迷い
小さな酒場にデボルとポポルの歌声が響いている。一段高くなったステージの真ん前に座っているのはニーアだ。デボルだけではなくポポルの歌声も聴きたいという依頼を受け、それを叶えるべく、そしてニーア自身もふたりの歌を聴きたいと一生懸命手をつくしてくれたご褒美にと、依頼主が一番の特等席を譲ってくれたのだ。
カウンターテーブルに肘をつき、目を閉じてうっとりと聴き入っているニーアの嬉しそうな笑みを横目で見ながら、ポポルは歌い続ける。
彼が材料集めをしてくれた酒がほどよく回り、視界がふわふわしていて落ち着かないが、それすらも心地よかった。
(…心地いい…?)
ふっと感じた違和感に、ポポルはそっと眉を寄せた。その一瞬の揺らぎが声を震わせたのか、デボルが窺うような視線をこちらへ向けてくる。
何でもないと目線でこたえると、デボルは訝しみながらも弦を爪弾いている手元に視線を戻した。
その手元が、微かに震えている。
もしかしたら自分が感じた違和感をデボルも同じように感じているのかもしれないと思うと、少し心が軽くなった。
(…心、なんて…)
人間もどきの私たちには心なんてないはずなのに。
それはポポルやデボルだけではなく、この場にいる全員――いや、この世界にいる殆どの者たちに言えることのはず。
それならば、今自分が感じている心地よさや楽しさ、そしてニーアたちの幸せそうな表情はなんなのだろう。
この長い年月の間に、日常と使命の境界線が曖昧になってきていることは気付いていた。
気付いていて、気付かない振りをしていた。
この穏やかな日々がいつまでも続いていけばいいと思う気持ちと、早くこの計画を終わらせて解放されたいという願いの間で板ばさみになっている自分たちが嫌だったから。
(何で…私たちだったの? 何で彼らだったの…?)
創造主たちへの忠誠心は日ごとに薄れ、迷いだけが大きくなっていく。
そしてもっともポポルを揺さぶるものは、皮肉にもこの計画の一番の犠牲者となるかもしれないニーアの言葉だった。
「凄いや、ポポルさん! すっごく綺麗な歌声だった!!」
歌い終えたと同時に盛大な拍手と歓声が響き渡る。その中で一際大きく響いたニーアの嬉しそうな声が、胸に痛かった。
それでもポポルは、精一杯の笑顔を作って彼らにこたえる。
心の内を悟られないように。