのだろうか。 おれが入った所でふたりの時間を邪魔してしまうのではいか。おれが入っていったら、和やかな空気が変わってしまうのではないか。 そんな考えが先行してしまうのは、子供の頃からの習慣であった。

ミシ

一歩扉に近づくと、足が鳴った。

その音に気付いたのか、塔子さんがドアを開ける。 「あらあら、あがったのね。喉かわいたでしょう。いま麦茶を用意するわね」 塔子に少女のような笑顔を向けられて、夏目は促されたように敷居をまたいだ。 おれが入ってもちっとも変わらない空気に、胸が締まる。いつも、憧れていた団欒がここにあった。
いつも食事の際に座っている椅子に軽く腰掛ければ塔子が麦茶の入ったグラスを目の前に置いてくれた。 「いただきます」
「今ね、お盆の話をしていたのよ」
「お盆…ですか」
「ああ、8月13日から3日間、塔子さんの田舎に帰ろうかと思っているんだよ」

お盆。
前の家でもそんな事があったと思い出す。
「3日間家を開けるから、お留守番よろしくね」張り付いた笑顔でそういわれれば、黙って頷くしかなかった子供時代。一人で過ごした3日間は寂しいくはなかった。預かってくれている人達に気を遣われているという意識から開放された時間であったように思えたし、一人という時間に安堵を覚えたりもした。

「貴志くん?」
「あ、すみません、ぼぅっとしてて。」
「あら?湯冷めかしら?ちゃんと髪の毛乾かすのよ」
「はい」
「じゃあ、ちゃんと予定開けておいてね」


「…おれも、ですか」
「家族なんだから、当たり前でしょう。ここより田舎で、片道4時間もかかるところなんだけど、いい所よ。きっと貴志君も気に入るわ」
「…はい」

てっきり、留守をお願いされるのかと思った。そして留守を頼まれる事に淋しさを覚えた自分に驚く。あんなに一人に馴れていたはずだったのに。 おれも一緒に塔子さんの田舎に行ってもいいのだ。

「道程が4時間もあるんだもの、明日お菓子一緒に買いに行きましょうね」
「…はい」
「あんまり買い過ぎるなよ。荷物になる」
「あらやだ、七辻屋のまんじゅうが食べたいと言ったのはどこの誰だったかしら?」
「あそこのまんじゅうは別だ。そうだ、お土産もあそこのまんじゅうがいい」
「それもそうですね。じゃあ明日多めに買いましょうね、貴志くん」

おれはその呼び掛けに上手く返事が出来ず、上擦った声でなんとか返事をした。
なぜなら、この暖かさに馴れることが出来る幸せを、噛み締めていたので。


おわり
作品名:ぬくもり 作家名:幹 葉子