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みえるもの、言葉、みえないもの

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こんな夜中に、サングラスをかけていて、不便じゃないのか、とある時セルティは尋ねた。前々からなんとなく疑問に思っていたことではあるが、そういえば彼がサングラスをかけはじめたのはいつ頃なのだっけ、と考えると、彼女の幾層にも積み重ねられた記憶は砂の城のようにとけて形をうしなった。あとに残った砂のひとつぶひとつぶには、彼女の恋人の姿や声や体温など、彼にまつわる様々な情報が閉じ込められている。砂の粒は反射する光もないのに彼女の真黒い影の中できらきらと控えめに輝いていた。そうしてそこに、静雄に関する断片的な記憶はおちていても、彼のサングラスについてのそれは見当たらない。彼女は思い出すのを諦めた。
 質問したあとで、自分だって黒いヘルメットを被っているのだということを、静雄の視線で思い出したけれど、彼はそれについては何も言わなかった。
「確かに、見えにくいこともあるな」
 PDAを手にもったまま、でもそこに文字を表示させずに、セルティは軽く頷く。
「でも、目に見えるものがたくさんあるってのは、大切なことか?」
 大事なものが目に見える姿をしているだなんて誰が決めたんだろう。彼らは考える。静雄の疑問はあきらかに、彼女だけに対して向けられたものではなかったから。でも、目でみることができて、そしてそれにさわって、初めて大切だと気づくものだってある。セルティはそんなようなことを文字にして、男へと見せた。その画面を覗き込んでから、ふむ、と軽く頷き、そうして彼は、考え込むように腕を組み、地面を見つめる。

「なあ、実はさっきの言葉は、俺の言葉じゃあねえんだ」
 しばらくの沈黙のあと、とりだした煙草の先端に火をつけながら、彼はそんなことを言った。フィルター越しに息を吸い、煙を吐く、その呼吸の音が真夜中の公園にひっそりと響き渡るようであった。といっても、彼らの周辺は、静寂なんてものとは程遠い。眠らない街の囁きは人々のつくりだす音へと姿を変えて虚空をみたしている。静かな夜の街というものを、ふたりは知らないでいた。あるいは彼女のほうは、もしかすると、そのうしなわれた首のもつ記憶の中に、刻まれていたのかもしれないけれど。
『私の言葉だって、決して私だけのものではないよ』
 与えられたものが、己の血肉になり、そこからうまれる言葉というものを、彼女は愛していた。それを他人に示すという傲慢を、でも隣の男は、きっと笑ってゆるしてくれるだろう。たとえそれが、優しさじゃなくて、自分でも気付かない羨みとかなしみの入り混じったものに由来しているのだとしても。
 うつくしい言葉を与えてくれる者を、愛せよ、とは、セルティはいわない。彼女は妖精なのであって、決して神様ではないのだから。